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古本夜話361 大竹博吉、ロシア問題研究所、平凡社『ロシア大革命史』

前回ナウカ社と大竹博吉にふれたので、大竹が翻訳、編纂、著述に携わった円本も取り上げておきたい。それは昭和六年に平凡社から刊行された『ロシア大革命史』全十巻である。ただこの企画は『平凡社六十年史』 においてはまったく言及されておらず、「発行書目一覧」でも大竹博吉編纂『露西亜大革命史』となっているが、ここでは実際の表記により、『ロシア大革命史』とする。


そうした事情もあるので、まず鈴木徹造『出版人物事典』に立項されている大竹を引いておく。
出版人物事典

 [大竹博吉 おおたけ・ひろきち]一八九〇〜一九五八(明治二三〜昭和三三)ナウカ社創業者。愛知県生れ。新聞記者を経て、一九一九年(大正八)ウラジオストックに渡り、東洋学院(現・極東大)を卒業、東方通信モスクワ特派員となる。日ソ修交条約締結を期に二五年(大正一四)帰国、ロシア問題研究所を設立、ソ連情報や出版物を翻訳出版した。三二年(昭和七)モスクワにナウカ社を設立、ソ連出版物の一手販売、出版を行った。神田神保町に社屋を構え図書の輸入をはじめ、『文学評論』『社会評論』などを創刊、ロシア語文献の翻訳出版、『小林多喜二全集』『ゴオゴリ全集』などを出版した。戦後はソ連の農業生物学者ルイセンコの紹介に力を入れた。
ゴオゴリ全集 (『ゴオゴリ全集』、日本図書センター復刻)

ナウカのPR誌『窓』(戦前は『ナウカの窓』)の最終号(2005・10、133号)掲載の「ナウカ社刊行書目一覧(戦前編)」によれば、最初の出版は昭和八年の『史的唯物論』(コムアカデミア哲学研究所他監修、鹿島定吉、直井武夫訳)の全三冊で、戦前の出版点数は133点(165冊)に及び、その他にもロシア問題研究所と文章閣名で、11点(19冊)を刊行している。戦前といっても昭和十一年までであることも付記しておかなければならない。

このロシア問題研究所であるが、これは大竹がナウカ社を始める以前の昭和三年に設立したもので、同研究所編『ソヴェト・ロシア辞典』、ゲリマン『革命と性生活』(廣尾猛訳)、史譚選輯「ロシア大革命の裏面」七冊などを出版していて、再版はナウカ社で刊行したものもあるとされる。確かめてみると、それは昭和九年の『ソヴェト大学生の性生活』で、先に挙げたゲリマンの著作の改題だとわかる。またナウカ社の翻訳者はロシア問題研究所、大竹博吉名が多く、そうではない廣尾猛、木村黎二も大竹の別ネームのようなので、ナウカ社の出版物の多くが大竹自らによって担われていたことになる。

そこで平凡社の『ロシア大革命史』に戻り、この全十巻の明細を示してみる。

1 ソヴェト中央史料局編 『革命前露独の関係』
2 ペー・クルノフ著 帝政ロシア没落の真因』
3 ラスプーチン
4          ロマノフ朝の終末』
5          『革命直前の社会情勢』
6 デ・ザスラフスキー他著 二月革命
7 ペ・ミリュコフ著 『労農革命の真相』
8          反革命運動 ソヴェト裁判記録』
9          『赤色テロル』
10 大竹博吉著 『五ヶ年計画を観る』

著者部分が空白となっている巻はすべて大竹博吉訳纂とあるからだ。なおこれらの奥付は編輯者ロシア問題研究所、右代表者大竹博吉で統一され、検印用紙には大竹の押印があるので、これが大竹の企画、編纂、翻訳といった条件により、平凡社に持ちこまれたものだと推測がつく。

それならば、そのベースとなったものは何かということになるが、それは先述したロシア問題研究所から昭和四年に刊行されさた「ロシア大革命の裏面」シリーズの七冊で、こちらもロシア問題研究所訳編、大竹博吉監修となっていて、ここでの第七輯『独帝と露帝の往復書翰』が『ロシア大革命史』第一巻の『革命前露独の関係』へとタイトル、巻数も含め移動していることを除けば、第二巻以後はそのまま継承されている。したがって、平凡社の『ロシア大革命史』のオリジナル部分は残りの三冊、第八、九、十巻にあるといえよう。

このような『ロシア大革命史』刊行の背景を推理してみよう。平凡社は昭和四年に創刊した雑誌『平凡』の赤字が解消できず、また円本の下火もあり、六年一月末に手形の不渡りを出し、その年は再建のためのいくつかの全集と『大百科事典』第一巻刊行に向けての仕事に終始したと見なしていい。その全集のひとつが『ロシア大革命史』で、これが白井喬二江戸川乱歩吉川英治の全集と並んで出されたのは、ひとえに外注による紙型再版だったからだと考えられる。新たに活字を組むのは三巻だけであるし、編集スタッフも外注のかたちをとったはずで、コストが安く、再建中の平凡社にとっては企画が少しばかりそぐわないにしても、触手をのばすに足るものだったであろう。

また一方の大竹の側にあっても、第七輯という明らかに中絶してしまった「ロシア大革命の裏面」シリーズを再生させる試みで、それを円本の本山ともいうべき平凡社に移し、それなりの印税も保証されるのであるから、渡りに船だったかもしれない。『帝政ロシア没落の真因』が「裏面」シリーズの第一輯、『ロシア大革命史』では第二巻に当たるが、それは大竹の「序」があり、これも円本時代の会員制出版だったとわかる。

しかしこの出版は前回ふれたように、取次の問題などもあり、立ち上がったばかりのロシア問題研究所のような版元では流通に関し、荷が重く、そのために中絶してしまったと考えるのが妥当であろう。もちろんナウカ社を立ち上げるための資金も必要であったはずで、平凡社と大竹は必然的に結びついたともいえる。その結果はどうだったのであろうか。それについての証言は『平凡社六十年史』 に見えていない。

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