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混住社会論81 大岡昇平『武蔵野夫人』(講談社、一九五〇年)

武蔵野夫人


前回の国木田独歩『武蔵野』の刊行からほぼ半世紀を隔てた一九五〇年に、大岡昇平『武蔵野夫人』が『群像』に連載され、はやり同年に単行本化されている。そして翌年には十五万部という文芸出版のベストセラーとなり、また福田恆存脚色による文学座での上演、それに基づき溝口健二監督、田中絹代森雅之主演で映画化もされているので、戦後文学として知られた作品といえるだろう。だが『武蔵野夫人』が戦後状況に包囲された郊外の物語、占領下の物語であることはもはや忘れられているかもしれない。この小説の時代背景は「二・一スト失敗」や「キャスリーン台風」への言及があるように、一九四七年に他ならない。
(ほるぷ復刻) 武蔵野夫人

それに加えて、次のような事実もあまり知られていないだろう。『武蔵野夫人』が収録されている中央公論社版『大岡昇平全集』第二巻の「月報」における、『群像』の元編集者有木勉「『武蔵野夫人』について」によれば、タイトルに関して大岡の意向は当初『武蔵野』であり、それに対して有木たちが独歩の作品と同じゆえに賛意を示さなかったことから、『武蔵野夫人』に変更されたという。

このエピソードは同じようなタイトルと姦通をテーマとしていても、フローベール『ボヴァリー夫人』とは無縁であることを告げている。また『武蔵野夫人』の舞台と登場人物モデルが富永次郎一族であることも、『大岡昇平』(「新潮日本文学アルバム」)などで明らかにされている。これらの事実は大岡が独歩の『武蔵野』にならって、戦後、それも占領下の『武蔵野』を描こうとする意図を有していたと判断していいように思われる。ただ編集者と主人公の名前が同じであることは偶然なのであろうか。

ボヴァリー夫人 大岡昇平

独歩が没した翌年の一九〇九年に生まれた大岡は、大正時代を通じて渋谷区で育ち、青山学院中等部を経て成城高校に進んでいる。それは大岡が独歩の描いた武蔵野の大正から昭和にかけての変貌と寄り添って成長してきたことを意味している。また後に彼は幼少年期を過ごした渋谷を『幼年』潮出版社)、『少年』筑摩書房)で描き、後者所収の地図によれば、独歩と大岡の家はすぐ近くにあったとわかる。そればかりでなく、独歩が徳富蘇峰国民新聞社に在籍していたように、大岡もまた一年ほどだが同社に勤めている。これらのことを考えると、大岡の独歩と『武蔵野』に関するこだわりは長きにわたって保たれていたはずで、それは当初予定されていた『武蔵野』というタイトルにこめられていたのではないだろうか。そのように考えてみると、『武蔵野夫人』において、最初に「はけ」というトポスへの言及がなされ、執拗なまでに武蔵野のトポロジーが追及されていることに納得がいくのである。「はけ」への言及の後は次のように続いている。

少年

 中央線国分寺駅小金井駅の中間、線路から平坦な畠中の路を二丁南へ行くと、道は突然下りとなる。「野川」と呼ばれる一つの小川の流域がそこに開けているが、流れの細い割に斜面が高いのは、これがかつての古い地質時代関東山地から流出して、北は入間川、荒川、東は東京湾、南は現在の多摩川で限られた広い武蔵野台地を沈澱させた古代多摩川が、次第に西南に移って行った跡で、斜面はその途中作った最も古い段丘の一つだからである。

そして「野川」は古代多摩川が武蔵野に置き忘れた名残川、斜面に高く聳える欅や樫の木は古代武蔵野の原生林の残物で、「はけ」とは「峡」を意味し、豊かな湧き水がたまる日当たりのいい高みの窪地をさしている。
ここにはもはや独歩の『武蔵野』に見られる詩的抒情性はなく、一筆書きの直截さで古代武蔵野の川と水と原生林が立ち上がってくるようなイメージがある。しかしその後に「近ごろとみにこの辺に増えた都会人の住宅」があり、三十年ほど前から「はけ」の周辺も郊外住宅地へと変貌しつつあることが語られている。その理由もきわめて散文的に「ここから徒歩五分のところに小金井駅ができ、地価が三倍になった」とも記されている。したがって『武蔵野夫人』の舞台となる「はけ」のある土地と家は大正時代の郊外の開発とパラレルに取得され、しかもそれは鉄道省事務官だった男によるもので、戦後を迎えたことになる。

