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古本夜話341 水田健之輔『街頭広告の新研究』と「商業美術研究叢書」

ドイツ人文化史家の近代照明史とでもいうべき『闇をひらく光』『光と影のドラマトゥルギー』(いずれも小川さくえ訳、法政大学出版局)を読んで、日本の照明の歴史にも関心を覚え、それらの資料を古本屋で買い求めた時期があった。そのうちの一冊についてはすでに「宮武外骨と『東京電燈株式会社開業五十年史』」(『古本探究3』所収)を書いている。

闇を開く光 光と影のドラマトゥルギー 古本探究3

そうした資料の中に水田健之輔著『街頭広告の新研究』があり、その目次には「照明広告」なる一章、口絵写真にはパリやベルリンの「街頭夜間広告」が見えたので、それらに惹かれ、購入しておいたことを思い出した。あらためて取り出してみると、それは昭和五年にアトリエ社から刊行されたもので、本扉に「商業美術研究叢書第一篇」という記載があった。これは裸本だが、アールヌーヴォー的なデザインで、これも確認してみると、装丁は「商業美術協会田中武案」、見返しは「巴里の百貨店(マガザン)プランタンの包装紙」とあり、カバーが欠けていることを残念に思った。

それらはともかく、『現代商業美術全集』をもう一度繰ってみると、第十九巻『新案商標・モノグラム集』に水田の「商票汎論」というかなり長い論稿、また第八巻『電気応用広告集』に「照明広告の歴史」「電気看板の分類と其施工要諦」といった、まさに照明史論なども見つかった。

新案商標・モノグラム集 電気応用広告集 (ゆまに書房復刻版)

さらに「商業美術月報」第十九号の浜田増治の「編輯室から」に、次のような記述があった。これは前回挙げた「同月報」第十六号の一文と並んで、この『現代商業美術全集』の成立に関する重要な証言なので、やはり引いておくことにしよう。

 (前略)考へて見ると、未知の原野に鍬を打ち込んで、商業美術の体系を樹てるに努力して二年有余、私が商業美術確立の運動を起してから五年、幸ひに商業美術の名称は世に普ねく、全く全集会員諸君の後援で、我が徒の王国が其処に見出されたのであるが、尚前途を考へて見ると、商業美術学のより深い研究と其大体系は私の終生の事業として残されてゐる。(中略)
 商業美術の研究は本全集だけの完了を以つて足れりとするものではない。私の考へでは、少くともまだ商業美術大系の必要がある。(中略)
 これからが愈々商業美術の本格的研究に入るべきである現代商業美術全集が世人の注意を喚起し、実際美術の領域が学的社会の視野から水平線下に没していたものを、いささかでも、これを水面に浮べて、興味と刺激とを与へることに役立てんために試みられたのが本全集の使命である。

このように浜田は『現代商業美術全集』についての意義と抱負と使命を述べた後、企画編集の過程で、「本全集が最も真摯な研究家を見出した」として、次のような人々の名前を挙げている。

 水田健之輔氏、中里研三氏、矢島週一氏、藤澤衛彦氏、栗屋義純氏、古田立次氏、山口亀之助氏等は今後の商業美術学の検討に当つて努力を惜しまれざる人々である。これに田附氏、仲田氏等も加わつて、我々は先づそれに商業美術学会を組織しようと思ふ(後略)。

ここに最初に挙げられた人々はこの全集のために馳せ産じた寄稿者たちであり、他ならぬ『街頭広告の新研究』の著者水田健之輔もその一人だったことになる。しかも水田は浜田から最も期待を寄せられていたようで、それ、『現代商業美術全集』から派生した「商業美術講座」第一篇の著者となったこと、水田の「自序」における浜田への謝辞に示されていよう。

実際に『街頭広告の新研究』を読んでみると、浜田がどうして水田に期待を寄せていたかがわかるように思う。その自序に断わられているように、水田は都市学と社会学の視点から街頭広告を見ているのだ。関東大震災後の復興を遂げつつあった昭和初期の東京という都市における、記号としての街頭広告について、「街の絵姿」を構成する「色彩の洪水と光の怒涛と音楽の海瀟」、及び「電車の軋音や自動車の警笛やラジオの騒音」の中で、その審美を考察しようとしている。そして「広告は街の真実の子供である。街の子供とは、叫び、吠え且つ乱雑である。従つて広告を教育しなければならない。吾々はその教育を試みんと思ふものである」とまで、水田は書きつけていて、浜田の商業美術学志向と共通している。

しかし読み進めていくと、その「新研究」の大半が日本の事例ではなく、ドイツのものであり、それに沿って論が展開されていく。それは最初にふれた口絵写真のすべてが外国のものであって、一枚たりとも日本の街頭広告の写真がなかったことと共通している。明らかに水田の著作というよりも、翻訳に近い。確かに水田は「自序」で、「本書は私の独創のものではない。其の骨子はTraugott Schalcher氏の“Die Reklame der Strasse”に負うところ大である」との記述が見えているが、ほとんど同書の翻訳だといっていいかもしれない。

もちろんそれは水田に限ったことではなく、『現代商業美術全集』の様々な分野に、これも共通して表出しているものだし、円本時代の企画そのものがそのようにして立ち上がってきたことも、指摘しておかなければならないだろう。

しかしこの一文はドイツ人文化史家の近代照明史から始めたのだが、一巡してやはりドイツ人の著作に戻ってしまったことになる。これにも目を通してみたいと思う。

さてこの「商業美術研究叢書」は全五巻が予告されていたが、完結を見ることなく中絶してしまったようだ。それから浜田が構想していた商業美術学会は組織化されたのであろうか。

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