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混住社会論68 ディディエ・デナンクス『記憶のための殺人』(草思社、一九九五年)

記憶のための殺人



 
  パリの中心部とそれを取り巻く区域、それがパリっ子たちにとっては世界のすべてである。彼らはけっしてその外に出ない。
イヴリー、ジャンティイ、オーヴェルヴィリエ、ドゥランシーなどは、いずれも地の果てなのである。
                  ユゴーレ・ミゼラブル

もう一編ロマン・ノワールを取り上げたい。それはデナンクスの『記憶のための殺人』堀茂樹訳)で、やはり九五年に草思社の「ロマン・ノワール」シリーズの一冊として刊行されている。しかもこの作品はこれまで言及してきたフランスの郊外を覆うファクターである移民、ゾーン、HLMなどに加え、前回のモディアノの『1941年。パリの尋ね人』におけるドランシー収容所までが揃い、フランス現代史を背景とする「郊外型ロマン・ノワール」の象徴的な一編に仕立てられている。
1941年。パリの尋ね人

それはデナンクス自身がパリ郊外のサン=ドニ生まれで、HLMに育ち、同書や続けて出された『死は誰も忘れない』高橋啓訳)の巻末に表記されているように、ずっとその地域のオーヴェルヴィリエに住んでいることも大きく作用しているのだろう。なおここでは『記憶のための殺人』の表記に従い、以後ドランシーはドゥランシーとする。
死は誰も忘れない

『記憶のための殺人』は一九六一年十月十七日の事件から始まっている。アルジェリア独立戦争終結に向かいつつあったが、十月五日、パリ警視庁はパリとその郊外に住む十五万人のアルジェリア系住民に夜間外出禁止を実施するに至った。当時彼らが住んでいたのは、本連載62で林瑞枝の『フランスの異邦人』のレポートを引き、既述しておいたように、ビドンヴィルと呼ばれる掘立小屋のバラック集落であり、その生活は『記憶のための殺人』にも見えている。
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アルジェリア民族解放戦線(FLN)はこの夜間外出禁止令をボイコットするように指示し、十月十七日夜八時半から広範なデモを計画した。その行動は『記憶のための殺人』において、次のように描かれている。「ほんの数分でデモ隊が組織された。急拵えのプラカードがコートの下から現われた。もっと先の方では横断幕が広げられている。『夜間外出禁止反対!』民族衣装を身に纏ったアルジェリア人女性の一グループが先頭に立ち、(中略)地下鉄の通路で待機していたデモ参加者たちも続々、最初に車道に出た一団に合流していく」。

このデモに対して、絶対に阻止せよとのパポン警視総監の命を受けた警察機動隊が襲いにかかり、激しい暴力や拳銃による弾圧を加え、警察の公式発表による死者はアルジェリア人二名、ヨーロッパ人一名だが、実際にはその犠牲となって少なくとも二百人以上の死者が出たことが判明している。

『記憶のための殺人』はアルジェリア人デモにおける、このうちの死者であるヨーロッパ人一名に焦点を当て、始まっていく。それは高校教師のロジェ・ティロで、帰宅途中でデモに遭遇し、アルジェリア人の無残な負傷者や死体を目撃し、その光景を茫然と見つめていた。するとその背後に機動隊の制服を着た一人の男が近づき、ロジェの頭を拘束し、ブローニング自動拳銃で顳顬を撃ち抜いた。ロジェの自宅では身重の妻ミュリエルが彼の帰りを待っていたというのに。

それから二十年後、ロジェの息子ベルナール・ティロは祖父母に育てられ、中世史を研究する学生となり、恋人のクロディーヌ・シュネも同じく「一九三〇年代のパリ市の貧民街」に関する学位論文を準備していた。原文を参していないが、後半における彼女の説明からすると、これは「ゾーン」研究だと考えていい。二人はヴァカンスでモロッコに向かう途中で、フランス南西部のトゥールーズに立ち寄った。それはベルナールが県庁の公文書室で資料を調べることにしていたからだ。だがベルナールもまた父と同様に、ホテルに戻る道で射殺されてしまう。どうして父子が撃ち殺されることになったのか。

トゥールーズ警察署のカダン刑事はクロディーヌからベルナール父子のことなどを事情聴取し、その一方で殺人犯がパリナンバーの黒いルノーに乗っている六十歳ほどの男だという目撃証言を得る。おそらく犯人はパリからベルナールをつけ、自ら手を下したのだ。ベルナールが公文書室で調べていたのは専門の中世史に関するものではなく、一九四二、三年の行政文書で、その中には当時のフランス政府による要請文書があった。それはユダヤ人家族と子供たちを引き離すことなく、アウシュヴィッツなどの強制収容所へ送るように指示しているもので、A・Vの略署のある一連の通達によって実行に移されていた。つまりその文書は、フランス政府がナチスによるユダヤ人ジェノサイドに協力していた事実を浮かび上がらせていた。

