前々回の堀江敏幸の『郊外へ』の第七章において、既述しておいたように、フランソワ・ボンの『灰色の血』とパリ北郊のラ・クルヌーヴ市への言及がなされている。堀江によれば、ボンは著名ではないが、ミニュイ社から郊外の匂いを漂わせた癖のある作品を三冊ほど刊行し、少数の固定読者を確保していて、『灰色の血』はその市にあるジャック・ブレル高校の自発的な生徒たちを対象にした文章教室の成果をまとめたものとされる。だがまだ入手しておらず、未読である。
またこちらは堀江が引いているボンによれば、ラ・クルヌーヴ市は郊外を代表する地域のひとつで、とりわけ都市計画の惨状を露呈し、他の郊外と同様に建物の廃墟化、崩壊しつつある工業用開発地域、新たな高速道路の貫通工事などによって悪化の一途をたどっている。それでもラ・クルヌーヴ市の惨状は他よりもいくらか深刻なだけで、ありふれた社会問題のひとつにすぎず、「土曜の夜に、スーパーマーケットの駐車場で投石や銃撃が行なわれなければ、テレビもこの問題に首をつっこんだりしない」のだ。
ラ・クルヌーヴ市の南半分は二つの大工場で占められ、全体からすると市街地はわずかなもので、北と南には「四〇〇〇(レ・キャトル・ミル)」と呼ばれる巨大なHLM=低家賃高層住宅がそびえ立ち、ジャック・ブレル高校に通っている大半の生徒がこの団地の住人で、このような状況の中で成長したか、もしくは北アフリカから移民の親とともにやってきた異国籍の子どもたちだった。
当然のことながら、カソヴィッツの映画『憎しみ』ではないけれど、彼らはこのようなラ・クルヌーヴを憎み、そこに閉じ込められている自分たちの日々を呪っていた。そうした三十二人の十七歳の高校生たちがボンの文章教室を受講したのである。そのためにボンは何人かの作家の文章を選択し、生徒たちに配布することで、彼らを刺激し、自己表現への道を開こうとした。それらのひとつにセリーヌの文章があった。それを堀江訳で再引用してみる。
哀れな郊外、みなが靴底をぬぐい、唾をはき、通りすぎていくだけの、都市の前に置かれた靴ぬぐい、いったい誰がこの哀れな郊外を思ってくれるのか。誰もいやしない。工場で頭をにぶらされ、肥料をつめこまれ、ずたずたに引き裂かれた郊外は、もはや魂の抜けた土地・呪われた強制収容所でしかなく、そこでは微笑みも用なしで、苦労は報われず、ただ味けない苦しみが残るだけだ……いつまでも疲れ果てたカルヴァリオの丘、そんなものをだれが気にかけてくれるのか。もちろん、誰もいやしない。粗野な郊外、ただそれだけの話なのだ……いつも漠然と不穏な考えを温めている喧嘩腰の郊外、しかしそんな計画を推し進め、やりおおす者などひとりもいやしない、死ぬほど病んでいるくせに、死ぬことだけはないのが郊外だ。
このセリーヌの文章は高校生たちを魅了したという。堀江はそのことについて書いている。「傍目にはどう映ろうと、たぶんいまもセリーヌの一節に時代を超えて寸分たがわず当てはまる状況を、彼らは生きているのだ」。数字に示されているように、まさにクルヌーヴ市の四千世帯をストックする「呪われた巨大な郊外団地」は社会福祉対象者や移民たちといった、パリ市にあまり好ましくない人々をぶちこむ「パリのゴミ箱」として機能してきた。一九六〇年に地域開発計画によって建設された高層住宅は八〇年代に入り、老朽化し、住環境の悪化に伴い、改築プランも提出されたが、コストの問題もあって、棚上げされたままだった。
そのような状況下で、林瑞枝が『フランスの異邦人』 でレポートしたものと同様の事件が起きた。八三年に九歳になる移民の子どもが空気銃で撃たれ、殺されたのだ。犯人はフランス人で、子供の爆竹遊びに苛立ち、犯行に及んだのである。この事件は「ブール」と呼ばれるマグレブ系移民二世に対して衝撃を与えた。その事件の記憶を消し去るかのように、宙に浮いていた改革案が政府に承認され、八六年に四一七戸を抱えたひとつの棟の取り壊しが決定され、ダイナマイトによって爆破された。それは一大スペクタルとして全国テレビ中継され、前回既述したようにドアノーがリブロポート版『パリ郊外』で言及していたのはこのことをさしているのだろう。
さてそれらのことはともかく、ここで問題にしたいのはセリーヌの文章の出典であるのだが、それは記されていなかった。そこでこれは『夜の果ての旅』(生田耕作訳、中公文庫)といった小説ではなく、ドキュメントエッセイ的な作品に収録されているのではないかと考え、国書刊行会の『城から城』 『北』(いずれも高坂和彦訳)、『死体派』 (長田俊雄訳)などに目を通したのだが、見出せなかった。
それが判明したのはしばらく経ってからで、二〇〇〇年に刊行された堀江の『子午線を求めて』(思潮社)所収の「ブゾンとラ・クルヌーヴのはざまで」を読むに至ってだった。同書にはこれに加えて、同様にセリーヌと『夜の果てへの旅』と郊外を論じた「セリーヌとロマン・ノワールのための序章」を収録され、巻末の「初出一覧」を確認すると、これらの二編も『郊外へ』とほぼ同時代に書かれていたことがわかる。
