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古本夜話429 大東出版社と林若樹『集古随筆』

本連載で何度か続けて林若樹に言及してきたが、彼の著作や文献は集古会の山中共古、三村竹清、木村仙秀などと同様に、青裳堂書店から刊行され、『林若樹集』『若樹随筆』『若樹文庫収得書目』の三冊に及んでいる。しかし現在ではこれらも品切となり、古書価も高く、入手は難しいだろう。

だが何回か書名を挙げた『集古随筆』は戦前に刊行された唯一の林の著作にもかかわらず、今でも古書目録でよく見つけることができる。それもそのはずで、『集古随筆』は昭和十七年に大東出版社から三千部が刊行されたからであろう。これは「大東名著選」の一冊として出版され、巻末広告を見ると、このシリーズは五十冊近くに及び、日本の宗教、文化、歴史に関する著作で、集古会の会員としては林の他に、三田村鳶魚や森銑三もそれぞれ三冊ずつ既刊となっている。最終的には百冊以上出たようだ。

大東名著選の装丁と内容は創元社の「創元選書」を連想させる。それに本連載79でも再刊が望まれると書いた田山花袋の『近代の小説』まで入っているのである。このような「大東名著選」の企画と編集に誰が携わっていたのか、ずっと気にかかっていた。

例えば、『集古随筆』にしても、林若樹は昭和十三年に亡くなっているし、一万冊に及ぶキリシタン、江戸関係書や自筆稿本の若樹文庫コレクションによって一部でよく知られていたにしても、他の著者と比べて一般的にはほとんど知られておらず、昭和十七年に刊行しても売れるような企画ではなかったと思われる。

収録の随筆はタイトルにある『集古』だけではなく、『新小説』『日本及日本人』『彗星』『ホトトギス』などに、明治から昭和にかけて掲載されたもので、それに三田村鳶魚の「解題」を冒頭に置いている。そこで鳶魚は知識が月給や博士目当てではない「御道楽」で「我儘気儘」に暮らした自由人である林を称揚し、その「我儘気儘」の例として、大倉喜八郎の喜寿の祝いの狂歌集に寄せた次の一首を挙げている。

   君がために千代の齢を譲らんと
       おべつか鶴のさぞや鳴くらん

そして鳶魚は苦笑混じりに「此一冊も我儘随筆とした方がよかつたと思ふ」と結んでいる。林若樹の生き方の真骨頂をよく伝えていておかしい。だからこの『集古随筆』は林を追悼する用意周到な一冊に仕上がっていることは明らかだ。

その編集者のことが青蛙房の「シリーズ大正っ子」の一冊である岩野喜久代の『大正・三輪浄閑寺』の中に出てきたので、以前に「青蛙房と『シリーズ大正っ子』」(『古本探究2』所収)と題し、少しふれておいた。それゆえに重複する部分も生じてしまうけれど、もう一度言及してみる。
古本探究2

岩野喜久代は大正十一年に東京府女子師範学校を卒業し、中野の小学校に赴任し、仏教書に親しむようになり、毎日曜日に増上寺で渡辺海旭の公演が行なわれていたので、彼女もそれを聴聞するようになる。海旭は浄土宗第一期海外留学生としてドイツでサンスクリット語やパーリ語を学び、本願寺から海外留学に送られた高橋順次郎や南条文雄と並ぶ近代仏教界の先達で、また武田泰淳の伯父にあたり、彼にも大きな影響を与えている。

その海旭の仏教文書伝道の志を継承したのが岩野真雄であり、その父は三輪浄閑寺に住持する深誉真隆上人だった。大正十四年に岩野喜久代は真雄と結婚し、浄閑寺に入り、彼女の著書名の由来を浮かび上がらせることになる。結婚の翌年に夫の真雄は海旭によって命名された大東出版社を興す。海旭は優秀な編集者と経理担当者も送りこみ、大東出版社は二百五十五巻に及ぶ『国訳一切経』『仏書解説大辞典』全十三巻などを刊行していく。

ただ岩野は『大正・三輪浄閑寺』のエッセイ集という内容もあってか、大東出版社史についての詳細は語っていない。だが「あとがき」のところに至り、ようやく仏教書出版社と異なる色彩の「大東名著選」に関する、次のような一文に出会った。

 岡本経一さんは、戦前、良人の大東出版社の編集長に迎えられ、仏書専門書店に新風を吹き入れて、大東名著選の良書をつぎつぎに刊行して、大東出版の声価を挙げて下さった方である。応召し、ソ連に抑留帰国された後、青蛙房を興された(後略)。

つまり岡本経一は、「大東名著選」にラインナップされ、培った著者人脈をベースにして青蛙房を興したのである。だから岩野喜久代が言うように、大東出版社と青蛙房の「深いえにし」によって、この『大正・三輪浄閑寺』も送り出されたことになる。

なお最後になってしまったが、彼女の本の中には意外な人物が登場しているので、そのことを書き添えておこう。その人物とは本連載83 の「木村鷹太郎訳『プラトーン全集』」でふれた木村本人で、市ヶ谷の士官学校時代の語学教師の同僚で、父の悪友としての「木村鷹太郎さん」という一節が設けられ、思わず苦笑を誘われる、木村のめずらしいであろうプロフィルが、彼女ならではのリアルな筆致で描かれている。そういえば、彼も本連載104『世界聖典全集』の翻訳陣に名を連ねていたし、宗教書翻訳者の一人渡辺海旭、高楠順次郎たちとも影響を与え合っていたと思われる。

世界聖典全集 『世界聖典全集』


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