出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話339 「音楽大講座」と『声楽と歌劇』

アルスは昭和十年代に「音楽大講座」全十二巻を刊行している。これは円本時代の「西洋音楽大講座」の焼き直しだと思われるが、そのうちの一冊『声楽と歌劇』を入手している。

この時代の音楽書というと、ただちに思い出されるのが、第一書房による大田黒元雄の多くの著作と翻訳であり、その一方でアルスもまたこのような音楽シリーズを手がけていたことに気づく。そういえば、その西洋音楽に関する第一人者的存在であった大田黒自身が、意外なことに福原信三の『写真芸術』の同人に加わっていたのだから、モダニズム人脈が分野を横断してつながっていたことを示唆している。

ただそれにしても、円本に類する出版企画の場合、その前史が必ずあるはずで、それは『詩と音楽』ではなかっただろうか。アルスがこの雑誌を出していてことを、近藤憲二の『一無政府主義者の回想』における証言によって知った。それについて、『日本近代文学大事典』の立項を引いてみる。

日本近代文学大事典

 「詩と音楽」しとおんがく 詩、音楽雑誌。大一一・九〜一二・九。北原白秋山田耕作を主幹としてアルスより創刊。菊倍判、毎号約一〇〇ページ前後の豪華雑誌。「『詩と音楽』の誇るに足る一つの特徴は毎号清新な歌謡の作曲を巻頭に添へることによつて、単なる結合或は和合に終らんとする詩と音楽の両者を、完全に、有機的に融合せしめる点である」(耕作)と創刊号に述べられているが、詩と音楽の芸術的融合を試みた画期的な試みとして歴史的な意味が深い。(後略)

なお関東大震災もあり、通巻十三冊で廃刊となっている。残念ながら未見なので、ここに名前が挙げられている「詩」のメンバーではなく、山田耕作の系列に属する「音楽」関係者は不明のままである。だがこの『詩と音楽』の編集と執筆者たちとのつながりをベースにして、「音楽大講座」も編まれたのではないだろうか。

しかしいずれにしても驚いてしまうのではそれらの専門書的色彩で、特に所持する『声楽と歌劇』や第八巻『ジャズ音楽』などは当時の読者数から考えても、よく刊行したと思わざるをえない。その他の巻も入門的な「講座物」のイメージを超えた作曲、各種楽器の実技、各種音楽の鑑賞で、きわめて専門性に富んでいる。この前版が円本時代の「西洋音楽大講座」で、こちらは十年代のヴァージョンアップ版だと見なせるが、その原型が昭和初年に提出されていたと考えられる。とすれば、春秋社の膨大な『世界音楽全集』も含めると、写真や美術と同様に音楽環境も、大正時代を通じてこちらも驚くほどの進化を遂げていたように思われる。

例えば、具体的に『声楽と歌劇』の主な内容を挙げてみよう。

矢田部勁吉 「コール・ユーブンゲンの練習」
長坂好子  「マルケージの練習」
武岡鶴代  「コンコーネの練習」
田中伸枝  「ドイツ名歌謡曲の歌ひ方」
太田黒養二 「フランス名歌謡曲の歌ひ方」
内本実    「イタリー名歌謡曲の歌ひ方」
太田綾子  「日本歌謡曲の歌ひ方」
関谷俊子  「歌劇の歌ひ方」
藤原義江  「歌劇歌手を志す人へ」

ちなみに簡単にいってしまうと、「コール・ユーブンゲン」は合唱練習曲集、「マルケージ」は声楽教則本、「コンコーネ」は声楽教材を意味する。それぞれの「練習」と「名歌謡曲」には楽譜と各国語と日本語訳が添えられ、専門性をいやが上にも高めている。

それでも題材からいって、『声楽と歌劇』の中で太田綾子の「日本歌謡曲の歌ひ方」が最もポピュラーなので、それを紹介してみる。太田は「人間の感情の発表を声に現はし、更にまた言葉を加へて歌にする時、我々は我々が最も長く使用し、また教育されて来た親しみ深い国語に一番たやすく感情をゆだねることができる」という視点から、十四曲の歌を選んでいる。それらは『詩と音楽』の北原白秋山田耕作の作詞作曲「からたちの花」「六騎」「城ヶ島の雨」、さらに白秋の作詞として「泊り船」「ちんちん千鳥」、山田の作曲として「病める薔薇」であり、半分近くが二人の作詞作曲ということになる。
からたちの花

太田は日本における「歌曲創作黎明時代」について、山田の音楽に育てられ、それに白秋と「病める薔薇」などの三木露風が寄り添い、「詩人も歌ひ、作曲者も唱ふといふ時代」が出現したと述べている。そして具体的に「からたちの花」の詩に音楽記号を付し、その「歌ひ方」を微に入り細に入り、説明を加え、彼女の「からたちの花」への愛着を示しているかのようだ。

白秋は大正時代に鈴木三重吉の『赤い鳥』創刊にあたって、伝唱童謡を収集し、自らも創作し、『トンボの眼玉』に始まる多くの童謡童話集をアルスから刊行している。これもまた「児童の発見」に伴う「童謡の発見」の時代とよぶことができようし、「からたちの花」もそうした一編であり、それに音楽も同伴していたと見なせるだろう。そのようにして、「日本名歌謡曲」も成立するに至ったのである。

トンボの眼玉

なおイタリーの「名歌謡曲」について付け加えておけば、イタリー歌謡曲にはすべての歌詞に日本語訳が付されている。その訳者は本連載18で取り上げた下位春吉であり、それはファシストに扮していた下位が、当然のことであるかもしれないが、実は抒情詩人の資質を秘めていたことを物語る歌詞になっている。


〈付記〉
本連載323の小川霞堤に関して、『挑発ある文学史』の秦重雄のご教示により、小川が『大阪現代人名辞書』(文明社、大正二年)に写真入りで立項されていることを知った。
なおこの辞書は03年に日本図書センターによって、『大阪人名資料事典』第1巻として復刻されている。
大阪人名資料事典

[関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら