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古本夜話329 吉沢英明編著『講談明治期速記本集覧』と『講談作品事典』

前回、特価本業界に関する最後の一編と断わっておいたのだが、思いがけずに講談本の労作を恵贈されたので、同じく拾遺の一編として紹介の意味も兼ね、書いておきたい。それらは私家版であり、まだよく知られていないと思われるからだ。
『講談博物志』

そこに至る事情は次のような経緯によっている。この五月に『裏窓』の元編集長飯田豊一にインタビューした際に、『奇譚クラブ』の実質的創刊者の須磨利之に講談の大いなる影響があるのではないかを問い、その講談本についての労作として、本連載302で言及した新島広一郎の『講談博物志』を挙げた。すると飯田は須磨における講談の明らかな影響を認め、また『講談博物志』も教えられることが多いけれども、それより空前の労作だとして、吉沢英明の『講談作品事典』の存在を教えてくれた。飯田によれば、吉田は元高校教師で、上尾市の自宅に書庫二棟を有し、講談を始めとする近代大衆芸能資料の一大コレクターにして、在野の研究者であるという。

吉沢の名前も書名も初めて聞くものだったので、私はぜひ拝読したいと申し出た。すると、飯田がそれを吉沢に伝え、有難いことに著者自らが恵贈してくれたのである。しかもそれらは『講談作品事典』上中下、続編、『講談明治期速記本集覧 付落語・浪花節』の五冊に及んでいた。

『講談作品事典』は上中下三巻は合わせてA5判千九百ページ、明治から昭和にかけての講談が四千八百近く立項され、それに明解な解説が施されている。これらは平成二十年の刊行だが、同二十三年には続編も出され、こちらもやはり八百ページに及ぶ大冊で、まさに講談のエンサイクロペディアとよぶにふさわしいと断言してもいい。このような労作どころではない大事典が自費出版で出されたことを考えると、吉沢が講談のために支払った収集と出版費用、及び労力は尋常なものではなく、かつて誰も実現できなかった偉業と見なせるであろう。

巻頭に「未曾有の快挙」という序文を寄せている日本講談協会の三代目神田松鯉は、吉沢が長年にわたって全国の古書店にネットワークを張り、私財を投入して講談本と資料を収集し、講談研究に没頭してきた事実を記し、『講談作品事典』こそは待ち望まれていた「講談のバイブル」だというオマージュを捧げている。

しかしここでは『講談作品事典』のほうはこうした紹介にとどめ、『講談明治期速記本集覧』の内容を吟味してみる。同書に二千余の講談単行本が収録され、そこには私も具体的に既述しているものが含まれているからだ。本連載305の富士屋書店の『侠客国定忠治(次)』、同306の神田伯山『清水次郎長』などである。

まず『侠客国定忠治次』を見ると、三冊が収録され、それぞれ明治二十八、二十九、四十二年版である。揚名舎桃李口演、今村次郎速記、大川屋の明治二十七年初版は共通している。ただ最初の二十八年版には「注」として、「九皐館本〈明治二七〉の譲受再版。表紙も先行本の儘で再版」とあるので、この元版が九皐館なる出版社から刊行されていたとわかる。

本連載257でも大川屋の講談本『大岡裁判 小間物屋彦兵衛』と『勇士仇討吉岡浅之助』に言及しているので、それらもチェックしてみる。すると前者は四種のヴァージョンが挙がりに、大川屋版、ふたつの春江堂版、大阪の此村欽英堂版があるとわかり、これらは講演、速記がそれぞれ異なっている。後者は『吉岡浅之助(勇士仇討)』と大川屋版しかないのだが、やはり「注」には「明治三二年刊の金槇堂本の譲受再版」とされている。

また神田伯山の『清水次郎長』だが、本連載では大阪の改善社版に言及しておいた。しかしここでは大正十三年の武俠社の前後編、同十四年の改善社版、昭和十五年の石渡正文堂版の三種が挙がり、これらはすべて神田伯山口演、速記者なしと記されている。その理由はこの『清水次郎長』が武俠社版刊行と相前後して、『東京朝日新聞』と『大阪毎日新聞』に連載されたからで、原稿は速記者抜きで仕上げられたからであろう。そして改善社版の刊行は『大阪毎日新聞』連載と関係していたはずだが、「注」には「先行の武俠社版を一部手直しして重版」とあるので、これもまた譲受出版の一種と考えるほうが妥当のように思われる。武俠社については本連載30で言及しているので、よろしければ参照されたい。

これも同じ神田伯山だが、かつて「講談本と近世出版流通システム」(『古本探究』所収)において、彼の『白波五人男』にもふれたことがあった。これは明治三十一年の愛智堂戸田書店版であるけれど、『集覧』には同年の上田屋版の譲受出版とあり、それが四十年になると大川屋版も出ているとわかる。
古本探究

少ししか例を挙げられなかったけれども、『集覧』において、明治期の講談本がひとつのタイトルごとに元版、譲受出版、そのさらなる再版が追跡され、それらの書誌的解説が施されていることを理解していただけたと思う。これらは大半が稀覯本といっていいし、その収集や書誌作成がいかに時間と労力がかかる仕事であるかは説明するまでもないだろう。

関根黙庵が『講談落語今昔譚』(東洋文庫)で述べているように、講談口演の最も高潮の時代は明治初めから二十年頃までで、これに併走するかのように大川屋が菊判講談本を刊行し、一世を風靡したと伝えられている。しかし『集覧』が明らかにしてくれたのは、その大川屋にしても、譲受出版が多く、明治前半期には多くの出版社が講談本に挑み、あえなく退場していった事実である。九皐館や金槇堂はそれらの一部と見なせよう。吉沢の『集覧』はそうした明治期の講談本のデータベースであり、これと新島の『講談博物志』を照らし合わせれば、このデータベースを基にして譲受出版と再版が繰り返され、大正、昭和戦前のみならず、戦後まで続いていたことが判明するであろう。
講談落語今昔譚 『講談落語今昔譚』

なお飯田豊一インタビュー『「奇譚クラブ」から「裏窓」へ』は今秋刊行予定である。

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