出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

出版状況クロニクル67(2013年11月1日〜11月30日)

出版状況クロニクル67(2013年11月1日〜11月30日)

11月半ばの新聞に、セブン&アイ・ホールディングスの見開き2ページ広告がうたれ、その右側1ページに「セブン‐イレブン創業40周年記念 国内売上高3.5兆円。国内15,800店舗。」という文字と数字が掲載されていた。
それを見て、あらためてセブン‐イレブンのほうが書店数を上回ってしまったことを実感させられた。調べてみると、12年の書店数は1万4696店、セブン‐イレブンは1万5072店なので、店舗数の逆転はすでに昨年に生じていたことになる。そればかりか、コンビニ全体で考えれば、各社の13年の大量出店によって、5万店を超えているわけだから、年を追うごとに両者の店舗数の差は開いていくばかりであろう。

このような事実は、これが1970年代以後における出版業界の変貌の行き着く先のひとつであったことを思い知らされる。それまで出版業界は出版社・取次・書店という近代出版流通システムによって営まれてきた。しかしコンビニの70年代前半の誕生を機にして、雑誌のための出版社・取次・コンビニという現代出版流通システムが立ち上がったのである。その帰結、セブン‐イレブンの場合でいえば、「創業40周年」の成果として、書店数を超える大店舗網が構築され、書店は雑誌売上を奪われ続けてきたといえよう。

それに加え、流通システムの改革を伴うことのない、郊外店を始めとする書店のバブル出店などによって、70年代にあった2万店を超える中小書店のほぼすべてが消えてしまったことになる。


1. 日販の13年版『出版物販売額の実態』が出され、そのうちの「販売ルート別推定出版物販売額」が『出版ニュース』(11/中)に掲載されているので、それを示す。

 合計販売額は出版科学研究所の数字と少し異なるが、ほとんど同じだといっていい。

■販売ルート別推定出版物販売額推移(単位百万円)
書店CVSインター
ネット
駅売店生協スタンド割販合計
20031,619,201463,83192,25450,00028,6565,9002,259,842
20041,624,879447,09181,18748,96927,7113,2002,233,037
20051,603,619439,17174,87347,50026,6852,9342,194,782
20061,596,433425,32667,63842,23125,0582,4422,162,636
20071,501,878382,21793,20067,64442,00023,2302,110,169
20081,467,849354,654101,20063,60541,60021,5572,050,465
20091,426,829312,413113,40059,52940,76820,3071,973,246
20101,401,681285,984128,50053,39739,77319,2911,928,626
20111,358,596261,737137,10045,82438,00017,6321,858,889
20121,290,498245,134144,60040,20935,50016,0451,771,986
 *2007年度より割販ルートを廃止し、インターネットルートを新設した


[インターネットを除くと、他のすべてのルートがマイナスである。とりわけコンビニと駅売店=キヨスクの落ちこみは激しく、03年に比べ、前者は半分近く、後者にいたっては半分以下になっている。これは今世紀に入ってからの雑誌の凋落の、そのままの反映であろう。

ルート販売額の構成比を見ると、書店72.8%、CVS13.8%、インターネット8.2%、駅売店2.3%、生協2.0%である。

08年からインターネット販売額が1000億円を超え、唯一成長を続けているけれど、それは他のルートのマイナスを埋めるものではない。

これは本クロニクルで繰り返し既述してきたが、シェアの70%以上を占める書店に関しては、再販委託制に基づく近代流通システムの制度疲労と構造的問題がそのまま投影され、しかもそれにコンビニ、公共図書館ブックオフなどとの競合が加わり、下げ止まりのないマイナスが加速していったと判断するしかない]

