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混住社会論87 徳富蘆花『自然と人生』(民友社、一九〇〇年)と『みみずのたはこと』(新橋堂、一九〇七年)

 徳富蘆花集(『徳富蘆花集』、筑摩書房)



前回の佐藤春夫よりも先駆け、一九〇七年に「田園」へと移住し、そこから膨張する都市を見て、それらの同時代における記録を『みみずのたはこと』として綴っていた文学者がいた。それは徳富蘆花である。

また蘆花は本連載80でもふれたように、一九〇〇年に同種の作品集ともいえる『自然と人生』を、兄の徳富蘇峰が経営する民友社から刊行している。同書は中野好夫が『蘆花徳富健次郎』(筑摩書房)で述べているように、彼のほぼ生涯を通じて三七三版、五十万部を超えるロングセラーとなり、この「わずかに四一六頁、この袖珍小型本が、わが近代自然文学発達の上に果した役割については、今日すでにほとんど想像もつかぬほど大きなものがあった」とし、「異常な新しい魅力」に富んでいたことを特筆していよう。なお「袖珍小型本」とは現在の文庫本サイズで、これも国木田独歩の『武蔵野』と同様である。

蘆花徳富健次郎

しかも『自然と人生』も同じく、二葉亭四迷訳のツルゲーネフ「あいびき」の影響を受けて書かれ、それが掲載された『国民之友』を、蘆花と独歩はともに編集や発表の場としていた。それに『自然と人生』の成立のきっかけも、間接的はあるが、独歩が蘆花に自然の日記をかっくように勧めたことによっている。したがって四迷訳「あいびき」に端を発する背景とテーマの共通性もあり、『自然と人生』は翌年刊行の『武蔵野』と並んで、近代日本の郊外と自然の風景のイメージを一変させる相乗的な文学機能を果たしたと考えられる。
自然と人生(岩波文庫)

『自然と人生』は五編からなり、最初の「灰燼」は短篇小説、最後の「風景画家コロオ」は評伝だが、他の三編「自然に対する五分時」「写生帖」「湘南雑事」は自然を写生した散文詩ともいえる。それらの多くは文語体美文調で、そのひとつを「自然に対する五分時」の中の「田家の煙」の書き出しに例をとれば、次のようなものだ。「余は煙を愛す。田家の煙を愛す。高きに踞して、遠村近落の烟の、相呼び相応じつゝ、悠々として天に上り行くを見る毎に、心乃ち楽む」。

それが「湘南雑事」における「鰺釣り」にあっては「秋だ、秋だ。実に秋だ、つい背後(うしろ)の逗子の山々も、心からかわし鳶色になつた様だ。不動様の辺りに頻に百舌鳥が鳴くのが聞へる。葉山から逗子の停車場(ステーション)に通ふがた馬車の喇叭の音が聞へる」といった口語体散文詩の表出を見るようになる。これはまさに四迷訳「あいびき」や独歩の『武蔵野』の一節としても読むことができるのである。
 

そして『みみずのたはこと』もそれから十余年の年月は隔てているけれども、『自然と人生』の系列に属していると見なせよう。〇六年に蘆花はヤースナヤ・ポリャーナにトルストイを訪問し、それをきっかけとして、北多摩郡千歳村粕谷に移り、そこでの六年間の生活記録、短編、随想、紀行、書簡などの八十七編を収録したのが『みみずのたはこと』である。さらにこれも中野が指摘しているように、「そのもっとも大きな特長の一つは、この記録が粕谷という都市と田園とのきわどい交錯点、しかも大都会の触手が 駸々乎として田園を侵蝕しつつあった、その時点において書かれていたということ」にある。それは『みみずのたはこと』の序文にあたる「故人に寄す」にも顕著だし、実際に蘆花も言及している。