東京の官吏宮地信三郎は小金井駅ができる五年前に移り住んでいたが、それは駅の新設をあらかじめ知っていたこともあるけれど、何よりもそこから富士が見えるからだった。彼は旧幕臣の子で、静岡に移ってから生まれたので、富士を見て幼時を過ごしていたことも大きく作用にしている。そのような環境にもかかわらず、明治政府に職を得て、大正末に定年で官を退いたが、利殖にたけていたので、別荘として「はけ」の家も建ててあり、そこで暮らし、戦後を迎えたが、二人の息子は早逝し、妻は空襲で死んでいた。彼女は「はけ」の家を建てるに際し、崖の横穴から人骨が出たのを見ていたので、娘の道子が残されていたが、息子たちの夭折は「ひとえに墓の祟りだ、いずれ宮地家は死に絶えると固く信じ」こんでいた。道子は東京の私立大学のフランス語教師秋山と結婚し、渋谷の家が空襲で焼けたことで、「はけ」の家に同居していた。また一方で軍人だった宮地の弟は日本降伏の翌日に拳銃自殺していた。

これらが「はけ」の敗戦までの宮地家事情であり、戦後のなってどのような変化を伴っていったかが『武蔵野夫人』の物語に他ならない。秋山は戦後の出版景気とスタンダールの流行によって、戦前の翻訳が重版され、急に印税が入るようになっていたが、宮地老人の恩給と株券は一ヵ月分の闇米をももたらされず、彼は物置や樹木を売るはめになった。その買主は一年前に近くの証券屋の別宅を買い、移ってきた大野で、彼は亡妻の妹の子にして、やはり旧幕臣の出だった。大野は戦後になって、府中の任せられていた化学工場を石鹸工場に切り替え、はぶりがよく、コケットリイを備えた妻の富子と娘の三人で暮らしていた。

そのような老人と婿と甥の戦後的経済状況の中で、四六年に老人がぽっくり死んだ。そしてその翌年に自殺した軍人の息子の勉がビルマから復員してくる。彼は学徒召集され、ビルマに向かい、消息を絶っていたのである。

第一章「はけ」の人々で、そのトポスの歴史と登場人物たちが紹介され、第二章「復員者」において、二十四歳の勉が俘虜生活を経て復員し、二十九歳の従姉道子の前に姿を現わす。

 駅の附近に群れるパンパンとその客の間を素速く通り抜け、人気のない横町を曲ると、古い武蔵野の路が現われた。低い陸穂の揃った間を黒い土が続いていた。その土の色は、恐らく彼が熱帯から帰って懐しく思った唯一のものであった。彼は人間に絶望していたが、自然は愛していた。兵士は自然に接することが多い職業である。

勉も俘虜と設定されているし、この最後の一節に同じく大岡の『俘虜記』の光景を思い浮かべてしまう。
俘虜記

このようにして道子の前に姿を現わした勉に対して、富子は娘の英語の家庭教師を依頼し、そのことによって、勉は道子の「はけ」の家に住むようになり、第三章は「姦通の条件」が置かれ、所謂「姦通小説」としての『武蔵野夫人』の物語も始まっていく。その「姦通」も含め、この物語は戦後の法律改正とともに道を歩み、勉の遺産相続は民法応急措置法、勉と道子、及び秋山と富子の姦通は姦通罪廃止、宮地家の相続における相続税の発生と譲渡委任状問題、土地をめぐる道子と秋山と大野の姦通的状況は、戦前の法律の解体、占領下において新たに再編されていく戦後の法律の簇生を告げるものである。それらは土地や家や財産のみならず、親子や夫婦や家庭、姦通や愛人関係すらも変貌させていくことを暗示させているのであろう。それこそ老人の「ペダンチスム」ではないが、エンゲルス『家族・私有財産及び国家の起源』を俎上に載せる議論の存在はそれらを象徴していると思われる。
家族・私有財産及び国家の起源