2.リードでも1でもコンビニにふれているので、その「出版物取扱い比率・売上高」上位7社も示す。これも同じく『出版ニュース』(同前)に掲載されている。

CVSの『出版物取扱い比率・売上高』 2012年度
順位企業名年間
総売上高
(億円)
店舗数11年
店舗数
1店舗当
売上高
(百万円)
出版物
取扱い比率
(%)
出版物
売上高
(百万円)
1店舗当
出版物
売上高
(百万円)
1セブンイレブン35,08415,07214,005232.82.381,9455.4
2ローソン16,9349,7529,065173.62.745,6574.7
3ファミリーマート15,8468,7728,164180.62.844,3235.1
4サークルK・サンクスジャパン8,7625,3295,084164.42.723,8654.5
5ミニストップ3,5272,1682,046162.72.89,8194.5
6デイリーヤマザキ2,2571,6481,648137.03.37,3854.5
7セイコーマート1,8461,1571,134159.61.83,3522.9
 7社 計84,25643,89841,146191.92.6216,3464.9
 

[上位7社だけであるが、これが12年の店舗数4万3898店による出版物売上高2163億円の販売流通のインフラとなる。
しかしこれは『出版社と書店はいかにして消えていくか』『出版業界の危機と社会構造』で言及しておいたけれど、1990年代後半にコンビニ総数は5万店近く、98年には一度だけ5万店を超え、しかも売上は同年をピークとして5571億円で、出版物売上高の21%強を占めるに至っていた。

それから考えると、現在のコンビニ数は大手のシェアが高まり、90年代後半の水準へと戻ったことになる。だが売上高は5571億円から2451億円と半分を割る3100億円のマイナスで、書店以上に売上が落ちこみ、雑誌の凋落をよりあからさまに映し出していたのである。

それに伴って留意すべきは、コンビニの「1店舗当出版物売上高」で、セブン‐イレブンが540万円、セイコーマートに至っては290万円となっていて、前者ですらも月商に換算すれば、50万円に満たない。取次の通常の採算ベースからすれば、月商50万円以下の書店との取引は成立しないであろう。それがコンビニにおいて可能となっているのは、あくまでコンビニ本部とのグロス取引ゆえで、セブン‐イレブンの場合は819億円という出版物売上高に負っている。

だがそれでも取次が取引不可能な書店に等しい月商50万円前後のセブン‐イレブンを1万5000店以上抱えている事実に変わりはない。90年代の月商100万円ベースの売上であればともかく、半分以下になったコンビニの出版物売上の現在、取次にとって単店では採算がとれる構造になっているとは思われない。しかもその売上の下げ止まりはまったく見られないわけだから、これ以上単店売上が落ちこんでいくと、グロス取引金額と単店売上額のバランスが崩れてしまうことも考えられる。

したがって出版危機は出店が加速し、成長を続けていると見なされるコンビの雑誌売場にもシビアに表われているのである。

コンビニの雑誌売上高については、不破雷蔵のブログでさらに詳しい分析がなされている]

出版社と書店はいかにして消えていくか 出版業界の危機と社会構造

3.『出版月報』(11月号)が特集「検証 出版の現在、そして今後」を組んでいる。これは10ページにわたるもので、サブタイトルとして「データや実績が教えてくれる出版界の目指す道筋は!」とあり、(1)出版不況を呪文のように唱える前に……(2)業界として動き出した構造改革(3)多様化する読書環境(4)将来につながる今、やるべきことという4章仕立てになっている。
それらを要約してみる。

(1) 96年をピークとし、その後16年連続して売上金額が前年割れし、12年はピーク時の66%にまでおちこんでいる。しかし書籍と雑誌は大きく異なっている。書籍の落ちこみは97年からの日本の生産人口(15〜65歳)のマイナスとパラレルで、人口減少がその要因である。
雑誌の場合はそれに加え、月刊誌、週刊誌の部数が半分以下になっていることで、それは定期読者層の急激な減少を意味している。雑誌のテーマがインターネットの普及、多様化したライフスタイルによって崩れ、雑誌のカテゴリーは細分化し、安定したメジャー雑誌はもはや成立せず、「雑誌の書籍化」が進んでいる。

