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古本夜話401 北原白秋「銀座の雨」と沙良峯夫「銀座青年の歌」

本連載397に続いて、銀座の流行歌にもう一度ふれてみる。安藤更生は本連載350『銀座細見』の中で、「かつての銀座を指導したものは、フランス趣味であり、芸術青年であつた」が、それらはまったく後退し、「今日銀座を横行するものは、モダンボーイであり、アメリカニズムである」と述べている。そして安藤はその例として、銀座を主題とする二つの詩を引用し、「両時代の気風の差異」を見ようとする。
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そのひとつは北原白秋の『東京景物詩及其他』(東雲堂書店、大正二年)所収の「銀座の雨」で、近代文学館とほるぷ出版の復刻版を見ると、明治四十四年作とある。「雨……雨……雨……/雨は銀座に新らしく/しみじみとふる、さくさくと、」に始まるこの詩は「若いロテイのものおもひ」「お菊夫人の縫針」とか「Henride Régnierが曇り玉」「Verlaine(ヴエルレイヌ)の涙雨」とかいった言葉が散りばめられ、確かに安藤のいう銀座における「フランス趣味」と「芸術青年」の投影を示している。
東京景物詩及其他 北原白秋詩集 下(岩波文庫、「東京景物詩及其他」所収)

また「余言」に白秋の「東京、東京、その名の何すればしかく哀しく美くしきや」との告白が見えているように、東京や銀座に対するオマージュも含んでいるのである。白秋自らによる装丁と木下杢太郎のカラー挿画「夏の遊楽」はその表象といえよう。なおその版元については拙稿「西村陽吉と東雲堂書店」(『古本探究』所収)を参照されたい。
古本探究

この白秋の「銀座の雨」に対して、安藤は次に沙良峯夫の「銀座青年の歌」を挙げている。沙良は年少にして亡くなった詩人で、この詩は大正十四年の作であり、最近出版された彼の多からぬ遺稿の一編だという。沙良という詩人の名前も、「銀座青年の歌」なる詩も『銀座細見』の中でしか紹介されていないのかもしれない。ただ六ページに及ぶ長い詩なので、抽出して示すしかない。

 なにしろ冬が逝つたのさ
 あの化粧品屋の売つ子め
 たうと女優になりやがつた
 ―しかも活動の
 大雪の夜に濠端を
 一緒にタクシではしつた事を
 忘れたいのに覚えてゐるが
 くそ、まあせいぜい俗衆の前で
 下手なキスでもして暮し給へ
  (中略)
 春は細身のケエンにかぎる
 やはらかな色のボルサリノ
 英吉利(イギリス)型のオリイブの春の上衣の出立(いでたち)で
 ケエン振りふり街を歩いたら
 さぞや好からう、恋もある
 ごつた返しのバラツク街に 
 浮気な春が、春がくる
 ほこり、砂嵐、なんのその
 空はうつとり、菫いろ
 稽古律塗(チヨコレート)の飛行機よ
 ひとつ陽気にきりゝゝ舞してゝ落つこちろ
 ラアラララアラ、ランララア……

一部分の引用でしかないが、同じ銀座がテーマであっても、沙良の詩の、白秋と異なるニュアンスとリズムは理解頂けたと思う。安藤の指摘によれば、この詩に現われてくる人名の多くがアメリカの映画人で、沙良は「今日見る如きアメリカカブレの青年ではない」けれど、そこで多少の憧憬をこめて歌われているのは「悉くアメリの生活の縮図」で、「その作品には思はずも時代嗜好の方向を見せて居る」ということになる。

このふたつの詩に表象されている銀座の変貌は何に起因しているのか。もちろん「ごつた返しのバラツク街」に象徴されている関東大震災の投影であるのだが、安藤はそこに何よりも第一次世界大戦後のアメリカの台頭を挙げ、次のように述べている。

 今やアメリカである。成金国アメリカで起つた百パーセントの資本主義である。今や世界がアメリカなのか、アメリカが世界なのか。高度に発達した機械主義によるマツス・アンドスピード・プロダクシヨン・テエイラリズムの適用に仍る能率主義産業の合理化、アメリカはその計る可からざる資力を擁して先づ戦後の疲弊回復せざるヨーロッパを征服し、更に全世界を征服した。マンモンは今や世界に光宅してゐるのである。今やアメリカだけが世界なのである。

それに対し、ヨーロッパは「完全に田舎」となり、「最早文化的衰退期」に入ってしまった。銀座も銀ブラもヨーロッパ文化の模倣と影響下に成立し、銀座文化も「これら西欧諸国の半強制的な模倣だつた」。ところがその範としたヨーロッパが没落し始め、「之に代わるものは大資本と、スピードと映画のアメリカニズムだ。日本人の多くは、今やアメリカを通じてのみ世界を理解しやうとして居るのだ」。

このような銀座の変貌が白秋の「銀座の雨」と沙良峯夫の「銀座青年の歌」に表出していることになる。ただ皮肉なことに、この時代に白秋は詩、短歌、童謡などすべての分野における巨匠として全十八巻に及ぶ『白秋全集』(アルス)が刊行され始めたことに対し、沙良のほうはささやかな遺稿集を残し、近代詩人の一人としてのプロフィルは定かでなく、消えていったことになる。

その後、沙良について判明したことを付記しておく。
彼のプロフィルは「名誌の林」に掲載され、本名は梅沢孝一で、ペンネームはサラ・ベルナールからとったものだとされる。遺稿集『華やかなる憂鬱―沙良峰雄詩集』は一九六七年に、沙良峰雄をしのぶ会から刊行されている。

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