 東京が大分攻め寄せて来た。東京を西に距(さ)る唯三里、東京に依つて生活する村だ、二百万人の人の海にさす潮ひく汐の余波が村に響いて来るのは自然である。東京で瓦斯(ガス)を使ふ様になつて、薪の需要が減つた結果か、村の雑木山が大分拓かれて麦畑になつた。道側(みちばた)の櫟(くぬぎ)楢(なら)なぞ伐られ掘られて、短冊形の荒畑が続々出来る。武蔵野の特色たる雑木山を無惨(むざ)々々拓かるゝのは、儂(わし)にとつては肉を削がるゝ思(おもひ)だが、生活がさすわざだ。致方(いたしかた)は無い。筍が儲かるので、麦畑を潰して孟宗藪にしたり、養蚕の割が好いと云つて桑畑が殖えたり、大麦小麦より直接東京向きの甘監(きゃべつ)白菜や園芸物に力を入れる様になつたり、要するに曩時(むかし)の純農村は追々都会付属の菜園になりつゝある。京王電鉄が出来るので、其等を気構へ地価も騰貴した。儂が最初買うた地所は坪四十銭位であつたが、此頃は一円以上二円も其上もする様になつた。地所買ひも追々入り込む。儂自身東京から溢れ者の先鋒でありながら、滅多な東京者に入り込まれてはあまり嬉しい気もちもせぬ。洋服、白旅の男なぞ工場(こうば)の地所見に来たりするのを傍見する毎に、儂は眉を顰めて居る。要するに東京が日々攻め寄せる。(……)

これを蘆花が書いたのは一九一三年で、本連載で既述してきた東京の様々な郊外住宅地はまだ姿を現わしていなかった。かなり早い渋沢栄一の田園都市株式会社の設立にしても一八年、蘆花の千歳村と同様に北多摩郡に属する砧村、後の成城学園都市に柳田国男が移ってくるのは二七年のことで、後者に至ってはまだ先の話だった。ただ本連載74で記しておいたように、柳田が購入した分譲地は将来の文教地区とはいえ、坪当たり十四円であり、〇七年の蘆花の坪四十銭から比べれば、二十年で三十五倍になっている。「東京が大分攻め寄せて来た」という内実は、農地が住宅地や工場用地へと転換されていくことに伴う土地バブルをもさしているのだ。

蘆花はやはり『みみずのたはこと』の一編「展望台に上りて」で、その具体的な例を挙げている。京王電鉄が沿線繁栄策のひとつとして、東京市の寺院や墓地を移すために敷地二十万坪の買収を始めた。京王電鉄も金がないので、転売で一儲けをたくらんだのである。その一方で、一部の派手にやっている地主たちも金がないので、それはひでりに夕立の福音のようなものだった。だが二十万坪のうちの八万坪を占める地主十九人は、売渡(うりわたし)承諾契約書に調印したが、十二万坪に及ぶ三十名の地主はそれに反対した。その中には祖先伝来の家屋敷や畑もあるし、「農が土を手放すは魚の水に離れるやうなものだ、金なんか直ぐ泡の様に消えて了ふ」。「真の農にとつては、土地は財産ではない、生存其のものである」し、それに六割を占める小作も村に住めなくなる。そして蘆花は六年の千歳村の生活から自らも自戒し、次のように告白する。「すなわち千歳村の墓地問題の如きも、京王電鉄会社や大地主等にとつては利益問題だが、純農者にとつては取りも直さぬ生存問題であるのだ」と。

ところが京王電鉄は政治力を行使し、霊場 敷地展望台を畑の中に建て、収用法を適用するとの高圧的手段に出た。反対していた地主たちさすがに怒り出し、墓地排斥運動が始まった。蘆花はその十数間の展望台に登ってみた。その二十万坪を仕切る目標となっている十数流の紅白旗は「占領旗」のようで、その中心にある展望台の下では農作業が営まれ、展望台は「こゝに耕す人と其住家(すみか)とを呑むでかかつて威嚇して居る様で」、恥ずかしくなった。そして蘆花は「都会が田舎の意志と感情を無視して吾儘を通すなら、其こそ本当の無理である。無理は分離である。都市と田舎は一体である。農が濫りに土を離るゝの日は農の死である。都が田舎を潰す日には、都自身が潰れるのである」とまで書いている。