(2)雑協による雑誌価値再生委員会が立ち上げられ、編集者と読者の双方が望む、立ち読みですませられない特集の強化、精選した情報を推奨していく役割の強化、編集者が表に出ることによる雑誌のコンセプトの明確化という方針が出された。それをふまえ、14年4月12日に9誌の増刊号が一斉に出される。

流通制度の改革と近刊情報問題は、JPOの「フューチャー・ブックストア・フォーラム事業」やそのレポートにすぎないので、省略する。

(3) この章は公共図書館、新古書店、電子書籍、学校読書推進運動「朝の読書」、書店の現在などへの言及だが、これらも従来の公式的見解を一歩も出るものではないので省略。

(4) これが結論の章に当たり、ようやく公式的でないまともな肉声に出会う。それらを引いてみる。

「この16年にわたる出版業のマイナス成長した出版界の あまねく本を行き渡らせる仕組みが大きく転換を迫られているのだ。」

「今求められているのは業界の英知を結集した出版界らしい魅力を回復させるための取り組みだ。それは面白い本や雑誌づくりであり、顧客が満足する売場づくりなのではないだろうか。」

このふたつの言に、(3)に思わずもれていた流通販売における「ゆくゆくは書籍だけで採算が取れるようにならなければ……」を加えれば、それでこの特集は尽きてしまうであろう。


[『出版月報』は毎月のデータとしての「販売概況」を確認するために、それこそ「定期購読」しているが、ミクロ分析で読ませる号はあっても、このようなマクロな特集はまったく向いていないとよくわかる。

例えば前提となっている「出版不況」という認識は正しいのか、データの恣意的利用、分析の矛盾、再販制問題など、批判していけば、きりがないほどだ。

それは全国出版協会内出版科学研究所というスタンスも大いに作用しているのだろう。

しかしそれでも近年、総合誌も経済誌も専門誌も、危機下にある出版業界に関する特集を組むことがまったくなかったことを考えれば、一定の意味において評価すべきかもしれない。だがこの特集がカノンとして流通することに危惧を覚えると書いておこう]

4.続けて『出版月報』関連を取り上げてみる。こちらは先月取り上げられなかった10月号のミクロ分析=ミニレポート「新刊点数推移で見る翻訳書出版」である。
 まずはその児童書も含めた翻訳書の推移を示す。

■取次窓口経由
翻訳書新刊点数
新刊点数
94年4,303
99年4,964
04年5,756
07年5,692
12年4,731

[かつては小説にしてもビジネス書にしても、翻訳書が必ずベストセラーになっていたことがあって、今世紀においても「ハリー・ポッター」シリーズ『ダ・ヴィンチ・コード』などを挙げることができる。それらは現在でもブックオフでよく見かけるし、ベストセラーの名残りを伝えている。

しかし近年、翻訳書はベストセラーリストにほとんど入っておらず、07年に比べて12年は新刊点数が961点減となっている。これは文学における320点、児童書の327点減によるところが大きい。

出版社発行形態についての詳細は差し控えるが、これらの減少傾向は翻訳書がアドバンスという前払保証印税が必要で、それに翻訳料を加えると、15%ほどのコストがかかるために、出版リスクが高く、企画として成立し難くなっているのだろう。

これもひとつの出版のコンテンツ衰退の一因ともなり、翻訳大国でもあった日本もそうした出版史から切断されてしまうことも考えられるし、不可欠な翻訳すらも出なくなってしまうかもしれない]

「ハリー・ポッター」 ダヴィンチ・コード

5.3と関連する資料集として、能勢仁・八木壮一共著『昭和の出版が歩んだ道』出版メディアパルから出された。


のような出版の現在に関する特集を組む場合、近代出版史とまではいわないにしても、戦後出版史に関する知識と理解が不可欠なのだが、それにかなったコンパクトな一冊が出現したことになる。

