出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話359 小山書店と伊藤熹朔『舞台装置の研究』

同時代の出版であっても、前回の洸林堂書房の『フランドル画家論抄』とは異なり、その出版の経緯と事情が刊行者によって記録されている大判美術書も存在する。それは伊藤熹朔著『舞台装置の研究』で、昭和十六年に小山書店から出されていて、私が所持するのは十八年の第三刷である。

これは浜松の時代舎で見つけ、著者が「後記」で述べている「この種の本は、日本に全くありません」という言葉、及び舞台装置の図版や写真のあまりにも見事なことに引かれ、購入しておいた一冊だ。

著者の伊藤については久保田万太郎がその「序」で、次のように紹介している。

 かれは美術学校で西洋画をまなんだ。が、その間でも、かれは一人ひそかに舞台装置の研究をつゞけた。やがて土方与志の模型舞台研究所の同人となり、美術学校卒業とゝもに、敢然、舞台装置家として立つた。すなわち大正十四年一月、築地小劇場第十九回口演の『ジュリアス・シイザア』の番組に、演出、小山内薫土方与志の連名にならんで、装置、伊藤熹朔の名前を掲げたのを手始めに、只管、築地小劇場を中心とした新劇運動のために働いた。間もなく商業劇場からかれは助力を懇請された。直ちにそれにこたへ、かれは、惜しみなくその新劇への労苦の半ばを商業演劇のために割いた。
 爾来、十有余年、いまなお孜々として倦むことを知らないかれである。

当然のことながら、『演劇百科大事典』平凡社)にも伊藤は立項され、それによって補足すれば、舞踏家の伊藤道郎は兄、俳優で演出家の千田是也は弟に当たる。

『舞台装置の研究』の出版事情は小山久二郎の『ひとつの時代―小山書店私史』(六興出版、昭和五十七年)の中で、小見出し、書影入りで語られている一冊であるから、小山書店の出版物としても記念すべきものだと考えていいだろう。
『ひとつの時代―小山書店私史』
小山はまずその頃の用紙事情について、上質紙の入手が困難になりつつあり、そこでまだ統制外になっていた証券用紙のための上質仙花紙を利用することを思いつき、それは市販上質紙より三割ほど高価だったけれど、救いの神であり、小山書店の出版物が他社に比べ、質を落とさず続けられ、信用と声価を高めることができたのは、この事実によると述べている。

本連載でも何度も既述しているように、昭和十五年に出版物諸団体第が解散となり、一本化された日本出版文化協会が設立となり、用紙配給割当という状況に入り、内務省による左翼出版物に対する弾圧強化として発禁処分、演劇に関していえば、築地小劇場などは解散に追いやられるという事態になっていた。

そのような中で、小山は久保田万太郎から伊藤の『舞台装置の研究』の出版の相談を受けたのである。それは京都の弘文堂から文庫本で出したいとの話だったが、小山は舞台装置の全景の写真を入れなければならないはずだから、文庫ではなく、大きい本として出すべきだと意見を述べた。ところが弘文堂では文庫本以外では出せないとのことだったので、小山書店に話がもちこまれたのである。しかし当時の出版事情と同種の本が売れ行き不振で、かつて挫折したことを知っていたので、それほど乗り気ではなかった。ところがである。小山も記している。

 伊藤に会っていろいろな資料や原稿を見せてもらったりするうち私自身が面白くなり、夢中になってしまった。結局著者以上に自分自身が熱中して、あれもこれもと欲張っているうちに相当厖大な内容になって、本の体裁もB5判にして編集をすすめた。(中略)原色版と単色版の別刷を添えて四円七十銭、当時としては相当高価な定価になってしまった。初版の発行部数は五千部とし、売れ行きもどんどん上昇していた。『次郎物語』と合わせて全五段の新聞広告を出した。
 この出版は思いもかけないほどの好評を博し初版は文字どおり翼が生えたように売れ、たちまち売り切れという状態であった。

私の所持する昭和十八年の三刷は二千部とあるので、二年で初版、重版あわせて七、八千部ほどが売れたことになる。戦時下の出版状況において、信じられないような気もするつが、小山がいうように「それが如何に素晴しいものであったか立証された」ことによっているのだろう。

とりわけすばらしいのは原色の舞台写真で、モルナールの『リリオム』シェイクスピア『ハムレット』、真船豊の『狐舎』、久保田万太郎『大寺学校』などは臨場感にあふれ、今舞台の幕が上がり、これから俳優たちが登場し、それぞれの物語が上演されていくかのような思いに捉われてしまう。もちろんそれはモノクロ写真も同様で、それらは優れた風景画のようでもあり、戦時下における清涼剤的一冊として売れたようにも思われる。

リリオム ハムレット 大寺学校

しかしあらためて当時の流通販売を考えると、これも本連載で既述してきたように、流通は日配の一元配給的送りつけ体制に入り、昭和十七年からは買切制に移行してもいた。そのような流通と販売状況の中で、『舞台装置の研究』が現在の状況ではとても不可能な部数でしかない一万部近くも売れていたことを、どのように考えるべきなのだろうか。

[関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら