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混住社会論25 笹倉明『東京難民事件』(三省堂、一九八三年)と『遠い国からの殺人者』(文藝春秋、八九年)

集英社文庫遠い国からの殺人者


前々回の佐々木譲『真夜中の遠い彼方』や前回の船戸与一「東京難民戦争・前史」に先駆け、八三年に笹倉明によって『東京難民事件』三省堂から出されている。これは小説ではなくノンフィクションであるが、まったく無視されたようだ。だが幸いなことに、著者の直木賞受賞を受け、九〇年に集英社文庫に収録された。

 
『東京難民事件』は笹倉が「インドシナ流民に連帯する市民の会」にボランティアで参画し、日本の八〇年代における「出入国管理及び難民認定法」「外国人登録法」という法体系と向き合った記録だといってもいい。それゆえに必然的にテーマと内容によって、佐々木や船戸の物語にもインパクト与え、先駆的なノンフィクションという栄光を担ったことになる。しかもそれは笹倉にとっても同様で、『東京難民事件』をくぐり抜けることによって、国家、民族、裁判、犯罪と対峙するに至り、それは後の彼の作品そのものへとも投影されていく。裁判のメカニズムは八八年にサントリーミステリー大賞受賞の『漂流裁判』、難民と犯罪は八九年の直木賞受賞作『遠い国からの殺人者』(いずれも文春文庫)へと結実していく。
漂流裁判

笹倉は『東京難民事件』文庫化にあたって、「前がき」として「私流開国論・一九九〇」を付し、そこで日本における難民史を提出している。それに基づき、難民クロニクルを作成してみる。

 1975年 / 難民元年、アジア人流入元年。南ベトナムサイゴン陥落、カンボジアプノンペン解放、ラオス共産主義革命の波及。
 1978年 / 新宿事件。歌舞伎町におけるラオス人同士による殺傷事件をさす。以後警察や入管の手入れが厳しくなる。
 1979年 / ボート・ピープル大量流出年。七八年末からのベトナムカンボジア侵攻により、北の南支配による差別と圧迫のために、ベトナムからは船で、カンボジアからはタイ国境へと膨大な難民が脱出。それに加え、台湾、韓国、フィリピン、タイなどから じゃぱゆきさんが本格的に来日する じゃぱゆき元年でもある
 1989年 / 中国からの偽装難民としての密航船が続々と到着し、それは十八隻、二千人を超える。

このような状況を鑑み、「八〇年代は、難民の受け入れ問題にはじまって、ひろくアジア人の受け入れ問題へ、議論の焦点を移さねばならない時代の過渡期であった」と笹倉は記している。確かに八〇年代はバブルの時代であるとともに、難民とじゃぱゆきさんの時代だったともいえるし、日本のバブルこそが、難民とじゃぱゆきさんたちを引き寄せた大いなる原因に他ならなかったのだ。

『東京難民事件』のヒロインは七六年十一月に東京羽田の国際空港に降り立った十七歳の少女だった。パスポートはタイ国政府発行のもので、名前はソムシー・セロとなっていたが、髪と目の色、身長と写真を除けば、そこに記載されている事柄は本人とまったく無縁のものだった。彼女は仕事がありつける街だと聞いていた新宿に向かい、その夜は深夜喫茶で過ごし、次の日からウェイトレスの仕事を求め、タイからの留学生と偽り、レストランや喫茶店を当たった。三日後に歌舞伎町の深夜レストランに職を見つけた。片言の日本語しか話せない彼女にとって、その仕事しかなかったからだ。午後六時から翌朝四時までの十時間労働で、給料は月十二万円だった。眠る場所は山手線の車中で、靖国通り沿いの中国料理店の昼間の同じ仕事も兼ねていた。

彼女は六十日の観光ビザで入国していたし、仕事は潜りであり、ビザ切れ前に一度は台湾に出る必要があった。そしてその間に貯めた十五万円を持って日本を離れ、再び来日したのは翌年の七月だった。彼女の本当の名前はチャン・メイラン、一九五八年生まれのラオス人であった。七五年にラオスのパクセに住んでいたメイランは、反王制派のラオス愛国党パテト・ラオ軍の進攻で、首都ビエンチャンに逃れ、メコン河を渡ってタイに密入国し、バンコクに向かい、タイ国パスポートを入手したのは翌年の秋だった。旅行業者を通じて買い取ったパスポートは、タイから出国するために不可欠だったのだが、それが彼女の運命を左右することにもなったのである。

