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古本夜話356 アプトン・シンクレアと木村生死訳『拝金芸術』

前々回、飯田豊二が企画編集に携わったと見なせる金星堂の「社会科学叢書」「社会文芸叢書」「先駆芸術叢書」を挙げておいたが、もうひとつあって、それは『世界プロレタリア文芸選集』全十二冊である。これは大正十五年から全十四冊で出された「社会文芸叢書」から二冊を外し、定価八五銭だったのを三十銭とし、四六判並製二百頁の「大衆版」と銘打ち、シリーズ名を変えたもので、昭和五年に刊行となっている。

そのうちのアプトン・シンクレアの木村生死訳『拝金芸術』を持っている。これは小説ではなく、芸術や美学に関する社会学的考察とでも称すべきものである。「訳者の序」によれば、原タイトルの「『マモナアト』(Mammonart)はマモン(金銭強欲の権化)とアアト(芸術)とを結合してアプトン・シンクレアが造った文字」だという。原書は百十一章からなるが、邦訳『拝金芸術』は二十八章しかないことから、これは三分の一ほどの抄訳であり、やはりほぼ同時期に出された『金が書く』(富田正文訳、新潮社)や『真鍮の貞操切符』(早坂二郎訳、同前)と並ぶ資本主義文化批判論集と見なせるだろう。
Mammonart - An Essay in Economic Interpretation

これらの論考の他にも、アメリカのプロレタリア文学者といっていいシンクレアの小説は同時代に多くが翻訳されていて、『ひとわれを大工と呼ぶ 百パーセント愛国者』『百パーセント愛国者』(谷譲次、早坂二郎訳、『第二期世界文学全集』8所収、新潮社)、『資本』(前田河広一郎訳、日本評論社)が手元にある。
人われを大工と呼ぶ &百パーセント愛国者 シンクレーア著 ; 谷讓次, 早坂二郎譯 新潮社世界文学全集第2期第8巻

シンクレアの昭和初期の翻訳は名前を挙げておいたように、主として前田河広一郎と早坂二郎が担っている。前田河に関してはまたの機会に譲ることにするが、早坂は『日本近代文学大事典』などにも立項されておらず、ずっとプロフィルがつかめないままである。これはプロレタリア文学とその翻訳という事情も絡んでいるのかもしれない。ただ貴司山治によれば、早坂は朝日新聞の記者だったようだ。

しかし最大の要因は前回も少しばかりふれておいたように、円本時代を迎え、先の新潮社の『世界文学全集』を始めとして、それこそ日本翻訳史上において、即席にして大量の翻訳者が駆り出されたことで、そこにはまた多くの代訳者も存在していたことも作用していると思われる。そのような翻訳者たちが早坂二郎や木村生死だったのではないだろうか。それにしても後者の名前は一度見たら忘れられないし、「正次」などの日本名の読み換えのように推測される。

ここで『拝金芸術』を挙げたのは早坂二郎と異なり、木村生死という翻訳者のことがかなり詳しく紹介されているからである。それは「跋」を書いている東京商科大学教授船橋雄によって明らかにされたもので、木村はアメリカにおいて、シンクレアと親しく、彼のすべての著作に関する翻訳権を得て日本に戻り、まず本書の抄訳を世に問うたと始め、次のように続けている。

 木村君は九歳の時両親に伴われて渡米し、直ちに紐育に到り住む事九年に及んだので、英語の精神を理解するは勿論、原著書を培つた思想的背景に深い親しみをもつており、此方面の準備に於て日本広しと雖も此人の右にあるまいと思ふ。君は紐育市西九三丁目なるジヤンダーク公立学校に二年、同市西百丁目なるダニエル・ウエブスタ公立学校に二年、クリントン・ハイスクールに一年、折からトマス・ジヤフアスン・ハイスクールに新文化の新設せらるゝや、特に招かれてこれに入学し、雑誌を経営し、兼てジヨ(ママ)ーナリズムを修めたのである。其頃コロンビヤ大学教授にして『世界』紙記者なるター氏の知る処となり、新聞リバテー・ベルに執筆して帰朝の時に及んだ。

この他にも木村のアメリカでの神童ぶりや芸術的才能の発揮、文学者や著名人との交流にも言及されているけれど、どこまで本当なのかわからないところもあるので、それは引用を省略した。ただ木村の帰国は大正十五年のようで、ただちにジャパン・タイムス社に入り、その後は寄稿者となっているという。事情は詳らかにされていないが、木村が舟橋のところに『拝金芸術』の翻訳原稿を持ちこみ、その出版を舟橋が金星堂の福岡益雄に依頼したことで、上梓の運びに至ったようだ。舟橋と福岡の関係は、後に金星堂の主流となる英語テキストや教材の出版を通じてのものであろう。

舟橋の昭和二年五月付けの「跋」から察するに、彼はアメリカ文学研究者で、早くからシンクレアに注目していた。だが四、五年前まで日本においてシンクレアは、シンクレア・ルイスかメイ・シンクレアと間違われていたほどだった。それが今日では誰知らぬ者なき人になっていて、北澤新次郎の評伝まで出ているが、これに対して少しばかり揶揄しているところに、そのことがうかがわれる。

この北澤の評伝は『アプトン・シンクレェア』(弘文堂書房、大正十五年)をさしていると思われるが、確かに内容に関しては舟橋の気持ちがわかるようなものである。その後シンクレアの人気は沸騰したようで、『金が書く』の巻末広告には『真鍮の貞操切符』三十六版、『現代人の生活戦術』(早坂二郎訳)十七版に示された、「暴風的売行きを見よ」との惹句が躍っている。

それに便乗し、金星堂の木村訳『拝金芸術』も『世界プロレタリア文芸選集』の一冊として再刊されたのであろう。しかしこの金星堂の『選集』は完結したのかどうかも不明だし、あまり売れなかったのではないだろうか。そのこともあってか、木村によるシンクレアの翻訳を見るのは戦後になってであり、それは昭和二十五年に出された『ジャングル』(「世界文学選書」所収、三笠書房)としてで、その他に木村の名前はたどれない。これは近年松柏社(「アメリカ古典大衆コレクション」5)より新訳が出ている。

ジャングル

なお『拝金芸術』は清水宣訳『新世界文学史』(アルス、昭和十五年)としても刊行されているようだが、こちらは未見である。

その後アップするためにネットを確認してみると、驚くべき論考が見つかった。それは本連載139でも言及した吉永進一による「木村駒子と観自在宗」である。観自在宗とはアメリカでタントラを学んだ木村秀雄が帰国後の明治三十九年に創設した一種の霊術で、彼の妻が駒子、この二人の息子が生死だという。興味をもたれた読者はぜひこのサイトをご覧あれ。また吉永によれば、高橋良平「木村生死について」が書かれているようだ。

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