そうした戦後的法律状況や人間関係の磁場の中で、第四章は「恋が窪」と題され、再び「はけ」というトポスへと戻るのである。新潮文庫『武蔵野夫人』はこれらの「小説地図」が掲載されていることを記しておこう。

武蔵野夫人

勉は出征前に「はけ」を訪れ、その一帯の楢やヌルデの紅葉している雑木林に入ったことを思い出す。しかし今はその林は戦争中の薪不足と飛行場新設のための勉は出征「はけ」を訪れ、その勉は出征「はけ」を訪れ、その一帯の楢やヌルデの紅葉している雑木林に入ったことを思い出す。しかし今、その林は戦争中の薪不足と飛行場新設のための用材として切り払われ、草原となり、少ししか残っていなかった。彼はその中を進んでいった。

 林中は冷たく、下草の間に白や黄の蘭科の花が咲いていた。林は意外に深くあるかなきかの細径が、斑に陽の落ちた草の間を交錯し、去年の落葉をためていた。
 ビルマ山中の記憶が蘇った。熱帯の樹は四季の別なく落葉し、林中の道は細かった。そこで勉は武蔵野の林を思い出し、今、六月の武蔵野の林ではビルマの叢林を思った。
 勉は草に坐った。遠く梢に隠れた鳥の啼き交わすほか物音はなかった。彼は大きく息をした。
 「山林に自由存す」と歌った明治の詩人の句が思い出された。しかし熱帯の山林を独り彷徨したことのある彼は、自由がいかに怖ろしいものであるかを知っている。明治の詩人にとって瞑想を伴奏する楢椚の快い緑の諧調も今彼は薪の材料としか映らないのである。人間の手を加えずしてこれほど楢ばかり密生するとは考えられない。

「山林に自由存す」と歌った明治の詩人とはいうまでもなく、独歩に他ならず、この詩は一八九七年の田山花袋柳田国男たちとの共著『抒情詩典』(民友社)所収の『独歩吟』の中の一編である。

ここに見られる勉の武蔵野の森に関する表白は、戦争の中で熱帯の山林を彷徨した経験を得た後において、落葉樹はビルマの山中の記憶を浮かび上がらせ、山林と自由の怖ろしさがオーバーラップしてくるというもので、もはや大東亜戦争を経たことで、独歩の詩的抒情性は失われてしまったのだ。それが半世紀を隔てた武蔵野のイメージの変化として表出していることになる。

それをさらに強化するごとく、雑木林の奥には赤く錆びた鋼鉄の集塊でしかない戦車、野に出ると、戦争末期に着工された飛行場の残骸なども目に入るのだ。そのような散歩の後での勉の姿は、道子が知っている昔のおとなしい少年とはまったく異なっていた。

そのかたわらで、勉は老人が残した武蔵野に関する歴史や地理の本を読み、「はけ」の自然に対する愛を道子とわかちたいと思い、道子を散歩に誘った。彼は「はけ」の前を流れる「野川」が、成城高校の高台の下や田園調布にいた家の下を流れる川の上流であることを知ったからでもある。この事実は彼もまた小原国芳成城学園プロジェクトや渋沢栄一田園都市株式会社による郊外住宅地を出自としていることを示していよう。

勉は道子とともにその「野川」の水源の探索を試み、斜面の道をたどり、神社の奥の拝殿に至る。すると激しい水音が聞こえ、コンクリートの溝を水が走り、その溝は玉川上水につながっていた。二人はその水源地をめざし、さらに小径をたどっていくと、水があふれる大きな池に出た。そこは「恋が窪」と呼ばれ、伝説によれば、有名な鎌倉武士と傾城の伝説があるところで、傾城は西国に戦いにいった男を慕ってこの池に身を投げたのだという。すなわち「はけ」と「野川」の水源をたどる二人の探索は道行に他ならず、「恋が窪」の名前と伝説は『武蔵野夫人』の物語の行方を暗示していることになる。それは同時に『武蔵野夫人』の、独歩の『武蔵野』を異化する物語機能として効果を発揮させ、物語をさらに進めていくのである。