それゆえに彼女は海から漂流船でやってきたボート・ピープルのような難民と認められず、「エア・ピープル」、すなわちパスポートを持参し、空から飛行機で入国してきた流民として見なされる。またそこには必然的に難民や流民に対する日本政府や社会の問題のみならず、国家と個人、民族と祖国、ボートとパスポート、形式と本質、南と北などの多くの問題が表出する。それが同書におけるメイラン事件の核心ということになる。

メイランは再び出国できず、ビザの有効期限が切れ、不法残留者、地下生活者となる。もし発覚すれば、タイへ強制送還され、難民キャンプへと追いやられるだろう。ラオスには帰れないのだから、日本で暮せるだけ暮してみようと決意した。だが彼女は七九年十月、深夜に無灯火で自転車に乗っていたことで、警察官の職務質問を受け、狼狽し、外国人とわかり、外国人登録証を持っていなかったことから、その場で現行犯逮捕されてしまうのである。これがメイラン事件の始まりだったのだ。そして「難民裁判」が神父、弁護士、学生を中心とするボランティアによって支援され、そのプロセスを通じて、メイランとその家族が現代史によって蹂躙された歴史が明らかになり、また彼女に対応する日本国家の法的構造とメカニズムも露呈していく。

このようにメイラン事件のアウトラインを紹介しただけでも、佐々木譲『真夜中の遠い彼方』船戸与一の「東京難民戦争・前史」がこの事件に物語の淵源を仰いでいるとわかるだろう。前者のヒロインの名前はまさにメイリンで、後者の主人公たちもラオス人の少女を含んだインドシナ難民と設定されているのだ。しかもこれらの物語は『東京難民事件』に多くの示唆を得ていたにもかかわらず、笹倉に対しても逆流したかのような影響を及ぼしたのではないだろうか。そうして八九年の『遠い国からの殺人者』へと結実していったように思われる。

『遠い国からの殺人者』の「プロローグ」は博多のストリップ劇場の、北海道生まれで四十八歳になるドサ回りの踊り子渚の独白、東北出身のコメディアン崩れの照明係綿谷の感慨を経て、コロンビア出身の異国からの踊子が舞台に登場する場面までを描いている。それはそこが様々な出自が重なる混住を象徴するトポス、いわばひとつの辺境でもあることを告げているかのようだ。

そして第一部に入り、西新宿のマンションでの殺人事件が報告される。女からの通報で、警察が駆けつけると、鋭利な刃物で殺されたと見られる若い男の死体が発見され、同居人の女の姿が消えていた。彼女は金髪の女性で、西洋人ではないかと思われた。警察の捜査によって、その女がストリップ劇場の踊り子で、名前はサリー・ブラウン、カリフォルニア出身のアメリカ人だと判明する。男がヒモで、彼女に売春までさせていたことも。

一方で三十八歳の元トランペット奏者の岩上龍一は七年前から東池袋でジャズ・バーのロフトを営んでいたが、そこに何者かに追われ、一目で異国人とわかる女が飛びこんできた。彼女はビリーと名乗り、帰れないというので、岩上は女を自分のマンションに連れていき、同居するはめになっていた。ここまでの物語の構図は、佐々木の『真夜中の遠い彼方』を反復しているかのようだ。

警察の捜査も進み、サライーはアメリカ国籍ではなく、金髪も本来の黒髪を染めていて、コロンビア出身であることが確実視されていった。劇場関係者によれば、髪を染めた南米人は西洋人のように見えるので、商品価値が高くなるのだ。また東池袋でよく似た不審なストリート・ガールらしき外国人が発見され、路地の奥の酒場に逃げこみ、見失ったことも報告される。女が街娼になっているのではないかとの問いに、担当の警部が答えていう。これが難民に向けた警察の眼差しなのだ。

