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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話370 中央美術社、河東碧梧桐『画人蕪村』、萩原朔太郎『郷愁の詩人与謝蕪村』

本連載362で既述したように、近代出版史における美術書出版は、美術雑誌『みづゑ』『中央美術』『アトリエ』などの創刊とパラレルに活発になっていったと見なしていい。そしてその中心にいたのは、本連載163の『美術辞典』や243の平凡社の『世界美術全集』のところで言及した田口掬汀と中央美術社だと思われる。このことに関して、以前に「田口掬汀と中央美術社」(『古本探究3』所収)も書いているけれど、ここでは別の本を取り上げてみたい。私見によれば、『美術辞典』や円本時代の美術全集がそうであるように、大判美術書の出版も中央美術社によって開拓されたと考えられるからだ。
古本探究3

例えば、ここに河東碧梧桐の『画人蕪村』がある。これは四六倍判函入で、大正十五年初版、昭和五年三版となっていて、定価は三円五十銭だが、「東洋大画人画集評伝」シリーズの一冊だから、時期も含めて円本に近い出版物に分類できるだろう。ちなみに巻末広告によって判明したシリーズの他の本は、本田成之『富岡鉄斎』、橋本関雪『石濤』、人見少華『池大雅』、矢野橋村『浦上玉堂』で、これら以外にもまだ刊行されているかもしれない。
画人蕪村

碧梧桐は高浜虚子と同じく正岡子規の弟子で、俳人として知られているが、その他にもジャーナリスト、旅行家、登山家としても活動し、また蕪村研究にも力を入れ、『画人蕪村』を始めとする著作を刊行している。しかし近年、全国旅行記録と旅中吟を収録した『三千里』などは講談社学術文庫に収録に至っているし、全集も出されているが、『画人蕪村』は大判ゆえに復刻も難しいと思われる。同書は浜松の時代舎で、三千円で買い求めている。

三千里河東碧梧桐全集(『河東碧梧桐全集』全20巻)

これは三十余ページに及ぶ蕪村の絵画の白黒写真をまず収録し、その後に蕪村に関する「本文」がきて、次に「付録」として「蕪村画年譜」「挿画解説」がくるという構成になっている。「凡例」に挿画のすべては実見したものとの断わりが見えるが、「本文」の「画人蕪村」において、蕪村の伝記は文献資料が欠けているために詳細を尽くす時期に達していないと記し、それから蕪村の生涯をたどっている。それは下総国結城、丹波、讃岐、晩年の京都の四つの時代に分かれ、画人としての蕪村に主としてスポットを当てているけれど、俳人としての蕪村にも言及し、結城時代の延享二年、蕪村が三十歳の時に作ってみせた、俳諧の先輩「北壽老仙をいたむ」という詩的一節を挙げ、その異彩ぶりに注目している。

君あしたに去ぬゆうへのこゝろ千々に
何そはるかなる
君をおもふて岡のへに行つ遊ふ
岡のへ何そかくかなしき

など歌にもあらず句にもあらず、連句、今様にもあらざる一体の詩五七首を作つて贈るつてゐたりする。彼の晩年の作として有名な「春風馬堤曲」の漢詩と句と文章との相錯綜した一篇の叙情曲は、余りに突飛な他に類例のない一体として彼の作中に異彩を放つてゐるのであるが、其の前提として、三十年前既に一種の漢詩の創作をしてゐる事実を知れば、彼には夙くからかやうな創意的傾向の包蔵されてゐることを首肯せねばならないのである。

この碧梧桐による蕪村の引用とそれに続く解説的文章を読んでいて、かつて蕪村の詩的一節を読んだことを思い出した。しかもそれも引用で読んだのである。それは萩原朔太郎の『郷愁の詩人与謝蕪村』だったと思い、新潮社版『萩原朔太郎全集』第三巻所収を確認してみると、同書の最初の「蕪村の俳句について」の冒頭に引用されていた。表記が異なり、多少印象もちがうので、そちらも引いてみる。

君あした去りぬ
ゆうべの心千々に何ぞ遥かなる
君を思うて岡の辺に行きつ遊ぶ
岡の辺なんぞかく悲しき

萩原はこれが「明治年代の若い新体詩人の作」だといっても通るであろうが、まさに江戸時代の俳人蕪村の作であること、この詩の情操に江戸文化にない「何等か或る鮮新な、浪曼的な、多少西欧の詩とも共通するところの、特殊な水々しい精神」を感じさせることは「今日僕等にとつて異常な興味」をそそると書いている。いうなれば、萩原はこの詩に出会ったことがきっかけで、『郷愁の詩人与謝蕪村』を書き始めたと告白しているかのようである。しかも最後の章は「春風馬堤曲」と題され、この長詩の全文が引用され、論じられていく。長くなってしまうので、この俳句、漢詩、連句からなる長詩を引用できなくて残念だが、これは晩年に蕪村が故郷を訪ね、長柄川の堤で藪入りの娘と一緒になり、娘に代わってその情を述べた詩とされる。
郷愁の詩人与謝蕪村(岩波文庫版)

萩原は「春風馬堤曲」について、「即ち蕪村は、その藪入りの娘に代つて、彼の魂の哀切なノスタルジア、亡き母の懐袍(ふところ)に夢を結んだ、子守唄の古く悲しい、遠い追懐のオルゴールを聴いているのだ」と述べ、それが詩人蕪村の「ポエジイ」の本質だとも記している。これは紛れもなく詩人萩原朔太郎自身のことに言及しているようでもあり、ここで二人は重なり合っているのだ。

さてもはやいうまでもないだろうが、萩原の『郷愁の詩人与謝蕪村』は、碧梧桐の『画人蕪村』の中に示されて、私が引用した部分に触発、感応され、それが熟して出現した一冊だったのではないだろうか。同書が第一書房から刊行されたのは昭和十一年で、碧梧桐の著作が出てから十年余が過ぎていたし、その翌年に碧梧桐は生涯を終えている。

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