◆過去の「混住社会論」の記事
「混住社会論」80  国木田独歩『武蔵野』(民友社、一九〇一年)
「混住社会論」79  水野葉舟『草と人』(植竹書院、一九一四年、文治堂書店、一九七四年)
「混住社会論」78  小田内通敏『帝都と近郊』(大倉研究所、一九一八年、有峰書店、一九七四年) 『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」77  『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」76  『宝塚市史』(一九七五年)と『阪神間モダニズム』(淡交社、一九九七年)
「混住社会論」75  小林一三『逸翁自叙伝』(産業経済新聞社、一九五三年)と片木篤・藤谷陽悦・角野幸博編『近代日本の郊外住宅地』(鹿島出版会、二〇〇〇年)
「混住社会論」74  柳田国男『明治大正史世相篇』(朝日新聞社、一九三一年)と山口廣編『郊外住宅地の系譜』(鹿島出版会、一九八七年)
「混住社会論」73  柳田国男『都市と農村』(朝日新聞社、一九二九年)
「混住社会論」72  内務省地方局有志『田園都市と日本人』(博文館一九〇七年、講談社一九八〇年)
「混住社会論」71  ローラン・カンテ『パリ20区、僕たちのクラス』(ミッドシップ、二〇〇八年)とフランソワ・ベゴドー『教室へ』(早川書房、二〇〇八年)
「混住社会論」70  マブルーク・ラシュディ『郊外少年マリク』(集英社、二〇一二年)
「混住社会論」69  『フランス暴動 階級社会の行方』(『現代思想』二〇〇六年二月臨時増刊、青土社)
「混住社会論」68  ディディエ・デナンクス『記憶のための殺人』(草思社、一九九五年)
「混住社会論」67  パトリック・モディアノ『1941年。パリの尋ね人』(作品社、一九九八年)
「混住社会論」66  ジャン・ヴォートラン『グルーム』(文春文庫、二〇〇二年)
「混住社会論」65  セリーヌ『夜の果ての旅』(原書一九三二年、中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」64  ロベール・ドアノー『パリ郊外』(原書一九四九年、リブロポート、一九九二年)
「混住社会論」63  堀江敏幸『郊外へ』(白水社、一九九五年)
「混住社会論」62  林瑞枝『フランスの異邦人』(中公新書、一九八四年)とマチュー・カソヴィッツ『憎しみ』(コロンビア、一九九五年)
「混住社会論」61  カーティス・ハンソン『8Mile』(ユニバーサル、二〇〇二年)と「デトロイトから見える日本の未来」(『WEDGE』、二〇一三年一二月号)
「混住社会論」60  G・K・チェスタトン『木曜の男』(原書一九〇八年、東京創元社一九六〇年)
「混住社会論」59  エベネザー・ハワード『明日の田園都市』(原書一九〇二年、鹿島出版会一九六八年)
「混住社会論」58  『日本ショッピングセンターハンドブック』と『イオンスタディ』(いずれも商業界、二〇〇八、〇九年)
「混住社会論」57  ビクター・グルーエン『ショッピングセンター計画』『都市の生と死』(いずれも商業界、一九六九、七一年)
「混住社会論」56  嶽本野ばら『下妻物語』(小学館、二〇〇二年)
「混住社会論」55  佐伯一麦『鉄塔家族』(日本経済新聞社、二〇〇四年)
「混住社会論」54  長嶋有『猛スピードで母は』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」53  角田光代『空中庭園』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」52  宮沢章夫『不在』(文藝春秋、二〇〇五年)
「混住社会論」51  吉本由美『コンビニエンス・ストア』(新潮社、一九九一年)と池永陽『コンビニ・ララバイ』(集英社、二〇〇二年)
「混住社会論」50  渡辺玄英『海の上のコンビニ』(思潮社、二〇〇〇年)
「混住社会論」49  いがらしみきお『Sink』(竹書房、二〇〇二年)
「混住社会論」48  佐瀬稔『金属バット殺人事件』(草思社、一九八四年)と藤原新也『東京漂流』(情報センター出版局、一九八三年)
「混住社会論」47  山本直樹『ありがとう』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」46  重松清『定年ゴジラ』(講談社、一九九八年)
「混住社会論」45  ジョン・ファウルズ『コレクター』(白水社、一九六六年)
「混住社会論」44  花村萬月『鬱』(双葉社、一九九七年)
「混住社会論」43  鈴木光司『リング』(角川書店、一九九一年)
