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古本夜話360 二つの『ゴオゴリ全集』

埴谷雄高の昭和十年代後半における翻訳は、前々回挙げた『埴谷雄高全集』第二巻にまとめて収録されているわけだが、やはり戦時下の出版状況と密接に絡んでいたといっていい。

埴谷雄高全集第二巻

しかし埴谷の翻訳以上に奇妙な思いにかられるのは、同時期にロシアとフランスの作家の全集や選集が刊行されたことである。これらも既述しておいたように、昭和十六年以後は用紙と企画決定権を握っているに等しい出版文協、もしくはその後身の日本出版会との駆け引き、人脈による力学などが複雑に絡み、出版に至ったと思われる。それでも「鬼畜米英」の作家たちはさすがに出されてはいない。

ロシアとフランスの作家や文学者を挙げてみると、まず昭和十年前半に『プウシキン全集』フローベール全集』(いずれも改造社『バルザック全集』『プロスペメル・メリメ全集』(いずれも河出書房)、『ジイド全集』 (建設社、金星堂)、後半には『ヴァレリー全集』(筑摩書房)、『モーパッサン全集』『第二次バルザック全集』(いずれも河出書房)、『アナトオル・フランス長篇小説全集』(白水社)、『ゴオゴリ全集』(同刊行会)、『チェーホフ全集』(金星堂)、『チェーホフ著作集』(三学書房)などが全集や選集ゆえに、長期間にわたって途切れなく刊行されていたことになる。もちろん中絶してしまったものがあるにしても。

バルザック全集(『バルザック全集』)ジイド全集 第十巻 (『ジイド全集』第十巻、建設社)

その中の『ゴオゴリ全集』について、埴谷はやはり『影絵の世界』平凡社)において、『経済情報』編集部に勤めていた頃のこととして、次のように書いている。

影絵の世界

 そこでの大きなできごとは、平井肇訳のゴーゴリ全集が出たことをあげなければならない。私とロシア文学の接触は、レルモントフにはじまっているにもかかわらず、ゴーゴリについては《タラス・ブーリバ》《外套》を読み、《検察官》を見たにとどまって、《死せる魂》との接触は、この昭和十五年というはるかにおそい時代までもちこされていたのであった。ところで、戦争の硝煙のなかでも、《ディカーニカ近郷夜話》と《ミルゴーロド》の二作は私の魂をふしぎなほどかっちりとつかみつづけていたのであった。私は、月は銀色の光をはなち、一輪の花が開花するゴーゴリの闇の世界のなかへのめりこんでいた。

この後にも続けてゴーゴリの『ヴィイ』を繰り返し読んだので、「令嬢(パンノチカ)」や「妖女(ウェージマ)」という原語が強く刻印されてしまったことなども語られている。

少しばかり長い引用を施したのは、この埴谷のゴーゴリ体験が昭和十五年のことだと確認しておきたいからだ。先に示したように、『ゴオゴリ全集』全六巻はゴオゴリ全集刊行会から同年に出されていて、埴谷はこれを読んだことになる。

ところが昭和九年にナウカ社からやはり全六巻の『ゴオゴリ全集』がすでに刊行されていて、国会図書館『明治・大正・昭和翻訳文学目録』風間書房)などで調べてみると、内容はまったく同じであり、ゴオゴリ全集刊行会版はナウカ社版の再版だとわかる。

明治・大正・昭和翻訳文学目録

前者は未見であるけれど、後者は第四巻の『鼻』を始めとする七作の『短篇小説集』を入手している。訳者陣は八住利雄、中山省三郎、横田瑞穂、能勢正三で、埴谷がふれている平井肇は『ヴィイ』と『ディカーニカ近郷夜話』などを訳し、それぞれ第一、二巻に収録されている。

どうして埴谷はナウカ社版を読んでいなかったのだろうか。まず彼が豊多摩刑務所を出獄したのは昭和八年十一月で、ナウカ社版は九年前半から出され始めていたはずだから、その後の事情と転向や結核療養のこともあり、全集の出版情報が伝わっていなかったのではないかとも推測できる。

それともうひとつ考えられるのはナウカ社の出版事情である。大竹博吉によってナウカ社が設立され、ソ連出版物の一手輸入、ロシア語文献の翻訳などが始められたのは昭和七年で、『ゴオゴリ全集』はまさに初期の出版となる。それを反映してか、箱は簡素なものだが、本体はすばらしい装丁である。四六判ながら背は革、布地の表紙、堅牢な造本は八十年後の今日でも、シックな美しさがそのまま保たれていて、装丁者の名前が見当たらないことを残念に思うほどだ。全集の装丁としてはベストに数えられるといっていいかもしれないし、実際に二年後の昭和十一年に出た改造社『プウシキン全集』の装丁は、ナウカ社版『ゴオゴリ全集』を範としていると判断していい。革背、布地の表紙とその模様の共通性は明らかだ。

(『ゴオゴリ全集』、ナウカ社版)

それでいて定価は二円五十銭、しかもナウカ社はまだ取次口座を持っていなかったらしく、取次の上田屋を発行所としている。上田屋は明治後半から大正半ばにかけて、雑誌大取次として数えられたが、昭和に入ってからは書籍取次に縮小していた。それゆえに手堅くはあっても、全国的な流通や販売は期待できず、またナウカ社が新しい出版社であることも作用し、すばらしい装丁と造本に比して安い定価と初めてのゴーゴリ全集であっても、話題になることも少なく、あまり売れなかったのではないだろうか。そして絶版になってしまった。

しかしそれを惜しんだ訳者陣たちがゴオゴリ全集刊行会を組織し、昭和十五年に再版にこぎつけたのではないだろうか。そこにはまたひとつのドラマが時代ゆえに秘められているのだろう。その気配を確かめる意味で、こちらの版も一度見てみたいと思う。

なおこの一文を書いてから知ったが、ブログ「四行詩集日乗」にナウカ社版『ゴオゴリ全集』の装丁も含めた詳しい言及がある。またこれは一九九六年に日本図書センターから復刻されている。

ゴオゴリ全集 (『ゴオゴリ全集』、日本図書センター)

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