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古本夜話423 集古会と興文社『日本名著全集』

本連載60「野村吉哉と加藤美侖」などで、誠文堂新光社の小川菊松の証言を引き、大正中期のベストセラー「是丈は心得おくべし」シリーズの著者である加藤美侖が、興文社の『日本名著全集』の企画者だったことを記しておいた。

これは昭和円本時代の三五判箱入りの全集で、第一期江戸文芸之部全三十一巻が刊行され、現在でもよく古本屋で見かけることができる。しかし版元の興文社は菊池寛と芥川龍之介編の『小学生全集』を刊行し、アルスの『日本児童文庫』にぶつけ、訴訟にまで至り、近代出版史の空前の事件を引き起こしたが、社史を出していないこと、企画者の加藤美侖が刊行中に亡くなったことなどもあって、『日本名著全集』の出版経緯や編集事情の詳細は伝えられていない。

だがこれだけのまとまった西鶴、近松から黄表紙、洒落本などに及ぶ江戸文芸の円本による復刻出版は画期的なことだったように思われる。そしてこの全集は戦後まで息長く読み継がれ、類書が少ない江戸文学への誘いの書物群としてあり続けていたのではないだろうか。数年前に哲学者の木田元の『なにもかも小林秀雄に教わった』(文春新書)の中で、この全集を戦後の闇商売で儲けた金で全巻を購入したエピソードを読み、その感を強くした。古書価は当時としては大金の二千円だったという。

なにもかも小林秀雄に教わった
木田は日夏耿之介の紹介する近代象徴詩を準備した先駆的存在として、天明期の俳人松岡青羅や加藤暁台に魅せられ、それらを読もうとすれば、、『日本名著全集』の全巻を買うしかないと決意した。そして半日かけて山形市に出かけ、古本屋にあった一セットを購入したのである。その時のことを木田は次のように書いている。

 あのときのうれしさはいまだに忘れない。判型は新書判より少し大き目の小型だが、厚いものは千二百ページほどもあり、天金の実にすてきな造本、表紙や見返しのデザインも一冊ずつ異なっている。写真版だが三段組でギッシリ入っている。近代日本の出版史に残るみごとな全集である。
やっと手に入れたこの全集で、芭蕉も蕪村も高井几菫も青蘿も暁台も、夏目成美あたりを中心とする化政期の俳人も読んだし、太宰治や織田作之助らに教えられた井原西鶴も、滑稽本も上田秋成もさんざん楽しませてもらった。いまだに私の大事な蔵書になっている。

この木田の証言は円本時代の全集の影響、波紋、持続性を物語り、本というものの重層的な伝播力をも伝えている。きっと他の円本もいくつもの特有の物語があり、読者に読み継がれていったのだろう。円本時代は当時の状況に置いてみれば、紛れもない出版バブルだった。しかし時代を離れてみると、出版ファルスでもあったけれど、それは読者に対して開かれ、思いがけない本と読書の世界を提供していたのである。

私は木田のように全巻を持っておらず、端本で買い求めた六冊しかない。その中に第十九巻の『狂文狂歌集』がある。実はこれに巻頭の「解題」を寄せているのが林若樹で、それは四十ページに及んでいる。私はこの方面の素養がまったく欠けているが、それでも主たる内容だけは紹介しておくべきだろう。

 生白堂行風 『古今夷曲集』『後撰夷曲集』
 池田正式 『狂歌百首歌合』
 半井卜養 『卜養狂歌集』
 唐衣橘洲 『狂歌若葉集』
 四方赤良 『萬歳狂歌集』『徳和歌後萬載集』
 風来山人 『飛花落集』

などの十八編が収録され、八百ページ余の大冊である。

林若樹の「解題」、及びそれぞれの収録形式を追っていくと、これらの刊本、写本を林が閲し、実際に林自らが編纂したとわかる。そして収録形式であるが、例えば『萬歳狂歌集』を挙げると、まず表紙の書影が置かれ、「序」の部分がそのまま復刻され、その読みが鼇頭に示され、それから「巻第一」が始まっている。そして巻末には版元の須原屋伊八名もわかる出版目録まで掲載されている。

また林の「解題」によれば、守武の『世の中百首』の刊本が著者の真蹟をまねたものなので、比較対照として、三村竹清蔵になる「守武句稿」も掲載されている。また第二十一巻の柳亭種彦の『偐紫田舎源氏』下巻には三田村鳶魚が「副書」を寄せている。林若樹、三村竹清、三田村鳶魚が集古会の会員だったことは既述したし、もし全巻を調べていけば、「集古」関係者はさらに増えると思われる。それに、『日本名著全集』の底本自体の多くが集古会のメンバーによって収集されたものではないだろうか。

偐紫田舎源氏 下巻 『偐紫田舎源氏』下巻

小川菊松によれば、『日本名著全集』を企画した加藤美侖は、自分の紹介で興文社の石川寅吉と親しくなったようだが、この企画の成立事情については言及していない。そこでこれも推測してみると、この全集における翻刻や解説よって、高い評価を受け、近世文学研究の基礎を確立した山口剛がいて、加藤と山口は早稲田における級友であったことがこの企画に結びついたのではないだろうか。

山口が全集のどれだけを手がけたのか調べていないが、手元にある『洒落本集』の『偐紫田舎源氏』『黄表紙二十五種』の「解説」は彼なので、これらの編纂も山口が担当したことになる。それゆえに加藤が企画し、主たる編纂は山口が担当し、山口の関係から刊本や写本の提供は主として集古会の人々が受け持ち、、『日本名著全集』の「江戸文芸之部」全三十一冊は成立したのではないだろうか。
  
  

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