とりわけ第4章から6章にかけては、取次、出版社、書店の、主として1990年以後の「盛衰記」が具体的に語られ、近年の出版業界の生々しい現実をまざまざと想起させる。

個人の立場で出版業界について発言することも、出版社や書店のことに言及することも、まったく自由である。だがこの一冊に示された出版業界における現実をはっきり認識した上でのことにすべきだろう。そこにはあまたの破産と悲劇があり、多くの人たちが行方不明となり、消えていったのである]

6.ブックオフは来年3月までに直営店20店を閉鎖。既存店売上がコミックの落ちこみもあって低迷し、新刊書籍や雑誌の取り扱いを増やし、カフェを併設する新たなパッケージモデル開発へシフトするという。

『ブックオフと出版業界』で示しておいたように、そのコアと成長の原動力はフランチャイズシステムによる出店にあった。そして12年に1009店を数える新古本産業としてのナショナルチェーンへと至ったのである。

しかし本クロニクル65でふれたように、新刊市場の凋落の影響を受けたゲオの中古本からの撤退などから見ても、ブックオフもすでに衰退過程に入ったと考えて間違いないだろう。

それに直営店ですらも20店を閉めることになるのだから、末端のFC店はさらに苦戦に追いやられているはずで、在庫問題の処理の目途が立ち、5年間のFC契約が切れれば、ブックオフから離れるところも多く発生すると思われる。

だが20年以上にわたって継続し、客層も定着したブックオフ商法がなくなるわけではなく、業態、規模、システムを変えるようなかたちで存続し、新刊市場にパラサイトするビジネスの終わりを迎えることにはならない。

それにしてもブックオフの株主である大手出版社の声が何も聞こえてこないのはどうしてなのだろうか]

ブックオフと出版業界

7.CCCは山口県周南市の新たな徳山ビルにおける図書館企画に関して、受託を発表、開業は2018年で、佐賀県武雄市、宮城県多賀城市に続いて、3ヵ所目となる。武雄市図書館のノウハウを導入し、カフェ、レストランなども併設するとされる。それに神奈川県海老名市も続いている。

[これも『ブックオフと出版業界』で記述しておいてことだが、ブックオフと同様に、CCC=TSUTAYAのコアと原動力もフランチャイズシステムによる出店にあった。なぜ両者のコアが同じかといえば、CCCがブックオフにそれを伝授したからであり、両者はまたフランチャイズを交差させてもいたし、現在もブックオフはそれを続けているはずだ。

そのCCCも地域フランチャイズシステムを否定するような、新たな大型店出店戦略を採用し、1400店に及ぶナショナルチェーンの再編成へと向かっている。これもまたブックオフと同様の、従来のシステムの限界を物語っていると思われる。

しかしその大型店出店のかたわらで起きているのは、DVD廉価貸し出しであり、すでにCCCの100円を割りこみ、ゲオなどの50円を始めとして、70円、80円も出現してきている。

CCCのこれまでの複合店にしても、レンタルの収益によって、FCシステムとともにその大型店舗チェーンオペレーションは維持されていたと見なせる。だがこのようなレンタル廉価競合の中にあって、それは可能なのであろうか。

その一方で、CCCは代官山蔦屋プロジェクト、図書館事業、そして今月はカフェ事業やライブ事業を発表しているが、FCやレンタルに代わる収益を生み出すビジネスモデルとは思われない。従来のFCシステムが限界に達したのはブックオフだけでなく、CCCも同じであり、両社はどこへ向かおうとしているのだろうか]

8.そのCCCの図書館事業をめぐって、横浜の図書館総合展で、10月30日に「“武雄市図書館”を検証する」と題するフォーラムが開かれた。このレポートが『文化通信』(11/4)と『新文化』(11/7)に掲載されているのだが、内容紹介に温度差があり、両者を読めば、それなりにポレミックだったようなので、それらの発言をまとめてみる。

