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古本夜話364 アルスのバーゲンと東京出版協会の図書祭記念『特売図書目録』

本連載でずっとアルスの出版物を取り上げてきたし、これもアトリエ社と関連するので、販売に関する一編を挿入しておきたい。それは昭和四年に敢行されたと思われる「アルスの均一大特売」である。その事実を知ったのは本連載340『現代商業美術全集』にはさまれていた同タイトルのA4判四ページの投込みチラシによってだった。そこには次のように謳われていた。

現代商業美術全集 (復刊、ゆまに書房)

好機再び来らず
絢爛豪華アルス名著の大宣伝
驚嘆的特価! 五割六割七割引
注文殺到刻々品切れの虞れ有り
出版界の大驚異 !!!
一冊の価で二冊も三冊も買へる !!!
売れ(ママ)切れたら最後 再び手に入らぬ !
ご注文は早いが勝
特売期間は一一月末日限

そして五十銭から二円までの均一本のほぼ三百冊がまさに「五割六割七割引」で掲載され、ここに「アルスの均一大特売」が謳われていることになる。ただ注釈を加えておけば、原則として書籍の原価率は三割とされていたはずだから、七割引でも原価は割りこんでいない。それから期間だが、締切日は最後の日付でわかるのだが、開始日が不明なので、はっきりしない。しかし後述の例からすれば、長くても一ヵ月ほどだったと推測される。

またこれはいうまでもないが、取次によるカルテルとしての、書店に対する定価販売は唱えられていたけれど、戦前に再販制は導入されておらず、出版社の期限付き割引販売は認められていたことを意味している。本連載でも見切本だけでなく、新刊や円本の特価本業界への流入によるバーゲン本について既述してきたが、この投込みチラシに示されたアルスの在庫本の大バーゲンは、昭和三年の岩波書店15周年記念特売に続く、きわめて早い時期において、出版社自らが実施したものだったと思われる。

本連載335で示しておいたように、この時期にアルスも多くの円本類を刊行し、在庫過剰になっていたことは明白で、興文社の『小学生全集』と競合した『日本児童文庫』の三十冊が七十五銭均一で並んでいる。それに関連して挙げておけば、現在では古書価がきわめて高い北原白秋の『トンボの眼玉』『兎の電報』『象の子』『二重虹』などの絵入童話ですらも、それぞれ六十五銭、八十銭均一とあり、大判で造本も見事な児童書が売れずに残り、六割引のバーゲン本となっていたのである。

トンボの眼玉

このアルスの昭和四年における「均一大特売」が嚆矢だったのかはわからないにしても、知名度の高い総合出版社としては先鞭をつけた試みだったと考えられる。判明している事実からすれば、他社が続くのは昭和八、九年になってからである。それらは岩波書店の創業二十年記念二割引の「全国図書短期特売」、改造社の創業満十五年記念「特選図書半額大提供」といった新聞広告に表われ、その広告の実態は本連載でも参照してきた『全国出版物卸商業協同組合三十年の歩み』『出版広告の歴史』の「特価販売広告」にも紹介されている。

出版広告の歴史

アルスの試みから岩波書店や改造社の「特価販売広告」に至るまで四、五年を有しているので、様々なデッドストックと過剰在庫販売に関する試行錯誤を繰り返していたと考えられるが、岩波書店などのバーゲンは東京出版協会の動向に寄り添っていたのである。

『東京出版協会二十五年史』を確認してみると、昭和七年に特価販売に関して、出版社の随意とする方針が固められ、八年に全国図書祭が開かれることになった。これは東京出版協会を中心とする「均一特売」だったにもかかわらず、それを糊塗し、『同二十五年史』は「先ず精神運動として『図書祭』を興し、図書に対する反省謝恩の美風を涵養するの計画」と説明している。だが実質的には東京出版協会をあげての、円本以後のデッドストックと過剰在庫の大バーゲンだったのである。

その図書祭は十一月一日と定められ、二十日間にわたる大バーゲンが行なわれた。十三年以降は十一月十日へと変更されているが、いつまで続いたかは不明である。この図書祭の特徴はその「記念」として、全国的に『特売図書目録』が大量に頒布されたことだろう。私の手元にも昭和九年版の他に、年数不明の二冊があることから考え、そのように判断できる。

しかも昭和九年版にはそれらを購入すると、図書券などが当たる福引景品付きとあり、「特売図書」は人文書から学習参考書までほぼ全分野にわたる三千点、二割から七割引で、出版社も多岐に及んでいる。ただしアルス、岩波書店、改造社は見えておらず、先に挙げた岩波書店や改造社のバーゲン広告は、両者が東京出版協会の図書祭とは別に、自社だけの特売を敢行したことを物語っている。アルスの場合は早くから実施したために、独自のルートを確保していたか、もしくはこの時点でその必要がなくなっていたためかもしれない。

しかしこれらの特売に関して最も留意すべきは、アルスのチラシから図書祭の『特売図書目録』に至るまで、読者への直接販売だけでなく、全国各地の取次や書店もその対象として想定されていることである。それは私の所持する『同目録』に書店印が押され、「此の目録に掲載せられた特売図書は弊店に於て取次販売致します」の文言が入っていることからもわかる。とすれば、書店の仕入れ正味は「特価」よりもさらに安かったとも考えられる。

これらのことから想像するに、図書祭は二十日間であるし、読者への販売促進期間は限られているわけだから、これは取次や書店にとっての低正味仕入れの絶好の機会だったのではないだろうか。戦前において、とりわけ地方の老舗書店は取次を兼ねていたことからすれば、「特売図書」仕入れはビジネスチャンスともいうべきものであり、そのような取次や書店の意向を伴って、少なくとも昭和十三年までは続いたのではないだろうか。

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