 「おそらくそうだろう。(中略)昨今、不良外人がとみに増えているが、職にありつけない者のやることは決まっている。窃盗、強盗、それに娼婦だ。社会と関係を持たずに生き延びていく手段は、その三つしかない。被疑者の場合は、とくに手配中の身であることを自覚しているだろうから、売春といっても組織に入っていけない。路上の一匹狼になるしかないわけだ」

かくして被疑者が発見された地域や盛り場への聞き込みとパトロールが強化され、それは岩上とロフトにも及び、彼女への包囲網がせばまっていく。そこで彼女は渚に助けを求め、渚は彼女のためにロードラ・ヴィラリアル名義のフィリピン・パスポートを入手するが、出国直前の成田で彼女は逮捕されてしまう。

そして第二部で、彼女のたどった回路が国籍と名前の変遷とともに明らかにされていく。アメリカン人サリー・ブラウン、コロンビア人パトリシア・アルマンサ、フィリピン人ロードラ・ヴィラリアル、さらにもうひとつのフィリピン人名シエラ・ラウロンが浮上してくる。最後の国籍と名前が彼女の実像で、一九六一年生まれの二十六歳だったのだ。

彼女の裁判にあたって、岩上とその友人の弁護士赤間、渚と綿谷は救護活動に取り組む。それはメイラン事件のためのボランティアの活動を彷彿させる。そのような裁判を通じて、フィリピンからやってきたじゃぱゆきさんとしてのシエラ・ラウロンのそれまでの人生、フィリピン社会とそこでの生活が浮かび上がり、それを合わせ鏡のようにして、八〇年代の日本社会のバブルのネガともいえる側面と軌跡を映し出すに至るのである。言い換えれば、フィリピンからきたじゃぱゆきさんによって、日本社会が異化され、もうひとつの異なる日本が描きだされたことになろう。

それゆえに笹倉の『東京難民事件』『遠い国からの殺人者』はノンフィクションとフィクションのちがいはあれ、難民とじゃぱゆきさんの立場から、八〇年代の日本を照射しているといえよう。

◆過去の「混住社会論」の記事
「混住社会論」24  船戸与一「東京難民戦争・前史」(徳間書店、一九八五年)
「混住社会論」23  佐々木譲『真夜中の遠い彼方』(大和書房、一九八四年)
「混住社会論」22  浦沢直樹『MONSTER』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」21  深作欣二『やくざの墓場・くちなしの花』(東映、一九七六年)
「混住社会論」20  後藤明生『書かれない報告』(河出書房新社、一九七一年)
「混住社会論」19  黒井千次『群棲』(講談社、一九八四年)
「混住社会論」18  スティーヴン・キング『デッド・ゾーン』(新潮文庫、一九八七年)
「混住社会論」17  岡崎京子『リバーズ・エッジ』(宝島社、一九九四年)
「混住社会論」16  菊地史彦『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、二〇一三年)
「混住社会論」15  大友克洋『童夢』(双葉社、一九八三年))
「混住社会論」14  宇能鴻一郎『肉の壁』(光文社、一九六八年)と豊川善次「サーチライト」(一九五六年)
「混住社会論」13  城山三郎『外食王の飢え』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」12  村上龍『テニスボーイの憂鬱』(集英社、一九八五年)
「混住社会論」11  小泉和子・高薮昭・内田青蔵『占領軍住宅の記録』(住まいの図書館出版局、一九九九年)
「混住社会論」10  ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』(河出書房新社、一九五九年)
「混住社会論」9  レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』(早川書房、一九五八年)
「混住社会論」8  デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』(新潮社、一九九七年)
「混住社会論」7  北井一夫『村へ』(淡交社、一九八〇年)と『フナバシストーリー』(六興出版、一九八九年)
「混住社会論」6  大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社、一九六七年)
「混住社会論」5  大江健三郎『飼育』(文藝春秋、一九五八年)
「混住社会論」4  山田詠美『ベッドタイムアイズ』(河出書房新社、一九八五年)
「混住社会論」3  桐野夏生『OUT』後編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」2  桐野夏生『OUT』前編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」1