 パネラーは慶應義塾大学の糸賀雅児教授、武雄市の樋渡啓祐市長、CCCの高橋聡プロジェクトリーダー、司会は立命館大学の湯浅俊彦教授。

糸賀 「武雄市図書館は集客力をもった本のある公共空間をつくりだすユニークな試みで、これまでのモノサシで測れないし、測ってはいけない。だが独自に実施した、隣接する伊万里市民図書館との資料利用比較調査によれば、資料利用は前者の半分以下で、来訪者が増えたというが、その割に資料利用は少なく、これでは市立図書館というより公設民営ブックカフェではないか。

 CCCは利益がないとやらない。新聞・雑誌コーナーが狭く、雑誌も30誌程度でバックナンバーも少ない。TSUTAYAに約600点の雑誌があるというけれど、立ち読みを推進するだけで返品されることを、出版社によっては懸念している。

 図書館サービスは行政サービスで、そのためには継続性、公平性、公立性の3点を考慮した指定管理者による図書館運営を期待したい。」

桶渡 「それらのディテールは嘘ばかりだ。ビジネスコーナーはパソコンの禁止で、地域資料は以前に変わらず少なくない。

以前は年間94日の休館日、閉館は午後5時半で、仕事帰りのビジネスマンは来館することができず、市民も2割しか利用しておらず、閉店図書館にふさわしかった。

 ところがCCCと組んで図書館運営を始め、来館者は急速に増え、宿泊客も増え、タクシーやホテルの稼働率が3割も上がり、町づくりのエンジンとなり、近隣に住みたいとの声も聞くようになった。

 意図していないが、図書館の中に街ができた。コミュニティスペース、情報発信スペースとして、図書館が機能している証ではないか。

 ただ提供者目線で図書館がうまく回るかはまだわからないし、重要なのはユーザーである市民が満足するかどうかで、足りない部分は他館のいいところを取り入れていきたい。」

高橋 「市民価値に対して、どういう図書館であるべきかを考えているが、あるべき図書館像に対する論理、他館との比較は無理。

収益は基準ではないし、市民視線の図書館の具現化が焦点であり、ここまで言われると、導入の考えのある首長もビビるのではないか。」

[これらはすべて『文化通信』と『新文化』のレポートによっているので、細部にわたって正確かどうかは保留としておいたほうがいい。

だがこれは冗談でいうのではなく、近年出版業界において、まったく聞くことのなかった真面目なポレミックであり、三者三様にいかがわしさも含んで、それぞれの立場と主張を打ち出している。

私見によれば、問題は図書館の民営化の是非の一点にしぼられると思う。図書館官僚の糸賀はあくまで行政サービスとしての公営へのこだわり、政治家としての樋渡は市民満足度に基づく民営化、CCCの高橋はビジネスと市民視線の図書館の両立による民営化ということになろうか。

これを真面目なポレミックだと先述したのは、出版社、取次、書店の三者が再販制であれ、出版危機であれ、重要な問題は何であっても、ここまでストレートに意見を交わしたことがないように思われるからだ。

このフォーラムを揶揄することは簡単かもしれないが、そのような資格を、出版業界の誰もが持ち合わせていないことを肝に銘じるべきだろう。

なお これを書いた後で、フォーラムの発言全文がHUFFINGTON POSTに掲載されていることを知った。だが拙文を修正する必要はないと判断し、そのまま載せている。そのようなわけで、フォーラム発言全文はこのサイトを参照されたい]

9.マンガ家の鈴木みそが『朝日新聞』(11/20)の「電子で広がる『個人出版』」において、『限界集落温泉』電子版を作り、300万円近くを売り上げ、9月分までで印税収入は約900万円に達したと述べている。