「混住社会論」42  筒井康隆『美藝公』(文藝春秋、一九八一年)
「混住社会論」41  エド・サンダース『ファミリー』(草思社、一九七四年)
「混住社会論」40  フィリップ・K・ディック『市に虎声あらん』(平凡社、二〇一三年)
「混住社会論」39  都築響一『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』(アスペクト、一九九七年)
「混住社会論」38  小林のりお と ビル・オウエンズ
「混住社会論」37  リースマンの加藤秀俊 改訂訳『孤独な群衆』(みすず書房、二〇一三年)
「混住社会論」36  大場正明『サバービアの憂鬱』(東京書籍、一九九三年)
「混住社会論」35  ジョージ・A・ロメロ『ゾンビ』(C-Cヴィクター、一九七八年)
「混住社会論」34  エドワード・ホッパーとエリック・フィッシュル
「混住社会論」33  デイヴィッド・リンチ『ブルーベルベット』(松竹、一九八六年)
「混住社会論」32  黒沢清『地獄の警備員』(JVD、一九九二年)
「混住社会論」31  青山真治『ユリイカ EUREKA』(JWORKS、角川書店、二〇〇〇年)
「混住社会論」30  三池崇史『新宿黒社会 チャイナ・マフィア戦争』(大映、一九九五年)
「混住社会論」29  篠田節子『ゴサインタン・神の座』(双葉社、一九九六年)
「混住社会論」28  馳星周『不夜城』(角川書店、一九九六年)
「混住社会論」27  大沢在昌『毒猿』(光文社カッパノベルス、一九九一年)
「混住社会論」26  内山安雄『ナンミン・ロード』(講談社、一九八九年)
「混住社会論」25  笹倉明『東京難民事件』(三省堂、一九八三年)と『遠い国からの殺人者』(文藝春秋、八九年)
「混住社会論」24  船戸与一「東京難民戦争・前史」(徳間書店、一九八五年)
「混住社会論」23  佐々木譲『真夜中の遠い彼方』(大和書房、一九八四年)
「混住社会論」22  浦沢直樹『MONSTER』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」21  深作欣二『やくざの墓場・くちなしの花』(東映、一九七六年)
「混住社会論」20  後藤明生『書かれない報告』(河出書房新社、一九七一年)
「混住社会論」19  黒井千次『群棲』(講談社、一九八四年)
「混住社会論」18  スティーヴン・キング『デッド・ゾーン』(新潮文庫、一九八七年)
「混住社会論」17  岡崎京子『リバーズ・エッジ』(宝島社、一九九四年)
「混住社会論」16  菊地史彦『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、二〇一三年)
「混住社会論」15  大友克洋『童夢』(双葉社、一九八三年))
「混住社会論」14  宇能鴻一郎『肉の壁』(光文社、一九六八年)と豊川善次「サーチライト」(一九五六年)
「混住社会論」13  城山三郎『外食王の飢え』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」12  村上龍『テニスボーイの憂鬱』(集英社、一九八五年)
「混住社会論」11  小泉和子・高薮昭・内田青蔵『占領軍住宅の記録』(住まいの図書館出版局、一九九九年)
「混住社会論」10  ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』(河出書房新社、一九五九年)
「混住社会論」9  レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』(早川書房、一九五八年)
「混住社会論」8  デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』(新潮社、一九九七年)
「混住社会論」7  北井一夫『村へ』(淡交社、一九八〇年)と『フナバシストーリー』(六興出版、一九八九年)
「混住社会論」6  大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社、一九六七年)
「混住社会論」5  大江健三郎『飼育』(文藝春秋、一九五八年)
「混住社会論」4  山田詠美『ベッドタイムアイズ』(河出書房新社、一九八五年)
「混住社会論」3  桐野夏生『OUT』後編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」2  桐野夏生『OUT』前編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」1