これまで何回も江戸川乱歩に言及し、この数回続けて生田蝶介、国枝史郎、白井喬二、三上於菟吉といった新しい大衆文学としての「時代小説」にもふれ、この「時代小説」の物語祖型群が早稲田大学出版部の『近世実録全書』ではないかとも指摘しておいた。
乱歩に代表される探偵小説、白井喬二を始めとする時代小説の作家たちは、円本時代における平凡社の『現代大衆文学全集』で初めて一堂に会するのである。この『現代大衆文学全集』は改造社の『現代日本文学全集』に匹敵するほどの影響を近代出版業界だけでなく、近代文学に対しても与えたと思われる。『現代日本文学全集』が様々なリトルマガジンや同人誌を発表の場としていた作家たちの集大成であるとすれば、『現代大衆文学全集』のほうは講談社の『講談倶楽部』やキング、博文館の『講談雑誌』『新青年』などのマス雑誌や新聞を背景にして成立したように映る。また両者とも「現代」と謳われているにしても、前者は明治初期からの著者も含む「近代文学」のイメージが強いのにくらべ、後者は目新しい作家も多いので、文字通り幅広い読者を想定する「現代大衆文学」と受け取られたのではないだろうか。
(『現代日本文学全集』)
しかしそこにはこの企画の実現にあたって、平凡社と連帯した白井喬二を始めとする同人誌『大衆文芸』によった二十一日会の作家同盟の全面的支援を忘れるわけにはいかない。『大衆文芸』は大正十五年に白井の他に直木三十五、本山萩舟、矢田挿雲、平山蘆江、江戸川乱歩、長谷川伸、国枝史郎、小酒井不木、湊邦三、正木不如丘たちによって創刊され、昭和二年まで十九冊が出された。
これが最初の大衆小説の画期的同人誌であり、その会合が毎月二十一日に開かれたので、発行母体を二十一日会とよぶことになった。誌名は大衆を民衆に置き換えた白井の命名によるもので、この雑誌の刊行とパラレルに平凡社の『現代大衆文学全集』の企画が白井のところに持ちこまれたのである。ここに「民衆」から「大衆」への移行を見ることができよう。その経緯と事情については『平凡社六十年史』や江戸川乱歩の『探偵小説四十年』にも詳しいが、ここではやはり白井に語らせるべきだろう。
『現代大衆文学全集』は平凡社の編集者で、後に高群逸枝の夫となる橋本憲三によって企画され、白井は橋本の手引きで、社長の下中弥三郎と会い、「大衆文学」と言葉は変わったが、「大衆文芸」の運命をかけて、この全集に協力することにした。白井は『さらば富士に立つ影』(六興出版)の中で、この出版が失敗すれば、「大衆文芸」の歴史はまだ浅いこともあって、燃えかかった火が消えてしまい、すべてが終わりになってしまうという危機感にも駆られていた。
前回、大正十二年の『講談雑誌』に、白井の「神変呉越草紙」や国枝の「蔦葛木曽棧」に「新長講」、つまり「新長編講談」と付せられていたことを記しておいたが、それを想起されたい。わずか数年前まで、新しい大衆文学としての時代小説はまだそのようによばれていたのだ。それに加えて、平凡社自体がまだ小出版社で、しかも不況の只中にあったからだ。だから白井は書いている。
そこでいよいよ実行の段階にはいった。ぼくは失敗したら「筆を折って故山に骨を埋める」と覚悟をきめた。ぼくの家で編集をし内容見本をつくった。作家約三十余名にむかって参加以来の矢を放った。家には書生のほか校正子などがいたからそれらの者を手分けしてみな使った。編集の進行状態はガリ版刷りでそのつど刻々と速報した。内容見本は菊倍判で作家の写真をぜんぶ入れた。「千ページ一円」という宣伝文句は下中社長の発案であった。
一番大切なことは登載作品の撰定であったがこれは指定した作品はたいがい収容できた。
この言葉をそのまま受ければ、編集も白井たちが担ったことになる。そればかりでなく、白井たちは取次や書店に対しても、営業、販売促進活動まで展開したのである。
その結果、当初全三十六巻でスタートした『現代大衆文学全集』は正続六十巻に及ぶことになり、「新興文学」としての当時の時代小説や探偵小説が全面的に収録され、大衆文学のほとんどの作家たちが総動員され、それこそ彼らには目もくらむばかりの印税が支払われた。乱歩は『探偵小説四十年』に、その印税で緑館という下宿屋を買ったと書いている。また乱歩のみならず、二十一日会の人々はすべてが一巻から数巻を刊行している。「新興文学」が富をもたらす時代となったのだ。
それらのこともさることながら、この『現代大衆文学全集』はこれまで時代小説や探偵小説を知らなかった多くの読者を開拓し、広く獲得したという事実であろう。ここで「新興文学」だった時代小説や探偵小説は一挙に市民権を得たともいえる。
これらの円本時代における改造社と平凡社が、文学と大衆文学の日本文学全集、新潮社の『世界文学全集』が海外文学全集、春秋社の『世界大思想全集』が海外思想や哲学の全集の出版祖型となり、それらの潮流は戦前、戦後を通じて絶えず繰り返され、高度成長期にはそれらの全集時代が出現している。しかし長かった全集の時代は一九八〇年代で終わりを告げたと見なせよう。
『世界大思想全集』45
しかし忘れてはならないのは梅原北明たちに始まるポルノグラフィ出版も、これらの円本時代と併走していたのであり、それが表裏一体の関係にあったことだろう。そのことは新潮社の『現代猟奇尖端図鑑』や平凡社の『世界猟奇全集』の出版が証明していることになる。
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