前者において、堀江はまずエリック・ロメールの『春のソナタ』の冒頭に映し出されているのが、ジャック・ブレル高校であり、それの文化会館のような建物とイメージはラ・クルヌーヴ市の惨状を隠蔽する役割を果たしているのではないかとの疑念を遠まわしに提出している。そしてボンの転向などにもふれているのだが、これらの問題に関しては別の機会に譲り、ここでは立ち入らない。
そして再びセリーヌのあの郊外に関する文章が、訳文も一部手直しされ、さらに倍近く長く引用され、それがボンの「『灰色の血』の扉に適宜抄出されたうえでエピグラフとして掲げられた」もので、セリーヌのエッセイ「プゾンを唄うこと、これこそが試練だ!」が出典だと明かされている。プゾンもパリ郊外に他ならず、セリーヌはその隣のクルブヴォワ生まれであり、これはプゾンの図書館司書アルベールセルーユの『プゾン年代記』に寄せられた序文である。
また後者の「セリーヌとロマン・ノワールのための序章」は、『夜の果ての旅』が郊外の物語でもあることを教示し、その再読を促すことになった。それはかつて読んだ生田耕作訳が一九六〇年代半ばのものであり、郊外というトポス、もしくはパリと郊外をめぐる関係が訳者にも読者にもよく見えていなかったことも起因している。しかもゾラの『ボヌール・デ・ダム百貨店』(伊藤桂子訳、論創社)の編集に携わっていた時、このモデルであるボン・マルシェ百貨店の近くのショワズール・パサージュでセリーヌが育ったことを確認するために、フレデリック・ヴィトゥーの浩瀚な『セリーヌ伝』(権 寧訳、水声社)を読んでいたにもかかわらず、セリーヌと郊外の関係に目を向けていなかったことも反省させられた。むしろパリの内側のパサージュではなく、郊外を注視すべきだったのだ。
あらためて『夜の果ての旅』を読んでいくと、主人公のバルダミュはサンドラールのように第一次世界大戦に志願し、その後アフリカ、アメリカと遍歴し、フランスに戻り、医師の免許を取得し、パリ郊外に医院を構え、そこが物語の重要なトポスだとわかる。彼がフランスに帰国する前にいたのは何と本連載61の『8Mile』の舞台のデトロイトで、成長の只中にあったモーターシティにして田園都市から帰還し、フランス郊外へと身を落ち着けたことになる。それは架空の郊外ガレンヌ=ランシイで、堀江の指摘によれば、ランシイの音は「酸化してすえた臭いを発する状態をいう形容詞《ranci》と重なって、人間の本能が噴出する腐りかけた場所、異臭の漂う郊外を、それだけで体現している」し、それはまた「ダシール・ハメットのポイズンヴィルと同様、住民の腐敗と毒を内包しながら存在する架空の世界」に他ならない。
「ポイズンヴィル(毒の町)」はハメットの『赤い収穫』 (小鷹信光訳、ハヤカワ文庫)の舞台で、「パーソンヴィル(人間の町)」の別称であることはいうまでもないだろう。これらについては本ブログ「ゾラからハードボイルドへ」4の「ダシール・ハメット『赤い収穫』」を参照されたい。それゆえにランシイも「ポイズンヴィル」に他ならず、デトロイトと二重映しになる。
ランシイの空の光は、デトロイトそっくりだ。ルバロアからこっち平野一面に氾濫した煤煙の濁水。廃物のような建物が黒いごみで地面にしばりつけられている。長短とりどりの煙突は、遠くからは、海辺の泥土の中に突き立った太い杭みたいだ。その中に、僕らがいるのだ。
パリの内側に金持ち連中は住んでいて、郊外は貧困の掃き溜めのようであり、よほどの勇気と若さがないとここからは抜けられないのだ。だが飢え死しないためには絶えず雇主を見つけにパリに出ていくしかない。
ごみくずみたいに鉄箱の中に圧しこめられ、ランシイを通り抜ける、おまけにおそろしい臭気だ、ことに夏場は。パリの城壁のあたりでいがみ合い、はてはどなりちらす、やがて互いに姿を見失う、地下道がみんなを、すべてを、飲みくだすのだ、洗いざらしの背広、くたびれた婦人服、絹靴下、子宮炎、靴下同様きたない足、支払日みたいに頑固なこちこちのカラー、進行中の流産、名誉の軍人、なにもかもが真っ暗なつき当たり目ざしてコールタールと石炭酸くさい階段をころがり落ちる。それだけあればプチパンが二つは買える帰りの切符を懐中に。
就職難、雇用の不安定性、首切りの不安などが一九二〇年代から郊外の特有の状況として顕在化していたのである。
『夜の果ての旅』の主人公バルダミュは最初に出てくるノワルスールからデトロイト、ガレンヌ・ランシイを経て、ヴィニイ=シュル=セーヌと郊外をたどっていく。もちろんそうした軌跡はセリーヌがたどったものでもある。最後に現われたヴィニイ=シュル=セーヌも「郊外に変わりつつある村落」であることに変わりがない。だから郊外とは「真っ暗なつき当たり」であり、「夜の果ての旅」=Voyage au bout la nuitとは「郊外の果ての旅」=Voyage au bout la banlieu と考えることもできるだろう。
なお堀江は『夜の果てへの旅』としているが、ここでは生田によるタイトルと訳文にしたがった。