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古本夜話432 綿谷雪と『真山青果全集』

岡本経一『私のあとがき帖』の中に、「真山青果門の綿谷雪」という一章があり、それでそれで昭和十五年に講談社から刊行された『真山青果全集』全十五巻が綿谷雪の編集によるものだと知った。実は真山青果も集古会の会員で、『千里相識』に松竹御雇座付作者としての真山彬の名前が掲載されている。

私のあとがき帖

私は『真山青果全集』全十五巻のうち、二冊欠けた十三巻を所持している。これはすべて裸本であったためか、古書価が二千円であり、ずっと古本屋の棚に残っていたので、つい買ってしまったものだった。だから購入した当時は真山が集古会に加わっていたとも思わず、綿谷雪が編集者であったことも知らなかった。またその全集の大半が戯曲だったことも作用し、かつて読んだ小説集の第十四巻と、読むつもりでいた『随筆滝沢馬琴』が収録されている第十五巻を除いて、積んだままにしておいたのである。

岡本は「真山青果門の綿谷雪」を、サイレント社時代のエピソードから始めている。昭和九年のことで、三上於兎吉が、『中央公論』に連載していた真山の「随筆滝沢馬琴」を自社から出版したいと言い出し、自分で題字も造本も手がけるという熱の入れ方であった。その連絡を担ったのが新米編集者の岡本で、その時に真山のマネージャー役を務めていたのが綿谷だった。

岡本と綿谷の戦前の縁はこの一冊だけの関係で切れてしまうのだが、昭和三十三年に出した稲垣史生編『三田村鳶魚武家事典』の出版記念会で再開し、そして綿谷は青蛙房の著者となり、『術』『言語遊戯の系譜』『図説古武道史』などを出版するようになる。私も綿谷編の『幕末明治実歴譚』を入手しているが、岡本はこの本についても「名家談叢から」なる一文を収録している。

三田村鳶魚武家事典術言語遊戯の系譜図説古武道史

岡本の紹介によれば、綿谷は紀州藩吉川流砲術の宗家出身で、牧師となった父をもち、雪は讃美歌からとられたもので、キヨシとよませるという。綿谷は生後すぐに父と死別し、母の再婚に伴って、綿谷家に入ったので、そちらの姓を名乗るようになり、上京して早大に入った。だが教室にはほとんど顔を出さず、もっぱら図書館ですごしていたところ、教授の山口剛が真山の西鶴研究の助手に綿谷を推薦したので、それから真山と綿谷は長い師弟関係を築くことになったとされる。

既述したように、山口は興文社の『日本名著全集』の主たる編纂者だった。そして「昭和十五年、十五巻の真山青果全集が講談社から出た。この編集は綿谷さんをおいて他にない筈だ。ところが、その本のどこにも綿谷のワの字もなかった。おそらく、そこが綿谷さんのミソなのだろう」と岡本は書いている。

それらもさることながら、綿谷が戸伏太平の筆名に隠れ、歴史小説を書いて戦前に直木賞候補になったこと、戦後も多くの時代小説を書いたようで、岡本はそれらの署名を具体的に挙げているが、私は一冊も読んでいない。

しかし私は岡本による綿谷の紹介以前に彼の名前を目にしていた。それは梅原北明のポルノグラフィ出版人脈の一人としてだった。すでに言及したこともある洛成館の『談奇党』第3号の「現代猟奇作家版元人名録」に、「別名磨耶火」として次のようにあった。

 彼れは厳密に云つて、名古屋の尾崎久彌の門下である。若冠であるが頗る学究的良心に富み、早大経済科を卒業後師範部国漢科へ再度入学して研鑽を積んだ篤学である。彼れのデヴユウは「変態資料(ママ)」である。ケレンのない温和な性格は、社交的ではないが親しみを感じさせる。インチキの多い猟奇文献の中では、最も光つた者の一人であるが、地味な男だけに一向世間的にはパツとしないやうであるが、彼れなどはもう少し報ひられてもよさそうだと思つゐて(ママ)る。「変態資料」「変態黄表紙」「桃色草紙」なき後は、すつかり筆を納めて、病弱な細君のために転々と地をかへ、現在では牛込の薬王寺通りに小やかな書店を開いて、そこの亭主で納まつている。

おそらくここでしかなされない綿谷の照会によれば、彼は上森健一郎の文芸資料研究会編輯部から出された『変態・資料』、同じく上森たちによる発藻堂書院の『古今桃色草紙』、南柯書院の『変態黄表紙』の寄稿者であり、その関係から江戸時代の文献に通じている尾崎久彌に私淑するようになったのではないだろうか。これらの三誌はいずれも未見なので、綿谷の論稿に目を通していないが、一度読んでみたいと思う。

しかしあらためて驚くのは、綿谷にまで至る梅原北明出版ネットワークの広がり方で、本連載44545566などでも文芸資料研究会編集部からつながっている発藻堂書院や南柯書院に関係した花房四郎=中野正人、西谷操、宮本良、それから尾崎久彌を論じてきた。そして花房がプロレタリア文学、西谷が三笠書房を始めとする多くの出版社、宮本が春秋社、村松梢風の騒人社、尾崎に若山牧水がつながっていたことを記してきた。そのメンバーの中に綿谷も参画していたことになり、彼は前述したように、真山青果のマネージャー兼弟子となり、昭和十五年に『真山青果全集』の編集を担うことになる。

また岡本の証言によれば、この全集は戦後になって『真山青果選集』全六巻として再編集され、青果没後の『真山青果随筆選集』全三巻も綿谷が遺稿を整理し、編んだものだという。『子規全集』と同じく講談社から昭和五十年に刊行された『真山青果全集』全二十五巻もそのような綿谷の仕事をベースにして成立したと考えていいだろう。『子規全集』にしても『真山青果全集』にしても、全集は一夜にしてならずであり、長い前史があったことを教えてくれる。

子規全集真山青果全集

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