前回ふれた、マチュー・カソヴィッツ監督の『憎しみ』が公開されされた一九九五年に、日本でもフランスの郊外をテーマとする一冊の書物が出現した。それは堀江敏幸の『郊外へ』であり、同書に収録された十三編はフィクション的散文でつづられていて、フランス郊外をめぐるエッセイ集というよりも、短編小説集のように読める一冊に仕上がっていた。
その第一編「レミントン・ポータブル」は次のように書き出されている。「四五〇フラン、それより安くはできないな、だってまだ十分現役として使えるからね」。毎年秋になると、パリ第三区の区役所前の辻公園と右隣のタンプル市場に古物市が立つ。そこで東洋人の「私」は半世紀以上前に作られた米国製レミントンのポータブル・タイプライターを見つけ、店番の少年に現金で払うから四〇〇フランに負けてくれないかと交渉したところ、返ってきた応えが先に挙げた言葉なのである。
それで章タイトルの由来はわかったのだが、これが『郊外へ』の表題とどのようにつながっていくのだろうか。「私」が最初にレミントン・ポータブルを知ったのはブレーズ・サンドラールの詩を通じてで、彼は第一次世界大戦にスイス国籍のためにフランス外人兵として従軍し、ドイツ軍の砲弾によって右腕を失い、左腕で文字を綴らざるをえなくなった。その彼が必然のようにレミントン・ポータブルに出会い、それを携えて放浪し、詩や小説を書いていたのである。その実物がサンドラールの写真に写っていて、「私」が値段交渉しているものとまったく同じ型だったのである。
少年の父親が戻ってきて、五〇フラン値引きしてくれたことで、「私」は首尾よくレミントン・ポータブルを入手に至るが、息子のほうは骨董品を生き返らせるために、昔の部品を揃えた修理屋にいくべきだと進言する。そこで父親は「私」にその修理屋を紹介する。それはパリ郊外のジャンティイにあった。ここまできて、ようやく「レミントン・ポータブル」の章が『郊外へ』の入り口とでもいうべき一編として構想されていたことが明らかになる。次にジャンティイ出身の写真家が登場するからだ。
それはまだ無名に近いロベール・ドワノーで、レミントン・ポータブルも写っているサンドラールのポートレートを撮ったのもこのドワノーだったのである。後にその写真の一枚を、堀江が訳したドワノーの『不完全なレンズで』(月曜社)の中に見ることができる。
第二次世界大戦後、南仏でサンドラールは自伝『雷に打たれた男』を書き上げ、その出版の宣伝用写真を撮るために、若きドワノーが派遣される。二人は意気投合し、サンドラールはドワノーがたまたま携えてきた未発表の写真を目にし、ただちにその才能を見抜き、写真集としてまとめるべきだし、その時には自分が文章を書くと断言したのだった。そしてサンドラールは自ら出版社を見つけ、ドワノーの膨大な写真の中から百枚ほどを選び、サンドラールのすばらしい散文を添え、一九四九年にセゲルス社からドワノーの名前を世に知らしめた写真集『パリ郊外』を刊行するに至る。堀江がドワノーによるサンドラールの写真にアウラを認めたように、サンドラールもまたその写真集の中にドワノーが抽出した郊外の詩を封じこめたといっていいだろう。
古物市のレミントン・ポータブルはブレーズ・サンドラールへと結びつけられ、それを教えてくれた写真を通じてロベール・ドワノーが登場し、二人の出会いによって『パリ郊外』が出版されることになった経緯と事情が語られていく。それは東洋人の「私」が見つけたレミントン・ポータブルが発端で、ここからパリ郊外への道筋とそれにまつわる多様な物語が開かれていくのである。すなわちこの「レミントン・ポータブル」はパリの「壁の中」から「壁の外」へと向かうイニシエーション的一編として用意周到に提出されていたことに気づかされる。また『郊外へ』の全編を貫く視点と体感も同様であることも。
堀江は書いている。断っていないが、最初の「郊外(バンリュー)」の定義はラルースの『十九世紀百科辞典』によるもので、郊外にまつわる事象と問題が現代のみならず、近代に起源を発していることを、あらかじめ示唆している。
