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古本夜話391 天人社、『現代暴露文学選集』、中本たか子『朝の無礼』

本連載388の『新進傑作小説全集』とほぼ同時期に、天人社から『現代暴露文学選集』全十巻が出ている。実はこの編集者が『平凡社六十年史』に、『大百科事典』編集部のベストメンバーの一人「天人社出身の鎌田敬止」として姿を見せている。この選集は『日本近代文学大事典』でも立項され、売笑婦、農民、及び鉱山、工業、軍隊、サラリーマン、労働者の「それぞれの暗澹、悲惨、奇怪、醜態なる内幕」を描いたシリーズとされている。

[f:id:OdaMitsuo:20140224175937j:image:h110] 日本近代文学大事典

また私も天人社については「小田律と天人社」(『古本探究3』所収)で書き、この『選集』の他に、ヘミングウェイの『武器よ・さらば』の初訳、大仏次郎の『ドレフュス事件』、「世界犯罪叢書」や「新芸術論システム」というシリーズ物などに言及している。ただ天人社は発行者が森岡豊吉、『現代暴露文学選集』の編集者が先に挙げた鎌田敬止であることは判明しているのだが、その全貌はつかめず、現在に至っている。

古本探究3

それでもその後、所持していなかったこの『現代暴露文学選集』の一冊である中本たか子の『朝の無礼』を入手している。なおこの『選集』の明細は拙著に掲載したので、ここでは省略する。これは四六判並製、百八十ページ弱、定価三十銭で、タイトルも含め、五つの短編からなり、その他の九冊もこのようなフォーマットで刊行されたと推測がつく。

[f:id:OdaMitsuo:20140320105605j:image:h120](第7巻、本の友社復刻)
ただ留意しなければならないのは、奥付に昭和五年五月十五日発行、六月十日十三版と表記されていることで、このような短期間での重版記載はよくあることだとしても、いかにも不自然で、このシリーズの生産、流通、販売に関する特殊性を示しているのだろうか。

だがそれを確かめる手がかりはない。だからまずは中本の一冊に表出している「暴露文学」の位相を見てみる。といってすべての短編について論じることはできないし、やはり表題とされた「朝の無礼」を取り上げるべきであろう。この作品の舞台は内戦が起き、戒厳令下にある上海で、主人公は母を日本人とするが、支那風に見える娼婦芳蘭である。母も同様で、父は「何れの種族の者か」わからなかった。内戦と戒厳令の街の描写から始まり、南軍と北軍と山東軍の攻防、暗殺の生臭い死体の日常化、外国租界における各国の帝国主義的動向への言及がなされ、濃厚な戦争の気配に包まれた上海が浮上してくる。

母から芳と呼ばれた彼女は国籍を持たず、十五の年から母と同じ生活に入り、十七の時に母の死に伴い、支那商人の妾になったが、彼は執拗に嫉妬深く、死に際に及んで、彼女を強制的に「性的不能者」ならしめた。その具体的記述は長い傍点で処理されていて、実際に彼女の身体に何が施されたのかは明らかではない。その代わりに彼女は支那商人からの遺産を得たことで阿片中毒となり、生活に多大な刺激を求めるようになっていた。そこに前述したような上海の戦争状況がもたらされたのだ。それは彼女に阿片よりも深い陶酔と期待を生じさせ、彼女は銃声が響き、至るところに死体が転がっている街へと出ていったのである。

もはや街は戦場に他ならなかった。短銃、小銃、大砲の音が互いに共鳴し、死体と兵士たちであふれていた。彼女の刺激を求める心は自らの戦争への参加となり、死んだ兵士の銃剣で山東軍の兵士を刺し殺し、さらに戦場と化した街を彷徨う。そして死体の中にあって、次のような光景を目撃する。

 閉じた目を開くと、俯伏した細い男の上へ大男が服を開いて上向きに乗りかゝつてゐた。その二等辺三角形の底辺を彼女の身体が引いてゐた。眼の向ふで、彼が余り後ろへのめつた為に外づれた灰色のズボンの口から、………………全部曝け出されてゐた。サボテンの花のやうに見える。
 「何と云ふ無礼さだ!」
 死者に対する慇懃な朝の沈黙の中に、これは又何と云ふ無礼さだ! 封じられた彼女の或力が、全くこの者の所為のやうに揮ひ起つて来た。怨恨と憤怒の総てが、モラトリウムにあつた銀行のやるに湧立つて来た。
 「さうだ、やつゝけるんだ、こいつを!」

そして彼女はあの銃剣を手にし、「無礼な死体のもとへ(中略)両腕に湧き来る力を短剣に集めて、サボテンの花を薙ぎ払つた。それは腫物の瘡蓋のやうにほろりと剥奪した」。その後彼女が「狂喜」状態、すなわち「狂気」に陥ったような描写で、この四十ページ弱の短編は終わっている。

「朝の無礼」は女流作家による戦場と娼婦をテーマとしていることに加え、検閲と発禁処分を考慮し、肝心な部分についての説明不足が生じ、それに伴い、傍点処理が施されている。だがこの短編のモチーフを要約してみれば、何らかの強制的手段によって性的不能者となった娼婦が、戦場での殺戮によって強く刺激され、死体からむき出しになっていた兵士の「サボテンの花」、おそらくペニスを切断し、「狂気」に陥る過程を描き、それこそ娼婦と戦場の「それぞれの暗澹、悲惨、奇怪、醜態なる内幕」を浮かび上がらせようとしたのであろう。

中本たか子は『日本近代文学大事典』でも立項されているが、かなり長いので要約してみる。明治三十六年山口県生れ、県立山口高女を卒え、県下の小学校勤務後、昭和二年上京し、『女人芸術』に短編を発表し、プロレタリア文学へと接近する。そして同四年、東洋モスリン亀戸工場争議に女工オルグとして活動し、検挙され、六年に保釈されているので、『朝の無礼』は彼女が収監中に出された作品集となる。

女人芸術 (創刊号、講談社復刻)

つまり今回は名前を挙げるだけにとどまってしまった鎌田を始めとする、『朝の無礼』の編集と出版に至るプロセスにも、様々なドラマが展開されていたのである。なおこれは知らなかったが、中本は昭和十六年に蔵原惟人と結婚し、戦後も一貫して共産党系作家として小説、ドキュメント、ルポルタージュを発表しているようだ。

後に本の友社から二〇〇〇年に『現代暴露文学選集』復刻されていることを知った。

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