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古本夜話306 天田愚庵『東海遊侠伝』、神田伯山『清水次郎長』、村上元三『次郎長三国志』

講談において、立川文庫を発祥とする猿飛佐助や霧隠才蔵などの真田一族の物語が大きな魅力であったことを、新島広一郎の『講談博物志』を始めとして、当時の多くの読者が語っている。また実際にそれらの物語は現在に至るまで、様々な小説、映画、コミックなどに継承され、連綿と続いているといえよう。

そのような講談のもうひとつの柱に、清水次郎長を主人公とする物語があって、こちらも真田一族と同様に、様々な小説、映画、コミックなどに引き継がれ、繰り返し映画化もされ、人口に膾炙している物語だといってもかまわないだろう。だがこの次郎長物語は舞台を東海地方としているので、これまで既述してきたように、多種多様な文庫による無数の講談物語を生み出した大阪に伝播し、うまく融合しているのか、それが気になっていた。なぜならば、東映の時代劇である次郎長シリーズがその後の仁侠映画ややくざ映画の範となったように思われるからだ。

しかし大正十四年に刊行された神田伯山口演『清水次郎長』なる一冊の版元が大阪の改善社であることを知り、これが最初の大阪での出版なのかどうかわからないけれど、大正時代にこの物語伝承がなされていることを確認した次第だ。改善社の住所は大阪市西区阿波座下通、発行者は瀧本恭治郎、著者として神田伯山も明記され、定価一円九十銭で、伯山の押印もあるので、正規の手続きを経た上での出版だと考えられる。

四六判上製箱入、紫色の布装で、金色の型押しタイトルが入るという派手な仕上がりになっていることからすれば、講談興行と関連する出版企画だったのかもしれない。私が見つけた一冊は箱は2だが、本体は3で、しかも最後に「完」とあるので、3巻本として刊行されたのだろう。その巻末には「侠各清水次郎長」や子分たちなどの墓の写真が六葉収録され、次郎長物語の神話化を補足しているかのようだ。

東海遊侠伝この神田伯山は三代目にあたり、平凡社の『日本人名大事典』などにも立項され、初代は『大岡政談』、二代目は『水滸伝』を得意としていたとされる。その他に東映の次郎長シリーズの原作である村上元三の『次郎長三国志』(春陽文庫)の最後の一編に「神田伯山」が置かれていて、村上の小説のクロージングにふさわしい内容を盛りこみ、この次郎長物語の由来とその形成を俯瞰する一作、及び伯山の簡略な伝記にもなっている。伯山と『清水次郎長』の成り立ちのところを引いてみる。

次郎長三国志

 明治四十年の五月、伯山は自分の襲名した両国の福本の夜席で、はじめて次郎長伝の第一回を口演した。
 演題は『名も高き富士の山本』というのだった。(中略)
 「八丁あらし」と異名をつけられるほど、伯山が次郎長伝をかけると、まわり八丁の落語、女義太夫、浪花節の席から碁将棋の会所までさびれてしまう、といわれたのは、あくる年あたりからで、伯山の次郎長伝に匹敵する読みものはない、といわれるほどの客を集めた。
 伯山の次郎長伝は昭和七年一月三十日、伯山が没するまで、そのとくいとする読みものになった。

それならば、伯山の『清水次郎長』や村上の『次郎長三国志』に至る物語の系譜を記しておくべきであろう。

その物語の発端は天田愚庵が明治十七年に著した『東海遊侠伝』にある。天田は安政一年磐城国に生まれ、幕軍につき、戊辰戦争に加わり、その後山岡鉄舟の門に入り、五郎を名乗った。鉄舟の世話で、明治十五年に清水次郎長の許にあずけられ、一時は養子になったりもした。次郎長が鉄舟の知遇を受けたのは明治元年の清水港の咸臨丸事件を通じてで、官軍によって攻撃を受け、乗組員二十数人が戦死し、海上を漂っていたところ、次郎長が遺体を引き揚げ、埋葬したからである。明治政府の静岡藩政輔翼の立場にあった鉄舟は次郎長の義風を評価し、清水の市中取り締まりを命じ、それ以後の二人の師弟の縁が続くことになる。
東海遊侠伝

そうした関係から天田は清水の次郎長のところで暮らすようになるのだが、その際に一家の子分たちから様々な話を聞き、次郎長の伝記を書くことを決意し、それが東京与論社発行、成島柳北閲、山本鉄眉著『東海遊侠伝』として結実する。これはもちろん未見であるが、奥付の著者発行人は山本五郎とされている。なお村上の『次郎長三国志』にも「神田伯山」と並んで、「天田五郎」の一編も収録されている。

したがって天田の『東海遊侠伝』をベースにして、伯山の『清水次郎長』が、これもまた生き残りの子分たちからも聞き書きし、形成されていくことになる。そしてそれには伯山の様々な創作も加えられ、明治三十年代を通じて完成されるのである。そのかたわらで、伯山は伏見桃山にいた天田を訪ねてもいる。天田は歌人、僧として伏見桃山の庵に住み、三十七年に世を去っている。

これらの『東海遊侠伝』『清水次郎長』を受け、静岡出身の村松梢風が『正伝清水次郎長』を書き、戦後になって子母澤寛が『駿河遊侠伝』<(文藝春秋)、村上の『次郎長三国志』が続き、歴史聞書から講談へ、講談から小説へと至り、度重なる映画化もあって、次郎長もまたヒーローの一人に祭り上げられていったことになる。
次郎長三国志 (徳間文庫) 次郎長三国志 次郎長三国志 次郎長三国志 次郎長三国志

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