蘆花が〇七年に移ってきた千歳村粕谷は武蔵野の一角で、都心から十キロ圏に位置し、甲州街道沿いの京王電鉄の着工はまだ始まっておらず、青山街道もまた三軒茶屋まで玉川電鉄が通じたばかりだった。それゆえに甲州街道を十二キロ歩いていくしかなかった。その粕谷は戸数わずか二十六小さな村あった。蘆花が購入した粕谷の地所は一反五畝余で、小高く見晴らしがよかったし、十五坪ほどの汚い草葺の家がついていた。家の前は樫が一列あり、麦畑になっていて、後は小杉林、櫟林を形成していた。蘆花は久しく「家を有(も)つなら草葺の家、而して一反でも可(いい)、己が自由になる土を有ちたい」と思っていたので、これに決めたのである。この家主は隣字の大工で、その妾と子供が住んでいたものだった。前回の佐藤春夫の『田園の憂鬱』でも引越した先は、村の有力者の老人が妾のためにしつらえた家だった。

蘆花がいっているように、村人たちは彼らを「東京の食ひつめ者」と見ていたし、「田園生活」に新参者として参入しようとすれば、そのようないわくのある家を選ばざるをえなかったことになる村の家をめぐるエピソードは「潰瘍」と題する一編に紹介され、これは私も翻訳しているゾラの『大地』(論創社)を彷彿させるような一族の因縁話に仕上がっているが、脇道にそれてしまうので、ここではそのタイトルを示すにとどめておく。
大地

蘆花が暮らした村の六年間については「麦の穂稲穂」のなかの「村の一年」で、それは「都近い此辺の村では、陽暦陰暦を折衷して一月晩れで年中行事をやる」と始まっている。その描写は毎月のカレンダーに詳細な予定を書きこんだ上に、写真を添えているようなリアリズムが伴っている。それに加え、村の結婚の「媒酌」や「葬式」や「村芝居」までが、これも短編映画のように描かれ、明治末期の村のハレとケの日が浮かび上がってくる。このような『みみずのたはこと』に描かれた文章を読んでいると、須藤功編『写真でみる日本生活図引』(弘文堂)が思い出される。これは高度成長期を境にして失われてしまった日本の生活文化がいっぱいつめこまれ、特別な写真があるわけではないが、かつての日常生活の風景とその細部までが想起されるのである。この別巻は『村の一年』と題され、須藤もまた時代は異なるにしても、『みみずのたはこと』を念頭に置き、この一巻を編んだと推測できる。
村の一年

しかし六年間暮らし、蘆花も「東京が日々攻め寄せる」という村人の側の視線を有するに至っていたが、彼は粕谷の大地主になっていた。そして村人からは「本が沢山ある家、学を読む家、植木が好きな家」と呼ばれ、蘆花自身は作男を入れ、陸穂の餅米一俵、大麦三俵の収穫を得たにしろ、所詮は「美的百姓で真物(ほんもの)の百姓とは反りが合わぬ」のである。ただそのような蘆花がいなければ、千歳村粕谷はその生活や風景も『みみずのたはこと』の中に残されることもなかったであろう。そのように考えてみると、『みみずのたはこと』は混住社会をいち早く描いた作品といえるのかもしれない。

なお『みみずのたはこと』は様々なヴァージョンがあるようだが、ここではテキストとして『徳富蘆花集』(『明治文学全集』42、筑摩書房)を使用した。

みみずのたはこと(岩波文庫)