カダンは捜査のためにパリに戻るクロディーヌの車に同乗し、パリ出張を決意する。まずロジェの死の実態を探っていくと、その現場を撮った写真とフィルムの存在に突き当たる。後者のフィルムはベルギーのテレビ局による一時間を超えるもので、それはまったく放映されていなかったが、カダンはベルギーのブリュッセルを訪ね、見ることができた。そのフィルムには機動隊によるデモの生々しい弾圧だけでなく、ロジェの最期の場面と殺人者の顔の半分が映っていた。カダンはその写真をロジェの妻に見せ、ロジェの生まれ故郷がセーヌ=サン=ドニ県のドゥランシーで、それに関する論文を書き、ベルナールが保存していたという話を聞き出す。両親はまだドゥランシーで暮らしていて、ベルナールもそこで育てられたのだ。殺された父子を結びつける共通のトポスがドゥランシーだったことになる。

その一方で、クロディーヌもカダンに、郊外のドゥランシーの古い家で祖父母によって息子とまったく同様に育てられたベルナールについて語り、また自分がテーマとする、かつての「ゾーン」があった郊外へと案内する。一群のHLM、高速道路とパリ環状道路、ジャンティイの墓地が見える。彼女はそれらを見ながら、かつてここは「パリでいちばんゴミゴミした貧しい地区」で、「いわば屑屋の王国」だったという。そして続けるのだ。

 「(……)数十年前には、世間は犯罪が起これば何でも貧しい界隈の住民のせいにしていたのよ。手近の新聞を取って三面記事の頁を開いてみればいいわ。今だって何ひとつ本当は変わっていないって気づくわよ。今の社会の嫌われ者といえば、都市の中心部からかなり離れた郊外の団地に住んでいる人たち、〈マンゲット〉や〈キャトルミル〉の住民よね。移民が以前のジプシーのように扱われ、若い失業者が昔の屑屋の立場に立たされているんだわ」

そして彼女はこれがフランスの社会システムだとも語る。ここには前々回のヴォートランのロマン・ノワールと共通する基調音が響いている。いってみれば、これが「郊外型ロマン・ノワール」を特徴づける木霊に他ならない。クロディーヌの述懐は『記憶のための殺人』のサブエピソードに位置づけられるにしても、メインストーリーを補完していることはいうまでもないだろう。付け加えておけば、〈マンゲット〉とはリヨン郊外の犯罪の巣窟とされる団地、〈キャトルミル〉はパリ郊外の巨大団地をさしている。

そうした展開のかたわらで、写真からロジェを射殺した男の名前が判明する。彼はアルジェリア戦争でFLN責任者を始末する特殊部隊に属していたが、現在は引退し、トゥールーズ近郊にすんでいた。彼の証言によれば、特殊部隊上層部からの命令で、ロジェは始末されたのである。またカダンはクロディーヌが貸してくれたロジェの『ドゥランシー』と題する未刊論文を読む。それはこれも既述したドゥランシー収容所で病死した詩人マックス・ジャコブに捧げられていた。『ドゥランシー』の第一部は古代から十九世紀、第二部が現代史を形成し、前回も言及した田園都市とニュータウン計画に関する既述も見つかるので、カダンの要約から収容所に至る時代の部分を引用してみる。

 (……)戦前の市長たちの先駆的精神と、彼らの都市計画に光を当てていた。その計画とは、独立住宅と集合住宅合わせて数千戸に及ぶ住宅を含む広大な公園都市(Cité‐jardin=田園都市であろう―引用者注)の建設を目指すものだった。それは一種の理想都市、二十世紀にふさわしい生活共同体であって、住民たちはそこに設けられる学校、競技場、病院、託児所、ショッピングセンターなど、ひとまとまりのサービス機関と公共設備を利用できるはずだった。
 一戸建て住宅工事が始まったのは一九三二年だった。市の人口が倍増し、四万人弱に達した。
 一九三四年には、さらに大胆なプログラムが発表された。ドゥランシーはフランス初の高層ビルを擁することになるのだ! 十五階建てのタワー五棟、タワーよりずっと低い横長のビル数棟、どっしりとした馬蹄型四階立てのビル一棟。それらの中に数百個の住居が造られ、三十ばかりの区画に分けられて、それぞれ一つの出入り口階段を共有する。団地全体は、近郊の街の通称を通じて〈ラ・ミュエット〉と名付けられる。

