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古本夜話362 ナウカ社、『文学評論』、島木健作『獄』

『ゴオゴリ全集』の端本の他に、一冊だけナウカ社の単行本を持っている。それは島木健作の『獄』で、「癩」「苦悶」「転落」「盲目」「医者」の五編を収録している。これは柳瀬正夢装丁の並製四六判で、奥付には昭和九年十月印刷納本、十年九月十五版発行とあるので、新人の第一創作集としては異例のベストセラーだったことを示している。
『ゴオゴリ全集』 
島木については本連載141『生活の探求』に関する作品論めいたものをすでに提出していることもあり、ここではナウカ社との関係をたどってみたい。『獄』のうちの「癩」と「医者」はいずれもナウカ社の『文学評論』に発表され、とりわけ前者は島木の処女作で、初めてそのペンネームが用いられたからでもある。
生活の探求

『文学評論』はナルプ(プロレタリア作家同盟)の解体とその機関誌『プロレタリア文学』の弾圧による廃刊を受け、徳永直や渡辺順三がナウカ社の大竹博吉に働きかけ、創刊の運びとなったとされる。昭和九年三月創刊で、十一年八月まで全三十一冊が出されているけれども、同じくナウカ社から十年に創刊の『社会評論』が、翌年に軍機保護法、治安維持法違反により、ナウカ社全員が検挙され、両誌とも廃刊に追いやられた。それは『社会評論』が駐日ソ連大使館の資金援助を受け、そのバーターとして軍事文書などを渡していたのではないかとの容疑によっているようだ。

これがナウカ社と『文学評論』の背景である。一方で島木は大正十五年に四国に渡り、日本農民組合香川連合会書記となり、早稲田の建設者同名の宮井進一とともに農民運動に挺身し、日本共産党へ入党する。ちなみに『生活の探求』の素材は宮井から得ている。昭和三年に島木は検挙され、懲役五年の刑に処せられるが、転向し、七年三月に仮釈放された。そして実兄が経営する本郷赤門前の古本屋島崎書院の仕事を手伝い、病に倒れながら、獄中生活の体験を織りこんだ「癩」を書くに至る。

それらの経緯をふまえ、発表されるまでを、高見順が『昭和文学盛衰史』(文春文庫)の中で、きわめて明確に記しているので、それを引いてみる。

昭和文学盛衰史

 彼は「暗澹たる気持になり、死ぬかもしれないというおそれもあり、色々複雑な思いが去来して、すると急に長い長い間忘れていた文学的な表現で何か書いてみたいという欲求が抑えがたい強さで湧いて来た」のだった。起き上れるようになるのを待って彼は獄中生活に取材した「小説か何かわからぬ百枚ほどのもの」を書いた。発表のあてがあった訳ではなく、香川県で農民運動をやっていた頃の友人米村正一が、かねて彼に文学的才能があると言ってくれたのを思い出して、とにかくその米村に読んで貰おうといった気持だった。彼は朝倉菊雄というのが本名で、(中略)この時はじめて島木健作というペンネームを作って、書き上げた原稿にそう書いた。(中略)
 彼は米村正一にその原稿を渡すと静養のために熱海にいる昔の友人のところへ行った。そしてそこに滞在中に、創刊間もない『文学評論』にその原稿の載ることがきまったという知らせを米村から受けた。
 これが島木健作の出世作『癩』である。『癩』は米村陽一の手から『文学評論』の発行者たるナウカ社の大竹博吉に手渡され、大竹は更に森山啓、徳永直の二人に、どんなものか読んで見てくれと送りつけた。森山、徳永はいずれも、これをいい作品だとして、『文学評論』に掲載することをすすめたのである。

このような経緯で、「癩」は『文学評論』の昭和九年四月号に発表された。仲介者の米村は東京帝大セツルメントのチューターで、日農香川県連顧問弁護士、労農党香川県支部書記長を務めていたことから、島木と知り合っていたのである。

この高見の『昭和文学盛衰史』は伊藤整の『日本文壇史』の昭和戦前編に相当するもので、そのストーリーテラーも加わり、あまり略することができず、つい長い引用になってしまった。だがここに過不足なく、島木の処女作「癩」の執筆と発表事情が語られているとわかる。

日本文壇史

そして発表されると、武田麟太郎と勝本清一郎が賞賛し、島木は一躍新進作家として認められ、『中央公論』編集長佐藤観次郎からも小説を依頼された。それが「盲目」と「苦悶」である。そして続けて、『文学評論』に「医者」を書いている。したがって『獄』は、昭和四年に『文学評論』と『中央公論』に執筆された四編に未発表の「転落」を加え、刊行されたことになる。

前回既述したナウカ社のPR誌『窓』最終号の「ナウカ社刊行書目一覧〈戦前編〉」に再び目を通すと、ナウカ社がソヴェト、マルクス主義関連書ばかりでなく、本連載360の『ゴオゴリ全集』の他に、ショーロホフ『ひらかれた処女地』などの翻訳、三好十郎『斬られの仙太』という戯曲、林房雄『文学のために』、徳永直『新しき出発』、渡辺順三『短歌の諸問題』、亀井勝一郎『転形期の文学』といった文芸評論集をすでに出しているとわかる。

そうした布石もあって、渡辺を編集長とし、徳永や林や亀井たちが編集相談役を務め、徳永や森山啓が「癩」の読む立場に置かれていたことも見えてくる。そしてナウカ社の出版活動、及び『文学評論』と『社会評論』の刊行が昭和十一年で途絶えてしまった事情も了解されるのである。

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