◆過去の「混住社会論」の記事
「混住社会論」86  佐藤春夫『田園の憂鬱』(新潮社、一九一九年)と『都会の憂鬱』(同前、一九二三年)
「混住社会論」85  『東京急行電鉄50年史』(同社史編纂委員会、一九七二年) 『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」84  『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」83  谷崎潤一郎『痴人の愛』(改造社、一九二五年)
「混住社会論」82  三浦朱門『武蔵野インディアン』(河出書房新社、一九八二年)
「混住社会論」81  大岡昇平『武蔵野夫人』(講談社、一九五〇年)
「混住社会論」80  国木田独歩『武蔵野』(民友社、一九〇一年)
「混住社会論」79  水野葉舟『草と人』(植竹書院、一九一四年、文治堂書店、一九七四年)
「混住社会論」78  小田内通敏『帝都と近郊』(大倉研究所、一九一八年、有峰書店、一九七四年) 『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」77  『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」76  『宝塚市史』(一九七五年)と『阪神間モダニズム』(淡交社、一九九七年)
「混住社会論」75  小林一三『逸翁自叙伝』(産業経済新聞社、一九五三年)と片木篤・藤谷陽悦・角野幸博編『近代日本の郊外住宅地』(鹿島出版会、二〇〇〇年)
「混住社会論」74  柳田国男『明治大正史世相篇』(朝日新聞社、一九三一年)と山口廣編『郊外住宅地の系譜』(鹿島出版会、一九八七年)
「混住社会論」73  柳田国男『都市と農村』(朝日新聞社、一九二九年)
「混住社会論」72  内務省地方局有志『田園都市と日本人』(博文館一九〇七年、講談社一九八〇年)
「混住社会論」71  ローラン・カンテ『パリ20区、僕たちのクラス』(ミッドシップ、二〇〇八年)とフランソワ・ベゴドー『教室へ』(早川書房、二〇〇八年)
「混住社会論」70  マブルーク・ラシュディ『郊外少年マリク』(集英社、二〇一二年)
「混住社会論」69  『フランス暴動 階級社会の行方』(『現代思想』二〇〇六年二月臨時増刊、青土社)
「混住社会論」68  ディディエ・デナンクス『記憶のための殺人』(草思社、一九九五年)
「混住社会論」67  パトリック・モディアノ『1941年。パリの尋ね人』(作品社、一九九八年)
「混住社会論」66  ジャン・ヴォートラン『グルーム』(文春文庫、二〇〇二年)
「混住社会論」65  セリーヌ『夜の果ての旅』(原書一九三二年、中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」64  ロベール・ドアノー『パリ郊外』(原書一九四九年、リブロポート、一九九二年)
「混住社会論」63  堀江敏幸『郊外へ』(白水社、一九九五年)
「混住社会論」62  林瑞枝『フランスの異邦人』(中公新書、一九八四年)とマチュー・カソヴィッツ『憎しみ』(コロンビア、一九九五年)
「混住社会論」61  カーティス・ハンソン『8Mile』(ユニバーサル、二〇〇二年)と「デトロイトから見える日本の未来」(『WEDGE』、二〇一三年一二月号)
「混住社会論」60  G・K・チェスタトン『木曜の男』(原書一九〇八年、東京創元社一九六〇年)
「混住社会論」59  エベネザー・ハワード『明日の田園都市』(原書一九〇二年、鹿島出版会一九六八年)
「混住社会論」58  『日本ショッピングセンターハンドブック』と『イオンスタディ』(いずれも商業界、二〇〇八、〇九年)
「混住社会論」57  ビクター・グルーエン『ショッピングセンター計画』『都市の生と死』(いずれも商業界、一九六九、七一年)
「混住社会論」56  嶽本野ばら『下妻物語』(小学館、二〇〇二年)
「混住社会論」55  佐伯一麦『鉄塔家族』(日本経済新聞社、二〇〇四年)
「混住社会論」54  長嶋有『猛スピードで母は』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」53  角田光代『空中庭園』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」52  宮沢章夫『不在』(文藝春秋、二〇〇五年)
「混住社会論」51  吉本由美『コンビニエンス・ストア』(新潮社、一九九一年)と池永陽『コンビニ・ララバイ』(集英社、二〇〇二年)
「混住社会論」50  渡辺玄英『海の上のコンビニ』(思潮社、二〇〇〇年)
「混住社会論」49  いがらしみきお『Sink』(竹書房、二〇〇二年)
「混住社会論」48  佐瀬稔『金属バット殺人事件』(草思社、一九八四年)と藤原新也『東京漂流』(情報センター出版局、一九八三年)
