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古本夜話303 講談社『少年講談』と『評判講談全集』


新島広一郎の『講談博物志』の中に挙げられた講談本シリーズをリストアップしながら、あらためて確認したのは、講談本出版が赤本業界=特価本業界、それらと取引している大阪の出版社群、及び講談社によって担われていた事実である。

大日本雄弁会は明治四十三年に『雄弁』、『講談倶楽部』を創刊し、その成功を範とし、大正を通じて『少年倶楽部』『婦人倶楽部』『キング』などの九大雑誌を擁し、大正十四年には社名を大日本雄弁会講談社と改称するに至った。その社名通り、これら雑誌のエトスは講談に基づくものであり、徳富蘇峰によって「私設文部省」と称された講談社文化なるものが、まさに「講談文化」に他ならなかったことを、この改称は示しているといえよう。

その講談社(以下略称とする―筆者注)がそれまでの講談本の集成として刊行したのが、円本時代の昭和三年の『講談全集』全十二巻である。だがこれは、『講談社の歩んだ五十年』を始めとするいくつかの社史において、一円の定価に対して厚さがありすぎ、送料負担が生じる書店の不人気もあって、また人気の高い毒婦物や白浪物を収録しなかったことも加わり、販売は成功しなかったといったニュアンスの記述に終始していた。それもあって、新島が挙げているように、さらに続けて『評判講談全集』全十二巻、『少年少女教育講談全集』全十二巻、『評判講談』全十五巻、『少年講談』全四十九巻が出されていたのだが、それらに注意が向けられず、ほとんど言及されていなかった。

しかしそうでありながらも、新島によれば、講談社の講談本の真骨頂は『少年講談』で、彼は次のように書いている。

 (前略)始めて見た少年講談は真に驚きであった。装幀の美しさ、内容の面白さ、挿絵の素晴らしさなどなど、私が虜因になったことは云うまでもない。
 私の少年講談への思慕の念は激しく、再び、蒐集に駆り立てさせたのである。こつこつと十年、私の書架に並んだのは四十六冊、どうしてもあと二冊が現れない。私のほかにも少年講談コレクターは多数いて、皆四十巻を超えると蒐集が行きづまってしまう。蒐集困難なものは共通していて、たまたま古書目録に載ると、注文が殺到して抽選の結果他人の手に渡って行く悲哀の連続だった。

全巻揃いの念願がかなったのは平成二年になってからで、それも残り三巻のために、売物に出た三十五万円の全巻揃いを注文し、当ったことによっている。そして新島は嬉々として『少年講談』を一冊ずつ書影を挙げ、紹介する。第一巻の『塚原卜伝』から最終巻の『百々地三太夫』に至る彼の解説は同書の圧巻で、この『少年講談』シリーズが立川文庫を始めとする多種多様な講談本のキャラクターと物語を凝縮させた総集版のような印象を受ける。全巻のタイトルだけでも挙げれば、そのアウトラインはうかがわれるかと思うが、それは書影とセットになっている『講談博物志』を実際に見ることが最上であるので、ここでは断念するしかない。

長年にわたって近代出版史を渉猟していても、これはリアルタイムで体験していないとわからないだろうと思われる事柄によく出会う。そのひとつが講談社の『少年倶楽部』における読者体験で、おそらく新島の『少年講談』も同様のように思われる。彼にとっては『少年講談』が刊行されていた昭和九年から十四年前半にかけてが、日本の出版文化において「黄金期の花を咲かせていた」時期にあたる。まさにその時期に『少年講談』を始めとする講談本によって、忍術ブームが起き、講談のみならず、映画や雑誌にも忍者や忍術が氾濫し、「忍術ならでは夜の明けぬ国」といった様相を呈するに至ったという。

つまり新島の『少年講談』体験とはヒーローとしての忍者と忍術の世界に出会い、それにすっかり魅せられてしまい、時代背景もまたそれに連動していたので、戦後になっても「夜もすがら暗き火影を苦にもせず、こよなき友とせし記憶」が忘れられず、あえて困難きわまりない講談本の収集に向かったことになる。

そのような講談本と忍者の世界の密接な関係の記憶をとどめておくために、新島は『講談博物志』の長い「付録」として、「忍術と講談」「忍術家名鑑」を付している。これらを読むと、戦後になって私たちが読んだり見たりした忍者を主人公とするコミックや時代小説、あるいは東映の時代劇なども、講談本の世界にルーツがあることを示唆してくれるし、講談社の『週刊少年マガジン』が送り出した『巨人の星』『あしたのジョー』の原作者の梶原一騎(=高森朝雄)の物語もそこに起源を求めてもいいように思わる。

巨人の星 [f:id:OdaMitsuo:20130520142927p:image:h110]

とすれば、講談本の世界の影響は隠し味のようにして戦後まで続いていたことになるし、現在の時代小説のブームすらもそのような文化的DNAによって支えられているのかもしれないのである。そしてそれらが特価本業界の出版社と講談社が車の両輪のようにして、またメダルの裏表のような関係で、長きにわたって形成してきたものだと、講談本のエンサイクロペディアともいうべき『講談博物志』は教えてくれる。

ただ残念なことに、私はその『少年講談』を見たり、読んだりする機会を得ていない。手元に二冊ほど『評判講談全集』があるが、これは新島も書いているように、円本特有の贅沢な「箱付き講談本」にもかかわらず、講談社の社史でもほとんどふれられていないし、読者の記憶にも残っていないとされている。それは内容が現代物に偏っていることも原因だと新島は指摘しているが、何よりも『少年講談』が備えていたというアウラの気配がまったく感じられないからのようにも思える。それを確かめるためにも、ぜひ『少年講談』にめぐり会いたいと思う。

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