これは堀江敏幸の『郊外へ』で紹介されている「シテ・ドゥ・ミュエット」である。だがここではロジェ論文に沿ってもう少し進めてみる。ところが一戸建て住宅は売れたけれど、フランス初の高層住宅は家賃が安いにもかかわらず、入居者が集まらず、団地全体が国防省に安く払い下げられ、機動憲兵隊の駐屯地になった。前回の『1941年。パリの尋ね人』でふれたコミュニストたちの収容所とはこの時期をさしていると思われている。そして一九四〇年頃はドイツ兵捕虜収容所となっていたが、それ以後は立場が逆転し、ドイツ占領下におけるフランス国内のユダヤ人の強制収容所となり、ここからユダヤ人がアウシュヴィッツへと移送されていったことは、これまで繰り返し既述してきた。また知られていなかった事実として、四四年に解放されたドゥランシー収容所が、今度は対独協力で起訴された数千人のフランス人の拘留所になったという。

郊外へ

それらのドゥランシー収容所の歴史において、突出しているのはドイツ占領下で、ここからアウシュヴィッツなどへと送られた子供たちの数の多さである。ロジェはその資料を論文に収録していた。ベルナールもそれを調べていたのではないかとカダンは推測する。そして公文書室での閲覧カードをたどっていくと、六一年十月にロジェが〈DE〉文書、すなわちベルナールが閲覧していた〈強制収容所送り〉文書を読んでいたとわかった。これは先述したように、ユダヤ人家族と子供たちを引き離すことなくアウシュヴィッツなどへ送るように要請した文書で、A・Vの略署による通達だった。つまりティロ父子は、このフランス政府自らがナチスによるユダヤ人ジェノサイドに協力した事実にふれ、実際にA・Vというイニシャルの人物を突き止めたことによって、二人とも殺されたという真相に至り着く。そしてこのA・Vとはアルジェリア人デモの弾圧を命令したパポン警視総監をモデルとしているのだ。

そしてようやく『記憶のための殺人』のタイトル、及びそのエピグラフ「過去を忘れると、人は過去と同じ事態を生きる羽目に陥る」にこめられた様々な意味が了解されることになる。

