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古本夜話377 小林一郎「日蓮上人遺文大講座」と蓮本秋郊

*来週から、[古本夜話]を月曜日・水曜日に、[戦後社会状況論]を金曜日にアップします。ご了承ください。


本連載374などで書名を挙げた田村晃祐の『近代日本の仏教者たち』(NHKライブラリー)は高楠順次郎の『大正新修大蔵経』や『南伝大蔵経』などの編集、翻訳刊行、織田得能や望月信享のそれぞれの『仏教大辞典』といった仏教書出版にも目配りを施した啓蒙書として好著である。だがテレビ講座のテキストという性格も備えているために、仏教書出版の特殊性や宗派の問題については踏みこんでいない。

近代日本の仏教者たち 仏教大辞典

それは田村の著作に限ったことではないにしても、昭和戦前の仏教書出版にあって、異例のベストセラーとなり、それに続いて同じ著者による様々な「大講座」が出されることになった。それについて、『平凡社六十年史』は次のように述べている。

 「法華経大講座」(全十三巻)は当時としては破格な売れゆきをみせたシリーズだった。昭和十年九月から刊行され、索引の巻を加えて翌年末完結した。初版は六万部、重版の分をふくめると十万部近い成績だった。これは哲学者小林一郎の「法華経」講義をまとめたもので、難解な大乗経典をきわめて日常的、現代的な言葉におきかえ、わかりやすく語った講話だけに、思想的な混迷期にあった一般の読者からも歓迎された。

著者の小林は明治九年神奈川県に生まれ、一高、東京帝大を経て、東京帝大、哲学館、日蓮宗大学で西洋哲学を教え、同三十九年には冨山房から処女作『プラトーン』を上梓している。これは本連載83の冨山房による木村鷹太郎訳『プラトーン全集』との関連もあるのか、『冨山房五十年』を確認してみると、小林が「プラトーン」なる一文を寄せていて、『プラトーン全集』が出る前の明治三十八年に計画された「世界哲学文庫」第二篇にあたるものだった。その事実から、小林の著作は木村訳のプラトーンによっていないことを知らされた。

しかしその後、小林は小林日薫なる人物の薫陶を受け、日蓮主義に身を投じ、大正三年に法華会を創立し、機関誌『法華』を創刊すると同時に、法華思想普及のための講演を行ない、次第に「法華経」講釈の第一人者となっていった。そして東京の各所で講演会が開かれ、連続講義となり、それを集大成したものが『法華経講座』に他ならなかった。これを評して、徳富蘇峰が「法華経」を大衆のものとする講座、菊池寛は「法華経」の真姿を表すものと述べ、白井喬二はそのわかりやすい講義の意義を称揚した。すなわちこの出版は平凡社による仏典の大衆化をめざす試みだったと見なしていい。

異例の売れ行きとそのような評価によって、小林の講義シリーズはその後、「日蓮上人遺文大講座」全十二巻、「経書大講」全二十五巻、「易経大講座」全十二巻と続き、いずれも着実な部数を売り上げたという。そのうちの「日蓮上人遺文大講座」第一巻の『立正安国論』が手元にあるので、それを読んでみると、次のような語り口で進められていくのである。この語り口を通じて、わかりやすい講義で「法華経」を大衆のものとして、その真姿を表わすと評したと思われる。

[f:id:OdaMitsuo:20140312112802j:image:h120]「日蓮上人遺文大講座」

 (前略)研究を重ねて、いよゝゝ法華経がすべてのお経の中で最も勝れたものであつて、これがお釈迦様の御精神を本当に伝へたものであり、また日本の国をも救ふべき力がこの教の中に具はつて居るといふことを知られた後は、この経を日本の国に弘めるといふ事を御自分の責任と考へられて、この責任を果す為に、命を擲つて努力を続けられたのであります。その当時に、法華経が最も勝れた経であるといふ事を知つて居る人は、日蓮上人以外には誰もなかつた。(後略)

本連載136でも田中智学の日蓮宗への帰依と国柱会の設立、高山樗牛や宮沢賢治への影響を見てきているが、昭和に入って日蓮主義は井上日召を通じて、血盟団事件や五・一五事件、北一輝を経由して二・二六事件にまでその影響をもたらしている。それらをめぐって、昨年は中島岳志の『血盟団事件』(文藝春秋)も出されている。そうした事件の一方で、このような小林による日蓮主義の啓蒙化と大衆化が行なわれていたことになる。

血盟団事件

そのように考えてみると、平凡社の下中弥三郎と日蓮主義の関係が気になってくるが、『下中弥三郎事典』には日蓮主義の項目はない。それに『平凡社六十年史』に見える記述によれば、同様の宗教企画としての加藤咄堂の「碧巌録大講座」や「修養大講座」にしても、下中の了解を得た上で、実質的には企画編集もすべて蓮本秋郊が一人で進めたとあり、それがこれらの企画の面白みと特色だったとも述べている。この蓮本という編集者はどのような人物なのであろうか。秋郊とはおそらく号だったと思われるし、俳人だったとも考えられる。

またこのように精力的に次々と講座を開き、菊判六十冊もの講義シリーズを刊行した著者の小林は、敗戦も戦後も迎えることなく、昭和十九年に亡くなったようである。戦後、その大部のシリーズは忘れ去られてしまったと思われたが、昭和四十年代以後、「日蓮上人遺文大講座」は増補版が日新出版から数次にわたって刊行に至っている。

「日蓮上人遺文大講座」「日蓮聖人遺文大講座」

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