限界集落温泉 マスターピース・オブ・オールナイトライブ

[これは特殊な成功例によって、電子書籍の個人出版を紹介しようとする傾向記事に他ならないが、鈴木みそも『限界集落温泉』であるから、成功したと考えられる。

本クロニクル33でもこの作品を紹介してきたし、これはエンターブレインの『月刊コミックビーム』連載と単行本化という前提を抜きにしては語れないのではないだろうか。つまり紙のプロセスがなければ、電子書籍もありえない。それにもともと鈴木は「でもワシのマンガは金にならんのじゃあ」(『マスターピース・オブ・オールナイトライブ』1)といっていたわけだから、すべての作品が売れるはずもないだろう。

このような記事を見て、マンガ家たちの多くが電子書籍の個人出版に向かうようになるかもしれない。だがマンガの戦後史を考えればわかるように、紙をめぐる多種多様の雑誌、編集、読者をベースにして、現在のコミックの成長はあったのだから、それをいきなり電子書籍の個人出版に置き換えても、成功することは少ないはずだ。それから何よりも危惧するのは、出版業界を占領下に置かんとするアメリカのアマゾンという強者にマンガ家がつくことで、それはマンガのエトスと相反しているのではないだろうか。

ゲゲゲの鬼太郎もいっていたではないか。「安心してください。ぼくはいつだってよわいもののみかたです。強いものだけがたらふく食べてよわいものは絶滅するなんてそんなのぼくきらいです」(「妖怪花」 中央公論社版『ゲゲゲの鬼太郎』第3巻所収)と]

「妖怪花」

10.2のコンビニ問題と絡んで、『創』(12月号)に安田理央が「“冬の時代”エロ出版社に吹き荒れるリストラの嵐」を寄せている。これも8の図書館論とはまったく無縁なものとされているが、出版業界にとっては重要なレポートなので、要約紹介しておくべきだろう。

創 12月号


* 20年のオリンピック東京開催が決定し、エロ本の最大の販売ルートであるコンビニのエロ本規制が厳しくなるだろう。コンビニでも販売されるエロ本と書店のみで販売されるエロ本では、部数に3〜5倍ほどの開きがあり、もしコンビニからエロ本が締め出されれば、大半のエロ出版社は立ち行かなくなってしまう。かつてエロ本を支えていた町の中小書店はもはや消えてしまったからだ。

* それらもあるが、エロ本の凋落は今世紀におけるインターネットの普及に伴って始まり、その売上は急速に落ちこんだ。著名なエロ雑誌が次々と休刊し、桃園書房、司書房、東京三世社、英知出版などの老舗出版社も倒産・廃業した。昨年からさらに厳しくなり、コアマガジン、大洋グループ(ミリオン出版、ワイレア出版など)、サン出版が大量リストラに踏み切った。

* 90年代にはコンビニで販売されれば、最低10万部、中には40、50万部を記録するエロ本もあったが、今では10万部を超えるものはほとんどなく、よくて6、7万部で、しかも返品率は5割以上で、売上は90年代の半分以下である。それに広告収入も激減している。

* 現在のエロ本の主流は安く作れる「プレステージ本」で、これは08年頃から急増したDVD付ムックの俗称である。AVメーカーからAVのダイジェスト動画を収録させてもらい、DVDを作り、借りた写真で本誌グラビアを構成する。つまりすべてAVメーカーの素材で一冊を作るので、自前でやるよりもはるかに安くできる。そのために編集者の仕事はAVメーカーから借りた素材をいかに編集するかにかかっている。

* だから撮り下ろしのグラビアや企画色の強いクラビアがあり、モノクロページには特集記事やコラムがあるといった、従来のフォーマットのエロ雑誌はもはや少数派である。企画を考え、モデル、カメラマン、スタッフを手配し、スタジオを押さえ、つつがなく撮影を進行させるというかつてのスキルは現在では活かせず、「プレステージ本」はキャプション程度の文章しかないので、ライターも必要ではない。それゆえにエロ本業界が30年以上にわたって築き上げてきたスキルが失われようとしている。