「混住社会論」47  山本直樹『ありがとう』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」46  重松清『定年ゴジラ』(講談社、一九九八年)
「混住社会論」45  ジョン・ファウルズ『コレクター』(白水社、一九六六年)
「混住社会論」44  花村萬月『鬱』(双葉社、一九九七年)
「混住社会論」43  鈴木光司『リング』(角川書店、一九九一年)
「混住社会論」42  筒井康隆『美藝公』(文藝春秋、一九八一年)
「混住社会論」41  エド・サンダース『ファミリー』(草思社、一九七四年)
「混住社会論」40  フィリップ・K・ディック『市に虎声あらん』(平凡社、二〇一三年)
「混住社会論」39  都築響一『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』(アスペクト、一九九七年)
「混住社会論」38  小林のりお と ビル・オウエンズ
「混住社会論」37  リースマンの加藤秀俊 改訂訳『孤独な群衆』(みすず書房、二〇一三年)
「混住社会論」36  大場正明『サバービアの憂鬱』(東京書籍、一九九三年)
「混住社会論」35  ジョージ・A・ロメロ『ゾンビ』(C-Cヴィクター、一九七八年)
「混住社会論」34  エドワード・ホッパーとエリック・フィッシュル
「混住社会論」33  デイヴィッド・リンチ『ブルーベルベット』(松竹、一九八六年)
「混住社会論」32  黒沢清『地獄の警備員』(JVD、一九九二年)
「混住社会論」31  青山真治『ユリイカ EUREKA』(JWORKS、角川書店、二〇〇〇年)
「混住社会論」30  三池崇史『新宿黒社会 チャイナ・マフィア戦争』(大映、一九九五年)
「混住社会論」29  篠田節子『ゴサインタン・神の座』(双葉社、一九九六年)
「混住社会論」28  馳星周『不夜城』(角川書店、一九九六年)
「混住社会論」27  大沢在昌『毒猿』(光文社カッパノベルス、一九九一年)
「混住社会論」26  内山安雄『ナンミン・ロード』(講談社、一九八九年)
「混住社会論」25  笹倉明『東京難民事件』(三省堂、一九八三年)と『遠い国からの殺人者』(文藝春秋、八九年)
「混住社会論」24  船戸与一「東京難民戦争・前史」(徳間書店、一九八五年)
「混住社会論」23  佐々木譲『真夜中の遠い彼方』(大和書房、一九八四年)
「混住社会論」22  浦沢直樹『MONSTER』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」21  深作欣二『やくざの墓場・くちなしの花』(東映、一九七六年)
「混住社会論」20  後藤明生『書かれない報告』(河出書房新社、一九七一年)
「混住社会論」19  黒井千次『群棲』(講談社、一九八四年)
「混住社会論」18  スティーヴン・キング『デッド・ゾーン』(新潮文庫、一九八七年)
「混住社会論」17  岡崎京子『リバーズ・エッジ』(宝島社、一九九四年)
「混住社会論」16  菊地史彦『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、二〇一三年)
「混住社会論」15  大友克洋『童夢』(双葉社、一九八三年))
「混住社会論」14  宇能鴻一郎『肉の壁』(光文社、一九六八年)と豊川善次「サーチライト」(一九五六年)
「混住社会論」13  城山三郎『外食王の飢え』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」12  村上龍『テニスボーイの憂鬱』(集英社、一九八五年)
「混住社会論」11  小泉和子・高薮昭・内田青蔵『占領軍住宅の記録』(住まいの図書館出版局、一九九九年)
「混住社会論」10  ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』(河出書房新社、一九五九年)
「混住社会論」9  レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』(早川書房、一九五八年)
「混住社会論」8  デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』(新潮社、一九九七年)
「混住社会論」7  北井一夫『村へ』(淡交社、一九八〇年)と『フナバシストーリー』(六興出版、一九八九年)
「混住社会論」6  大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社、一九六七年)
「混住社会論」5  大江健三郎『飼育』(文藝春秋、一九五八年)
「混住社会論」4  山田詠美『ベッドタイムアイズ』(河出書房新社、一九八五年)
「混住社会論」3  桐野夏生『OUT』後編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」2  桐野夏生『OUT』前編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」1