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古本夜話424 集古会と早稲田大学出版部『近世実録全書』

前回『日本名著全集』の、主として解説や編纂を担当したと考えられる早稲田の山口剛と集古会が親しい関係にあったのではないかと書いた。それは早大図書館長の市島謙吉及び、河竹黙阿弥の養嗣子となり、また坪内逍遥の弟子にして演劇博物館長を務めた河竹繁俊が『集古』の会員であったこと、その図書館にともに膨大な日記である山中共古の『共古日録』、演劇博物館に三村竹清の『不秋草堂日暦』が架蔵されていることからも察せられた。

その後 河竹繁俊『ずいひつ牛歩七十年』(新樹社)やその息子の登志夫の『作者の家』岩波現代文庫)を読み、繁俊が大正七年に早大出版部の坪内逍遥監修『近世実録全書』の編集と解説を担当し、その顧問が三田村鳶魚だと知った。これで早稲田と集古会の出版と編集のつながりも見たように思った。この「全書」について、『早稲田大学出版部100年小史』は書影も示し、次のように記している。

作者の家

一九一七年七月から一九年二月にかけて坪内逍遥監撰・早大出版部編『近世実録全書』(全二〇巻)を予約出版で刊行した。天一坊実記、四谷怪談、八百屋お七伊達騒動、江島と生島、清水次郎長高橋お伝などの巷間に伝わる実録を集めたもので、実際に監修に当たったのは三田村玄龍(鳶魚)と河竹繁俊であった。

坪内逍遥はこの企画に対する感慨を、明治初頭の「東京の貸本屋」(『少年時に観た歌舞伎の追憶』所収)の中で、次のようにもらしている。

 池清(貸本屋―引用者注)の如きも、顧客の激増したので、迚も在来の部数だけでは間に合はず、最も需要の多かつた写本物―其頃は所謂実録物の写本が最も広く歓ばれた―の複製を作るために、写字生を五人ぐらいにも傭つておいて、同じ書を七八部通りも謄写させて、貸出したさうな。これ、取りも直さず、今尚新聞や通俗雑誌に歓迎される所謂講談物の種本、即ち早稲田の出版部から取纒めて出した「近世実録全書」其物だと思ふと、ここに寛政以来の陳腐な歌舞伎劇を繰り返し繰り返し観て飽かないでいる民衆心理の一例が見出されて、面白い。

私が持っている『近世実録全集』は第十二巻の一冊だけで、それも大正七年版と書影の異なる昭和円本時代の普及版であるが、巻末に「全書一覧」が掲載されている。逍遥がここまで言っているのだから、煩をいとわず、全二十巻の収録作品というか、内容を挙げてみる。

1 「実録の沿革」「唐人殺」「姫路隠語」「拾遺遠見録」「風聞雉子声」「九六騒動」「皿屋敷弁疑録」「伊予湯下駄」「白光邯鄲枕」
2 「天一坊実録」「佐賀怪猫伝」「おこよ源三郎」「延命院実記」
3 「伊賀越敵討」「石井常右衛門」「佐倉義民伝」「め組の喧嘩」
4 「大久保武蔵鎧」「大川友右衛門」「四谷怪談」「八百屋お七
5 「姐妃のお百」「国定忠次
6 「籠釣瓶」「船越武勇伝」「大丸屋騒動」「田沼実記」
7 「宮本武蔵」「阿波の鳴門」「鼠小僧実記」
8 「柳沢騒動」「大塩平八郎」「祐天上人」「越後伝吉
9 「天明水滸伝
10 「伊達騒動」「幡随院長兵衛」「報怨奇談」「白子屋お熊」
11 「黒田騒動」「曲垣平九郎」「箕輪奇談」
12 「慶安大平記」「天草騒動」「雲霧仁左衛門」「鏡態院」
13 「河内山実伝」「水戸黄門
14 「宇都宮騒動」「鳥羽屋実記」「鬼神のお松」「相撲の敵対」「稲葉小僧」
15 「越後騒動」「村井長庵」「鈴木主水」
16 「加賀騒動」「笹野権三」「紀文大尽」「怪談皿屋敷
17 「銭屋五兵衛」「檜山騒動」」「蓮華往生」「佐原の喜三郎」「江島と生島」
18 「坂本龍馬」「桜田血染の雪」「津国屋藤兵衛」「澤村田之助」「江戸の相政
19 「清水次郎長」「四千両事件」「雲井龍雄」「島田一郎」「江崎五郎」「小狐礼三」
20 「高橋お伝」「鳥追お松」「権妻お辰」「明治天一坊」「写真の仇討ち」「栗原百介」

まさに逍遥がいうように、ここには「雑誌や通俗雑誌に歓迎される所謂講談物の種本」、いやそれだけでなく、「全集」の刊行とほぼ同時代に立ち上がっていく「新講談」や「時代小説」の物語祖型のすべてが提出されていたことになる。もちろん本連載302本連載329でふれた明治以来の長きにわたる講談本の出版と重なっているにしても。

この『近世実録全書』に、同じく早稲田大学出版部から昭和三年に刊行された、「源平盛衰記」「太平記」なども含む『物語日本史大系』全十四巻を加えれば、すべての「時代小説」の時代、場所、物語、人物像が出揃ってしまったといっても過言ではない。それはあらためて演劇や映画へとも受け継がれ、変奏されていくだろう。

足立巻一が『立川文庫の英雄たち』(中公文庫)で指摘しているところによれば、立川文庫の「水戸黄門」シリーズの原本は『水戸黄門仁徳録』であり、それが『近世実録全書』に収録されているという。これはおそらく第十三巻所収の「水戸黄門記」であろう。
立川文庫の英雄たち

それゆえに『近世実録全書』の出版とパラレルに、新しい大衆文学としての「時代小説」が多く書かれるようになったのは偶然ではなく、作家たちは講談本がベースにあったにしても、ここに資料的原本と物語祖型を発見したからに他ならないだろう。

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