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古本夜話386 『世界探偵小説全集』の企画と代訳

平凡社の円本や全集を続けて取り上げたこともあり、さらにいくつか言及してみたい。

江戸川乱歩『探偵小説四十年』で証言しているように、昭和四年は「探偵小説出版最盛の年」で、個人の『小酒井不木全集』改造社)を除いても、『ルパン全集』『世界探偵小説全集』(いずれも平凡社)、『日本探偵小説全集』(改造社)、『世界探偵小説全集』(博文館)、『探偵小説全集』(春陽堂)と五種類が出ていた。それに前年から刊行されていた『世界大衆文学全集』改造社)にも探偵小説関係のものが二十一冊含まれていたので、まさにブームといってよかった。

探偵小説四十年

なお最後の『世界大衆文学全集』については、「松本泰と松本恵子」や「偕成社と児童書」(いずれも『古本探究』所収)、本連載959697などで論じ、また『古本探究』にはその八十巻からなる「総内容」明細を収録しておいたので、よろしければ、それらを参照されたい。

古本探究

このブームはこれも探偵小説を含んだ昭和二年に平凡社の『現代大衆文学全集』をベースにして、三年の改造社の『世界大衆文学全集』に引き継がれ、四年における五種類の全集出版に至ったことになる。しかもこれらは『現代大衆文学全集』の四六判、定価一円と異なり、いずれも菊半截判、定価五十銭というもので、各全集が中絶することなく、完結に至っている。その事実から考えても、また乱歩の証言にもあるように、最初は毎月二十万冊以上の小型探偵集が出版され、売れ行きも好成績を収めたことは前例がないことだった。所謂戦後の推理小説や翻訳ミステリーのブームにしても、この円本時代に起源が求められるのである。

小型五十銭本の先鞭をつけたのは円本の元祖ともいうべき改造社の『世界大衆文学全集』で、新潮社の『世界文学全集』に対抗するには「大衆文学」と廉価の五十銭をぶつけるしかなかったと思われる。それでも円本特有の大宣伝もあり、第一回配本は三十万部を超えたと伝えられている。またこれは尾崎秀樹が『出版広告の歴史一八九五〜一九四一』(出版ニュース社)で、映画とのタイアップを指摘していたが、これも時代舎から恵贈された内容見本にはそれぞれの作品の映画化された場面が添えられ、洋画とのメディアミックス化も宣伝に織り込まれていることを了承した次第である。

[f:id:OdaMitsuo:20140228173402j:image:h110]『出版広告の歴史一八九五〜一九四一』

それはともかく、平凡社に戻ると、『ルパン全集』と『世界探偵小説全集』が一冊ずつあり、後者は第十三巻のウォーレスの松本泰訳で、『鉄槌』と『反逆者の門』の二作が収録されている。権田萬治監修『海外ミステリー事典』(新潮社)を確認してみると、ウォーレスはエドガー・ウォーレスとあり、イギリスの小説家で、新聞記者を経て、サスペンス小説『正義の四人』(一九〇五年)でデビューし、警察小説『鉄槌』が代表作だが、多作の当代の流行作家とされている。それを反映して、同じく第十二巻が直木三十五訳『影の人』、また博文館の『世界探偵小説全集』にも延原謙訳『渦巻く濃霧』、春陽堂の『探偵小説全集』にも松本泰訳『血染めの鍵』といったウォーレスの作品が収録されているのだろう。だが『鉄槌』はこの翻訳があるだけかもしれない。

海外ミステリー事典 正義の四人 (『正義の四人』、長崎出版)

乱歩は平凡社のこの『世界探偵小説全集』全二十巻の明細を挙げ、次のように書いている。
 (第8巻『夜の冒険、孔雀の樹』小酒井不木訳)

 これは直木三十五君の立案で、平凡社に持ちこみ、一種翻訳工場式なやり方で、直木君の企業としてやったもののようであった。だから訳文は必ずしも署名している訳者が自ら筆を執ったものではない。直木君は後に新聞小説「南国太平記」を書いてから作家として大をなしたので、それまでは小説ほかに雑誌企業、出版企業、映画企業など、八方模索の時期であった。この全集もそれら直木企業の一つとして取り上げられたのである。或る日、直木君が訪ねて来て、私に第一巻と第二巻を持てという懇望であったが、私自身が新しく訳する時間などなかったので、友人にやらせてよいかというと、それでよいという。そこで、大阪から探偵小説好きの級友を呼びよせて、「妖犬」「恐怖の谷」「ホームズの冒険」を翻訳工場式に訳してもらった。その印税でこの友人の一年くらいの生活費以上のものが出たのだから大したものである。

この大阪にいた「探偵小説好きの旧友」とは誰のことなのだろうか。

原作者と書名は省略するが、乱歩や松本や直木の他に、この『世界探偵小説全集』の訳者を挙げておくと、三上於菟吉、東健而、延原謙、横溝正史、小酒井不木、田中早苗、和気律滋郎、大仏次郎、邦枝完二、近藤経一、松本恵子、平林初之輔、松本正雄となっている。だがこれらは乱歩や直木がそうであるように、大半が代訳者によっていたと考えていい。

『平凡社六十年史』もこの企画が「直木三十五のアイデアによるもの」と認めていて、円本における企画、編集、翻訳、出版の実態の一端が示されているといえよう。ただ留意しておかなければならないのは、それは『世界探偵小説全集』だけで終わったわけではなく、ホームズと乱歩たちの場合、昭和十年には『シャーロック・ホームズ』全六巻、戦後の昭和二十一年にも乱歩訳『恐怖の谷』『シャーロック・ホームズの冒険』として出されたことで、代訳者の存在にもかかわらず、円本時代のそれらの翻訳は訳者もそのままで、繰り返し出され続けたのである。それは想像以上に広範囲に及んでいたと推定される。


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