* さらにエロ本業界を悩ませているのは読者の高齢化で、その主流はインターネットができない40代から50代である。若者たちは無料で見放題のインターネットがメインで、もはや紙のエロ本に執着はなく、さらにこれからネット普及が進めば、金を払ってエロ本を買う読者は、東京オリンピックを待つまでもなく、残っていないだろう。

[まだまだあるのだが、さらなる詳細は『創』の安田文を読んでほしい。これは本クロニクル62でも安田の『ビデオ・ザ・ワールド』休刊レポートにふれ、新書版での刊行を望むと書いておいたけれど、今回のレポートと合わせ、ぜひ一冊にまとめてほしい。仙田弘の『総天然色の夢』(本の雑誌社)以後のエロ本業界史となると期待しているからだ]


総天然色の夢

11.それこそエロ本業界の雄だった白夜書房の元編集者、末井昭の『自殺』(朝日出版社)が出された。

自殺 ぼくんち

[あの『ぼくんち』の西原理恵子が「優しい末井さんが優しく語る自殺の本」という帯文を寄せているのを見て、末井の母親と同様に、西原の父親も自殺したことを思い出してしまった。そういえば、西原も白夜書房で仕事を始めていたはずだし、それは岡崎京子も同じである。

末井は「面白く読める自殺の本」「笑える自殺の本」と自称しているが、それこそ「優しい末井さん」が軽そうに書いた重くて深い本ではないだろうか。

末井の個人史が地方での少年時代、東京での編集者時代を通じて語られ、それらを縦糸として自殺を始めとする様々な問題が論じられていく。

この本を読んでいると、末井がエロ本業界の太宰治のように思えてくるし、この業界が末井も言及している「イエスの方舟」的役割も果たしていたのではないかという気にもさせられる。そしてこのような本が所謂エロ本業界から生まれてきたことに、今さらながらに驚いてしまう。

大手出版社も書協も図書館業界も、このような軽そうに見えて、重くて深い本を生み出してこなかった。それはどうしてなのかを今一度考える必要があろう。言ってみれば、エロ本業界こそは長きにわたって出版業界を支えてきたのであり、多くの作家、マンガ家、編集者たちを輩出させてきた供給源でもあった。末井も『聖書』を引いているので、私もならえば、「われ山に向いて目をあぐ」(「詩篇」)という一節を捧げたくなる。

その意味において、もし本クロニクルの読者が末井の『自殺』を読んでくれれば、今月のクロニクルの使命は果たされたことになろう]

12.戦後のエロ本業界の象徴的存在で、悪書追放運動の槍玉に上げられた『奇譚クラブ』と『裏窓』の歴史を語った、飯田豊一の『「奇譚クラブ」から「裏窓」へ』が「出版人に聞くシリーズ」12として、ついに刊行される。12月初旬書店配本である。

 著者はこの9月に急逝したために、これが遺書的意味も帯び、緊急出版であるので、ご期待下さい。

『「奇譚クラブ」から「裏窓」へ』

13.元セゾングループの堤清二が亡くなった。

 左翼を出自として、戦後の消費社会の造型に向かったキイパーソンの一人であり、出版業界にあてはめれば、リブロやリブロポートもそのビジョンの一環でもあった。

 それらに関しては「出版人に聞く」シリーズ1の今泉正光『「今泉棚」とリブロの時代』、4の中村文孝『リブロが本屋であったころ』を参照いただければ幸いである。


《既刊の「出版人に聞く」シリーズ》

「今泉棚」とリブロの時代 盛岡さわや書店奮戦記 再販制/グーグル問題と流対協 リブロが本屋であったころ 本の世界に生きて50年 震災に負けない古書ふみくら 営業と経営から見た筑摩書房 貸本屋、古本屋、高野書店 書評紙と共に歩んだ五〇年
薔薇十字社とその軌跡 名古屋とちくさ正文館 『「奇譚クラブ」から「裏窓」へ』

以下次号に続く。