現在では主としてパリ周辺の区域を指す、「郊外(バンリュー)」という「フランス語は、もともとは領主の「布告(バン)」が届く城壁の外「一里(リュー)」ほどの範囲を意味する言葉だった。極端な話、パリの城壁を一歩出れば、遠い近いの差こそあれ、郊外と呼ばれる領域に入ってしまうのである。(中略)じじつ、パリを取り囲む城壁の外へ開かれた門の多くには、郊外へむかうバスの発着所があって、そこから三桁の番号をもつ路線に乗ってしばらく走ると、もうパリ市内とは異質の空間がひろがっている。空の見え方、建物の外観、人々の歩き方、表情などが、微妙に、そして確実に変化する。もちろん立地条件にしたがってそれぞれ特有の世界を形成し、また時代の流れとともに大きくその相貌を変えているのだが、「郊外」という漠然としたことばの、最も簡便で、最も明確な定義となると、やはり「壁の外」といえるのではないだろうか。ときどきふっと魔がさしたようにパリの外へと足がむいて、なんの目的もなくバスに乗ったり、ほどよい疲れが身体を浸しはじめるまで歩きつづけることのあったじぶんの経験を照らしあわせてみると、郊外ということばの距離感は、歩く人の呼吸に見あった日本の単位である「里」にこめられたそれと、すんなり結びつくような気がしてくる。
ここに『郊外へ』全体に浸透している堀江の静かな基調音がこめられている。そして郊外の風景の中に歴史や生活や事件の痕跡をたどり、そうしたものの集積から立ち上がる郊外のイメージを紡ぎ出すために、堀江の散文は選ばれたのではないかと思えてくる。しかも「レミントン・ポータブル」がそうだったのように、それらの触媒として必ず写真集、詩や小説、映画などが寄り添い、様々な郊外のシーン、多彩な郊外の姿を浮かび上がらせようとしている。『郊外へ』を形成する十三編に見られるそれらの組み合わせを挙げてみる。斜線左が章タイトル、その右が写真集、詩集、小説、映画などである。
1 「レミントン・ポータブル」/ブレーズ・サンドラール、ロベール・ドワノー『パリ郊外』 2 「空のゆるやかな接近」/ジャック・レダ『壁の外』『パリの廃墟』 3 「夜の鳥」/スーザン・ヒル『夜の鳥』(邦訳『奇妙な出会い』) 4 「動物園を愛した男」/マルカム・ボース『動物園を愛した男』(映画『アジャン・トゥルブル』) 5 「霧の係船ドック」/リュック=アルベール・モロー画集』 6 「ロワシー・エクスプレス」/フランソワ・マスペロ『ロワシー・エクスプレスの乗客』 7 「灰色の血」/カフカ『日記』、フランソワ・ボン『灰色の血』。ジョルジュ・ペレック『ぼくは覚えている』 8 「給水塔へ」/ヴァージニア・リー・バートン『ちいさいおうち』、ミシェル・ヴォルコヴィッチ『ヌイイー=プレザンスの世界の果て/パリ郊外の旅』 9 「記憶の場所」/パトリック・モディアノ『特赦』 10 「首のない木馬」/ポール・ベルナ『首のない木馬』 11 「坂道の夢想」/ウィリー・ロニ『ベルヴィル=メニルモンタン』・ジャック・ドレー『フリック・ストーリー』 12 「垂直の詩」/DATAR (国土整備地方振興庁)プロジェクト『八〇年代フランスの風景写真』、マルク・リブゥ、パトリック・ザックマン、ロラン・ラボワ『郊外』 13「タンジールからタンジェへ」/エマニュエル・オカール&ジュリエット・ヴァレリー『出資者』、オカール『タンジールの私立探偵』
残念なことに、これらは日本で刊行されたり、翻訳されているものは少ないが、フランスにおいて、かなり多くの郊外をめぐる作品が出現していることを教えてくれる。
それらが伝える郊外のイメージや匂いや秘密などを抽出してみる。新しいコンクリート廃墟、人間を生き生きと見せる背景がきれいに拭い去られた空間、都市になろうとしてなれずにいる郊外、どっちつかずの状態にしか安堵できない空間としての郊外、殺伐とした郊外、剥き出しの土地の空気と誰も関心を持ってくれない郊外の匂い、パリ郊外のすさんだ風景の中にあるコンクリートの街並み、退屈な日々、移民と失業者、荒廃する若者たちの現在と過去、郊外の至るところに存在する不条理と小さなひずみ、「苦役」と形容される実態、忘却の場にして忘れられた場所としての郊外、パリのゴミ箱として巨大な郊外団地。
「壁の中」のパリはいつも華やかに語られてきたのに、「壁の外」の郊外は常に苦く、まだ新しいドワノーは出現していないようなのだ。現在において、ドワノーの『郊外』にあったささやかないくつもの慰安の背景はどこに見つかるのだろうか。
『郊外へ』が2000年に白水社の新書版「Uブックス」の一冊に収録されるにあたって、堀江はその「あとがき」で、それぞれの物語に登場する「私」とその出来事が「完全な虚構」であることを断っている。だがそうであったとしても、そこで提出された多様な郊外の物語は静かな波紋となって広がっていったように思われる。だがそれもすでに二十年近く前の物語になってしまった。現在のフランスの郊外の物語はどのような変容をたどることになったのであろうか。それをもう少し追跡しなければならない。