なお最初に挙げたユゴーの一文はロジェの論文に引用されていたものである。

◆過去の「混住社会論」の記事
「混住社会論」67  パトリック・モディアノ『1941年。パリの尋ね人』(作品社、一九九八年)
「混住社会論」66  ジャン・ヴォートラン『グルーム』(文春文庫、二〇〇二年)
「混住社会論」65  セリーヌ『夜の果ての旅』(原書一九三二年、中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」64  ロベール・ドアノー『パリ郊外』(原書一九四九年、リブロポート、一九九二年)
「混住社会論」63  堀江敏幸『郊外へ』(白水社、一九九五年)
「混住社会論」62  林瑞枝『フランスの異邦人』(中公新書、一九八四年)とマチュー・カソヴィッツ『憎しみ』(コロンビア、一九九五年)
「混住社会論」61  カーティス・ハンソン『8Mile』(ユニバーサル、二〇〇二年)と「デトロイトから見える日本の未来」(『WEDGE』、二〇一三年一二月号)
「混住社会論」60  G・K・チェスタトン『木曜の男』(原書一九〇八年、東京創元社一九六〇年)
「混住社会論」59  エベネザー・ハワード『明日の田園都市』(原書一九〇二年、鹿島出版会一九六八年)
「混住社会論」58  『日本ショッピングセンターハンドブック』と『イオンスタディ』(いずれも商業界、二〇〇八、〇九年)
「混住社会論」57  ビクター・グルーエン『ショッピングセンター計画』『都市の生と死』(いずれも商業界、一九六九、七一年)
「混住社会論」56  嶽本野ばら『下妻物語』(小学館、二〇〇二年)
「混住社会論」55  佐伯一麦『鉄塔家族』(日本経済新聞社、二〇〇四年)
「混住社会論」54  長嶋有『猛スピードで母は』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」53  角田光代『空中庭園』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」52  宮沢章夫『不在』(文藝春秋、二〇〇五年)
「混住社会論」51  吉本由美『コンビニエンス・ストア』(新潮社、一九九一年)と池永陽『コンビニ・ララバイ』(集英社、二〇〇二年)
「混住社会論」50  渡辺玄英『海の上のコンビニ』(思潮社、二〇〇〇年)
「混住社会論」49  いがらしみきお『Sink』(竹書房、二〇〇二年)
「混住社会論」48  佐瀬稔『金属バット殺人事件』(草思社、一九八四年)と藤原新也『東京漂流』(情報センター出版局、一九八三年)
「混住社会論」47  山本直樹『ありがとう』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」46  重松清『定年ゴジラ』(講談社、一九九八年)
「混住社会論」45  ジョン・ファウルズ『コレクター』(白水社、一九六六年)
「混住社会論」44  花村萬月『鬱』(双葉社、一九九七年)
「混住社会論」43  鈴木光司『リング』(角川書店、一九九一年)
「混住社会論」42  筒井康隆『美藝公』(文藝春秋、一九八一年)
「混住社会論」41  エド・サンダース『ファミリー』(草思社、一九七四年)
「混住社会論」40  フィリップ・K・ディック『市に虎声あらん』(平凡社、二〇一三年)
「混住社会論」39  都築響一『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』(アスペクト、一九九七年)
「混住社会論」38  小林のりお と ビル・オウエンズ
「混住社会論」37  リースマンの加藤秀俊 改訂訳『孤独な群衆』(みすず書房、二〇一三年)
「混住社会論」36  大場正明『サバービアの憂鬱』(東京書籍、一九九三年)
「混住社会論」35  ジョージ・A・ロメロ『ゾンビ』(C-Cヴィクター、一九七八年)
「混住社会論」34  エドワード・ホッパーとエリック・フィッシュル
「混住社会論」33  デイヴィッド・リンチ『ブルーベルベット』(松竹、一九八六年)
「混住社会論」32  黒沢清『地獄の警備員』(JVD、一九九二年)
「混住社会論」31  青山真治『ユリイカ EUREKA』(JWORKS、角川書店、二〇〇〇年)
「混住社会論」30  三池崇史『新宿黒社会 チャイナ・マフィア戦争』(大映、一九九五年)
「混住社会論」29  篠田節子『ゴサインタン・神の座』(双葉社、一九九六年)
「混住社会論」28  馳星周『不夜城』(角川書店、一九九六年)
「混住社会論」27  大沢在昌『毒猿』(光文社カッパノベルス、一九九一年)
「混住社会論」26  内山安雄『ナンミン・ロード』(講談社、一九八九年)
「混住社会論」25  笹倉明『東京難民事件』(三省堂、一九八三年)と『遠い国からの殺人者』(文藝春秋、八九年)
「混住社会論」24  船戸与一「東京難民戦争・前史」(徳間書店、一九八五年)
「混住社会論」23  佐々木譲『真夜中の遠い彼方』(大和書房、一九八四年)
「混住社会論」22  浦沢直樹『MONSTER』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」21  深作欣二『やくざの墓場・くちなしの花』(東映、一九七六年)
「混住社会論」20  後藤明生『書かれない報告』(河出書房新社、一九七一年)
「混住社会論」19  黒井千次『群棲』(講談社、一九八四年)
「混住社会論」18  スティーヴン・キング『デッド・ゾーン』(新潮文庫、一九八七年)
「混住社会論」17  岡崎京子『リバーズ・エッジ』(宝島社、一九九四年)
「混住社会論」16  菊地史彦『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、二〇一三年)
「混住社会論」15  大友克洋『童夢』(双葉社、一九八三年))
「混住社会論」14  宇能鴻一郎『肉の壁』(光文社、一九六八年)と豊川善次「サーチライト」(一九五六年)
「混住社会論」13  城山三郎『外食王の飢え』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」12  村上龍『テニスボーイの憂鬱』(集英社、一九八五年)
「混住社会論」11  小泉和子・高薮昭・内田青蔵『占領軍住宅の記録』(住まいの図書館出版局、一九九九年)
「混住社会論」10  ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』(河出書房新社、一九五九年)
「混住社会論」9  レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』(早川書房、一九五八年)
「混住社会論」8  デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』(新潮社、一九九七年)
「混住社会論」7  北井一夫『村へ』(淡交社、一九八〇年)と『フナバシストーリー』(六興出版、一九八九年)
「混住社会論」6  大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社、一九六七年)
「混住社会論」5  大江健三郎『飼育』(文藝春秋、一九五八年)
「混住社会論」4  山田詠美『ベッドタイムアイズ』(河出書房新社、一九八五年)
「混住社会論」3  桐野夏生『OUT』後編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」2  桐野夏生『OUT』前編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」1