『西條八十詩謡全集』第六巻の「時謡」の「一九三三年−一九三五年」のところに、「サムライ・ニッポン」がある。この第一、二連の歌詞を挙げてみる。
『西條八十詩謡全集』
人を斬るのが侍ならば 恋の未練がなぜ斬れぬ のびた月代寂しく撫でて 新納鶴千代(にいろうつるちよ) にがわらひ
昨日勤王 明日は佐幕 その日その日の出来ごころ どうせおいらは裏切者よ 野暮な大小落し差し
これもまた「東京行進曲」と同様に、小説と映画によるメディアミクス化で松平信博の作曲を得て、流行歌として一世を風靡したと伝えられている。映画『侍ニッポン』は昭和六年の日活太秦の作品、伊藤大輔監督、大河内伝次郎主演であり、昭和が進むにつれ、大衆文学、流行歌、映画という三位一体の関係がより密接になっていったことを示していよう。
さらに付け加えれば、映画を観ていなくても小説を読んでいなくても「人を斬るのが侍ならば/恋の未練がなぜ斬れぬ」とか、「昨日勤王 明日は佐幕/その日その日の出来ごころ」といった歌詞やメロディ、及び新納鶴千代という主人公の名前は広く世相に記憶されるに至ったという。そういえば、黒澤明の『七人の侍』で、三船敏郎が扮する菊千代の名も、『侍ニッポン』の主人公に由来しているのではないだろうか。
(春陽文庫)
『侍ニッポン』の作者の郡司次郎正は明治三十八年群馬県伊勢崎市に生まれ、大正十二年水戸中学卒業後、東京本郷の森岩雄が校長を務める映画俳優学校に入り、後に村山知義、船橋聖一などの心座に加入し、新劇俳優をめざした。だが作家に転向し、昭和三年から六年にかけて、『ミス・ニッポン』『マダムニッポン』『侍ニッポン』『ミスター・ニッポン』の四部作を発表し、ニッポンブームを巻き起こす。その中でも『侍ニッポン』は何度も映画化され、作者の郡司の名前を不滅のものにしたとされる。
また『侍ニッポン』のストーリーは次のようなものだ。井伊直弼の妾の子として生まれた新納鶴千代は出生にまつわる暗い秘密と封建時代の重苦しい身分制度の中で、農民を始めとするプロレタリア解放につながる、新しい反逆的精神の持主だった。ところがそれは理解されず、勤王派の水戸浪士に誘われ、水戸へと移り、姫菊という芸妓とめぐり合うが、彼女は家老の囲い者で、鶴千代が水戸を去ると、悲しみのあまり自殺してしまう。その一方で、時代は安政の大獄、桜田門外の変も近づきつつあった。現在の時点で読んでみると、映画、脚本、小説のイメージのアマルガムのようで、「ニッポン」にこめられた新しさのニュアンスは感じられるにしても、中途半端な印象は否めない。
『侍ニッポン/幕末ニッポン』(中央公論社、昭和四十八年)に寄せられた尾崎秀樹の「解説」によれば、村山知義のところに出入りしていた新納時千代なる人物がいて、共産党シンパとして官憲にマークされていた。しかしその新納が党の指令についていけず、脱落していく姿を思い浮かべ、共産党の非合法活動と井伊大老暗殺計画を置き換え、その裏切者としての鶴千代をイメージすることによって、そのストーリーが成立したという。
つまり幕末と昭和初期の政治的動乱が重ねられていることになり、それは同時代の先行する時代小説である大仏次郎『赤穂浪士』(新潮文庫)や土師清二『『砂絵呪縛』(中公文庫)と共通している。これが昭和四十八年にまたしても刊行されたのも、その時代が再現されていると目されたからであろう。
しかしここでは『侍ニッポン』だけにふれるが、もはや最初の版で読むことができない状況にあると思われる。真鍋元之編『増補大衆文学事典』(青蛙房)にそのストーリー紹介がなされ、初版はアルス刊書き下ろし、流布本の三一書房版 について、「初版本が突然絶版となりましたので、戦後三一書房から出しましたものは想像して書きおろしたものです」との、郡司が真鍋へ宛てた私信の掲載がある。とすれば、先に挙げた中央公論社版も同様だと見なせるし、事実「人を斬るのが侍ならば」以下の歌まで挿入されている。ということは、三一書房=中央公論社版は「想像して書きおろしたもの」で、初版とはかなりちがっているのではないだろうか。
実際に戦後になっても、『侍ニッポン』はラジオドラマや映画化されていたようで、それに伴い、『続侍ニッポン』『新編侍ニッポン』(いずれも洋々社、昭和三十二年)が出ているし、中央公論社の『幕末ニッポン』もそのような戦後の連作だと見なしていいだろう。それにしても洋々社といえば、昭和二十八年に『明治文化史』全十四巻を刊行しているし、郡司とはどのような関係にあったのだろうか。
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それから『日本近代文学大事典』によれば、『侍ニッポン』の初版はアルスではなく、尖端社とあるので、書影を見たいと思い、探してみると八木昇『大衆文芸図誌』(新人物往来社)にようやく見つけることができた。それは昭和六年三月に出された箱入の尖端社版で、装丁は誰によるのか不明だが、時代小説というよりもモダニズム小説を彷彿させるもので、尾崎が郡司の小説を「昭和初期のモガ・モボ・ナンセンス時代のモダニズム文学の大衆版」とよんでいることを思い出した。しかしそれをはっきり見定めるためにはこの尖端社版を読んでみないと、その実相は浮かび上がってこないようにも考えられる。それを読む機会が訪れるだろうか。
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