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古本夜話345 加藤彰一の原始社とその出版物

前回ふれた塩澤珠江の『父・吉田謙吉と昭和モダン』の口絵写真のブックデザインのところを見ていて、吉田が昭和二年に原始社から出されたピリニヤーク著『日本印象記』(井出孝平、小島修一共訳)の装丁もしていることを知った。

父・吉田謙吉と昭和モダン

実はここで取り上げたいのはこの原始社という出版社のことで、これも長きにわたって気にかけているのだが、まったく手がかりをつかめないまま年月が過ぎてしまったのである。それでも原始社の本は二冊入手していて、それらは小山内薫の『演出者の手記』とカアル・シュテルンハイム作、久保栄訳の『ブルジヨワ・シツペル』で、前者は昭和三年五月発行の菊判箱入、一部革装丁、五百ページ余、定価五円の豪華本の趣きを感じさせる。しかも出版は小山内の急逝のちょうど半年ほど前だから、内容もタイトルに見合って築地小劇場における「演出者の手記」の色彩が強く、小山内が生前に上梓した代表的著作の一冊ともいえるのではないだろうか。
後者のもう一冊は昭和二年刊行、四六判の喜劇五幕物であり、この一冊から考えても、原始社が築地小劇場と新劇運動の近傍に位置していたと想像がつく。なお発行者は加藤彰一で、原始社の住所は東京市外西大久保から日本橋呉服町へと移っている。

そしてまたこれらの二冊の巻末広告には、北村小松村山知義などの創作戯曲とアンドレーエフやチェーホフなどの翻訳戯曲の他に、リトルマガジン露西亜文学研究』や「ソヴエト・ロシア文芸叢書」、美術や映画などの「新露西亜の研究書類」といった分野にも及び、原始社が昭和二、三年の時点で、新劇からロシア文学に至る出版によって、かなり多くの本を出していたとわかる。先の小山内の『演出者の手記』と同じ演劇研究書として、吉田の『舞台装置に就て』なる一冊も近刊予定になっているが、これは塩澤の著書にも挙げられていないので、刊行に至らなかったのであろう。

しかしこのように築地小劇場と新劇の歴史と併走したと思われる原始社と発行者の加藤彰一であっても、平凡社『演劇百科大事典』の中にそれらの名前を見つけることができない。そのことは小山内薫久保栄の評伝類を読んでも同様である。かつて山本夏彦『完本文語文』(文春文庫)の中で、明治から大正にかけての代表的な総合出版社にして、夏目漱石『吾輩は猫である』『行人』を刊行した大倉書店にふれ、「これだけの本屋なのに文学事典には出ていない。出ていてもお座なりである。文学事典は出版社につめたい」と述べていたが、それは文学事典だけでなく、演劇事典も美術事典もしかりで、日本の文化に関する様々な事典のすべてに当てはまるものだといえよう。

ロシア文学翻訳者列伝

またロシア文学方面からのアプローチも考えられるので、本連載でも何度も言及した硨島亘の『ロシア文学翻訳者列伝』東洋書店)にも期待したのだが、残念ながら原始社と加藤の名前は挙がっていなかった。

ロシア文学翻訳者列伝

しかしそれでも翻訳戯曲の訳者からたどっていくと、いくらかの手がかりをつかむことができたので、それらを書いておこう。訳者としてアンドレーエフなど四冊に名前を連ねているのが熊沢復六、バーナード・ショーなど五冊を担当しているのが北村喜八で、さらに熊沢は「ソヴエト・ロシヤ文芸叢書」の訳者、北村は演劇研究書『新しき演劇へ』の著者となっている。つまり昭和三年の『演出者の手記』の巻末広告だけでも、二人で原始社から十冊以上出していることになり、彼らは原始社の主要な訳者と著者であるとわかる。

そこで熊沢を『日本近代文学大事典』で引いてみると、露文学翻訳家で、大正十年に東京外語文化貿易科露語部卒。同十三年築地小劇場文芸部に入り、北村喜八との共訳、アンドレーエフ『横っ面をはられる彼』、チェーホフ『心にもなき悲劇役者』の翻訳台本は好調で、昭和二年には新劇同人雑誌『原始人』に参加とあった。

日本近代文学大事典

次に北村を同じく引くと、東大在学中に帝大劇研究会を組織し、大正十三年に築地小劇場文芸部に参加し、欧米戯曲の翻訳にあたり、また演出陣にも加わり、活発な演劇活動を行うと記されていた。

幸いなことにこの『原始人』の創刊号は国会図書館のデジタルライブラリーで見ることができ、その「宣言」として、「新興文芸家の理想的機関」が挙げられ、この「新興文芸」とは「新劇」を意味しているといっていいだろう。それを証明するかのように、寄稿の半分以上が戯曲に関するもので、巻頭の北村の「創作劇と翻訳劇」に続いて外山卯三郎の「戯曲のテンポオに就て」、八住利雄の「アンドレエフの作品」が掲載されている。外山と八住も原始社のメインの訳者である。ただ熊沢は編集兼発行人の立場に専念したゆえなのか、寄稿は見られない。

この『原始人』が何号まで出たのかは確かめていないが、誌名といい、同人メンバーといい、原始社と深い関係にあったことは間違いないだろう。これらの事実から判断すれば、原始社の加藤彰一も築地小劇場の関係者、もしくはその近傍にあったことから、出版者への道を歩み出したと思われる。

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