出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話318 小川寅松、尚栄堂、吉田俊男『奇美談碁』

前回、小川菊松が大洋堂出身であり、その大洋堂からは多くの出版人たちが誕生したことを既述しておいた。それに関連して小川がどうして言及しなかったのか、やはり何らかの事情が潜んでいると思われる人物と出版社がある。その人物とは小川寅松、出版社は尚栄堂で、小川菊松とは本当に一字違い、社名も堂がついていることからすれば、小川が知らなかったはずもないし、誠文堂とも取引や関係もあったにちがいない。

しかも尚栄堂の本は二冊入手しているが、その一冊の杉本文太郎『図解我家の飾り方』は大洋堂と尚栄堂の共同出版で、発行者は小川寅松と大塚周吉であるから、小川寅松も大洋堂出身だと考えていい。たが小川菊松と名前は似通っていても、縁戚関係とも思われないし、ここではとりあえず偶然の一致という見解を下しておくことにする。

さらにこの大正元年に刊行された『図解我家の飾り方』に関して付け加えておけば、本扉に貳書房なる版元名が記載され、検印のところに尚栄堂の出版社印が押されていることから判断して、二つの出版社を意味するものではなく、元版は貳書房で、その譲受出版、あるいは買切原稿と見なせるし、これも尚栄堂のルーツをうかがわせるものである。したがって大洋堂との共同出版表記はそうした事情が絡んでいるか、もしくは独立に際しての便宜的処置だったのかもしれない。

この図版二十三枚を収めた菊判二百ページほどの一冊は、本連載308でふれた『花道全書』と通じるところが多々あり、主として花器と花による室内装飾法を説き、その筋のテキストのように見受けられる。しかしそれよりも興味深いのは巻末広告で、「文部省選定書籍標準目録に当選したる名誉のお伽噺」として、四冊が挙げられ、そのうちの二冊が和田垣博士、星野久成共訳のグリーム原著『家庭お伽噺』、アンダーセン原著『教育お伽噺』で、それに付せられた紹介から、きわめて早い時期におけるグリムとアンデルセン童話の翻訳だとわかる。だが国立国会図書館編『明治・大正・昭和翻訳文学目録』には収録されていないけれど、和田垣博士とは経済学者で法学博士にして、英文学に通じ、東京商業学校や日本女子商業学校の校長も歴任した和田垣健三であり、星野久成はそれらの学校の英語教師、翻訳もまた英語からの重訳ではないだろうか。

明治・大正・昭和翻訳文学目録

さてもう一冊は吉田俊男の『奇美談碁』と題する文庫本サイズの和本で、こちらは大正四年に共同出版ではなく、尚栄堂だけを発行所として刊行されている。著者の吉田はその「序辞」を次のように始めている。

 余近時忙中閑を得、依而尚栄堂主小川君に請ふに碁書出版を以てす。君快諾せらる。茲に於て余は人口に膾炙する碁洒落並に伝聞せし珍談奇話を集め、飾るに、或は囲碁十訣を以てし或は詩歌を以てし且付するに言論を以てし「奇美談碁」名けて本書を公にせり。

つまり『奇美談碁』の一冊は囲碁をめぐる珍談を集めて編んだもので、それに対して頭山満が題字の揮毫とともに「抱腹絶倒」なる一句を巻首に贈った。また吉備公が支那から碁技を伝来したことにちなむタイトル命名及び、装丁と口絵などは北沢楽天によっている。それらへの謝辞も含んで、吉田は前口上で次のように述べている。「是れ日本一の吉備団子」にして「尚栄堂一手販売の名物」で、「此談碁(団子)は何時まで置いても腐りませんし、又年中品も切らせませんから、続々御註文賜はらん事を書肆に代わりて切望を致します」と。吉田の詳細は定かでないが、頭山と北沢の組み合わせ、それにウィットに富んだ語り口から、ただ者のようには思われない、いかなる人物なのだろうか。

その後判明したことを記せば、彼は江戸、明治期の囲碁棋士吉田半十郎の孫に当たり、『ジャパンタイムス』の記者だったようだ。

さらにこの遊び心に充ちた一冊を送り出した尚栄堂を求めて、大正七年の東京書籍商組合員『図書総目録』を繰ってみると、京橋区南紺屋町に位置する小川寅松の出版社が古文、漢文、英語英文の学習参考書やサブテキスト、女子教育のための教科書をメインとし、それに様々な実用書が混じり、すでに二百点ほどを刊行しているとわかる。その他にシリーズとして「工学叢書」「講談叢書」、ホワイトという著者による『忠臣蔵』などの英文講談、『ホッケー術』に始まるスポーツ書、また国木田独歩『自然の心』、小川未明『あの山越へて』泉鏡花『遊行車』といった文芸書も目に入る。

だがこれらの文芸書は散見するにしても、基本的に尚栄堂は和田垣の紹介で挙げた、学校の教科書や学参をベースとし、それに実用書を加えた出版社だと判断できる。著者たちの名前を見ていくと、グリムやアンデルセンの訳者の星野久成が『英文難句詳解』や『定石手合詰物将棋必勝』の編者だとわかり、どのようにして尚栄堂の出版物が企画されていったのかを推測できる。また星野は他社からも多くの学習参考書を刊行している。 

また吉田菊子編として、『名家囲碁妙手競』『囲碁の栞』『囲碁之口伝』の三冊があり、これは『奇美談碁』の吉田俊男の近親者だと思われる。女子もすなる囲碁の時代を迎えていたということなのだろうか。こちらも吉田俊男を調べていくと、他ならぬその母親であった。

このような、おそらく大洋堂を出自とする尚栄堂の出版物とその点数からすれば、『同目録』の小川菊松の誠文堂はまだ二十点ほどであり、誠文堂にとって範となったと考えられるし、名前から考えても意識しなかったはずもない。どうして一度も言及しなかったのか、そこにも何らかの出版をめぐる二人の小川の関係と事情が潜んでいるのだろう。

[関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら