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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

混住社会論92 佐藤洋二郎『河口へ』(集英社、一九九二年)

河口へ



前回の佐藤泰志『海炭市叙景』とほぼ時代を同じくして、やはり炭鉱を故郷とする青年の物語が提出されていた。しかも『すばる』という掲載誌や単行本化も同様だった。それは佐藤洋二郎の『河口へ』である。ここで取り上げたいのは同書所収の四作のうちの「河口へ」と「入水の夏」だ。これらは一九八〇年代から始まった外国人労働者の本格的な受け入れ、不法就労者、日系ブラジル人の急増などの問題とリンクし、彼らとの労働現場における混住を描いている。まだバブル崩壊は訪れておらず、外国人労働者アジア諸国やイランからも押し寄せていた。
海炭市叙景

「河口へ」の舞台は江戸川河口の浦安の飯場で、十九歳の「おれ」は古いプレハブに住み、杭打ち工事の職人だった。親方の坂田が炭坑離職者で、村に帰省した際にスカウトされ、「おれ」は東京だと思っていたが、連れられてきたのは東京ディズニーランドがある浦安だった。その河口には「おれ達が流れてきたように、さまざまなものが流れてくる」。「おれ」の目に映った浦安の風景は次のようなものだ。

 海に対峙するように、おびただしい共同住宅が立ち並んでいる。薄暗い一つ一つの部屋は、蜂の巣だ。小さな建売住宅が、アメーバのように海に向かって、増殖している。海に浮かぶように、ホテル群が建っている。それらは巨大な防波堤だ。
 「アメリカみたいだな」
 「ウェストコートみたいだろ」(中略)
 坂田は極端な蟹股で歩いた。日本はアメリカさんの植民地みたいなもんさ、と笑った。だからアメリカの真似をしちょるんさ、と言った。

「おれ達」が福岡の遠賀川の炭坑があったさびれた村から「アメリカみたい」な浦安へと流れてきたように、「クロ」と「パキ」もこの「怪我と弁当は自分持ち」の飯場へと流れつき、「おれ達」と一緒に暮らし、仕事をしている。「クロ」は黒人、「パキ」はパキスタン人からの名称であり、後者は「国じゃ学校の先生だった」ようなのだ。

「河口へ」でも外国人労働者の急増が述べられているが、梶田孝路の『外国人労働者と日本』NHKブックス、九四年)などに示されたデータによれば、日系人とアジア人労働市場は重なり合っているにしても、後者のほうは時給相場が安く、労働内容のきつい「建築、土木作業員」となる割合が高いという。それは「クロ」も同様であり、そのような外国人労働市場の現実が「河口へ」においても反映されているのだろう。

外国人労働者と日本

それはまたかつての炭坑にも、現在の「おれ」の周辺でも起きていたことだった。

 外国人とのつき合いが田舎や貧乏人達から始まっていることくらい、おれだって知っている。今に始まったことじゃない。炭坑(ヤマ)でボタを投げれば朝鮮人や中国人に当たったし、今でもパンチ(同僚のあだ名−注)やおれの田舎では、フィリピンや韓国の花嫁が増えている。現にパンチの三十六になる長兄は、二十三歳の韓国人の女房を貰ったし、妹は黒人の餓鬼を生んだ。英語も話せないのに小さな国際家族をつくっている。

ここに見える「国際家族」という言葉を借りれば、「河口へ」は「国際飯場」を形成する人々の群像ドラマといっていいし、そこには「一昨年からの内需拡大のおかげで(中略)神風が吹いている」という好景気事情があったのだ。だがそこに表出しているのは元請け建設会社・第一次下請け基礎工事会社・第二次下請けの親方が束ねる集団と外国人労働者というヒエラルキーであり、外国人労働者たちとほぼ同列に置かれている「おれ達」のアングルから、八〇年代後半からの「神風が吹いている」開発地帯におけるバブルの末端光景が浮かび上がってくることになる。

本連載25の笹倉明『東京難民事件』などで「ジャパゆきさん」、同51の吉本由美『コンビニエンス・ストア』でタイ人土木作業員の一端を見てきたが、そうした現場における家族、宗教、女をめぐる日本人、黒人、東南アジア人の位相がさらに広範に表われてくる。そこで「クロ」はサトウ、「パキ」はタナカと呼ばれ、日本人と同化することで、元請け会社から労働者としての参入を許可される。それはかつての帝国主義時代の同化政策をも彷彿させる。その呼び名を聞いて、佐藤という満州帰りの土工は「こいつらと一緒に働いているなんて、なんだか戦争に負け続けているみたいだよ」とぼやくのだ。

[f:id:OdaMitsuo:20130610112925j:image:h115](集英社文庫)

「入水の夏」の舞台は「河口へ」と異なり、同じ飯場ではあっても浦安ではなく、炭坑があったさびれた村に移り、主人公の「おれ」の名前もちがっているが、このふたつの作品は連作と見なしていい。「おれ」は浦安の基礎工事会社に四年いて、村に戻ってきたのである。それはさびれた村にもバブルが押しよせ、開発が始まっていたからだ。

 川の拡幅工事は後三年は続くはずだった。数年先に村は、町のベッドタウンになる予定だった。そのために下水工事や川の拡幅工事を先に進めていた。土地の区画整理も始まり、日曜日ごとに町からの見学者がやってきた。スーパーができ、バスのターミナルも新しくなるという噂だった。
 二十数年前に閉山になり、寂れ切っていた村は、人口増加した町のベッドタウンとして、再び脚光を浴びようとしていた。
 誰も見向きもしなかった土地の値段は、数倍にも跳ね上がり、いい土地はあらかた町の業者に押さえられてしまったという噂だった。(中略)
 小金の入った村の人間の懐を狙って、一年前に田圃の中に、フィリピンスナックが開店した。プレハブでできただけのその店は、浅黒い小柄なフィリピンの女達が、毎晩おれ達を歓待している。

そればかりか、工事中の乙女が池で、「おれ」の同級生であり、「黒人兵のがき」を生んだ待子が赤子と一緒に入水自殺したり、フィリピンの女と歳が倍以上も離れた農夫が結婚したり、工事現場にはパキスタン人やイラク人の姿まで見られるようになった。そして外国人労働者専用の飯場も設けられた。

 外国人宿舎には、フィリピン人やパキスタン人やイラク人がいた。中国人や黒人もいた。フィリピン人はエフチャン、パキスタン人はパキチャン、中国人はシーちゃんと呼ばれている。イラク人はフセインだったし、黒人はただのクロちゃんだった。飯場は国ごとにベニヤ板で仕切られ、それぞれに分かれて寝ていた。おれ達は仕切りのない檻で、あいつらは仕切りのある檻に住んでいるというわけだった。たいした違いはなかった。
河口へ (小学館文庫)

「おれ」は思うのだ。「こうして出稼ぎの村に世界中の人間が集まってくるなんて、だれが想像できただろう」と。かつて五千人の住民がいた村は炭坑が閉山になると、別の土地に流れ、過疎化が始まり、石炭産業以外に何もない村はまたたく間にさびれ、二千人までに減ってしまった。出稼ぎに出た村人は三百年近く続いているお盆の村祭りを楽しみに帰ってくるのだが、その賑わいも以前よりも寂しい限りだった。

炭坑があった痕跡すらも消え、ボタ山にも木々が繁り、他の山々と見分けがつかなかった。かろうじて炭坑の面影とその事実を残しているのは、ボタ山の麓にある草木に覆われた坑口で、その中に入ると坑内で命を落とした死者たちの気配、それから朝鮮人や中国人坑夫の墓もある裏手の粗末な墓地から出てくる頭蓋骨や大腿骨だった。

最盛期の小学校には千人以上の生徒がいたが、「おれ」の時代には二百人足らずだった。彼らは一体どこにいったのだろうか。山が削られ、整地され、住宅団地となり、新たに小学校も建てられ、中層の県営住宅も建設され、新しい住民がやってくるのだろうが、そこに村人たちが歩く姿はなく、ましてそこに住むこともないのだ。村人たちは土地を売ったりして立ちのき、去っていく運命にあったからだ。

炭坑の全盛時代に、村には朝鮮人家族が多く住んでいた。今ではその代わりにフィリピン人、パキスタン人、イラク人などが加わり、村の新たな開発工事に携わっていることになる。ここでも「職員が一番、おれ達が二番、あいつらが三番」、つまり元請け会社・日本人・外国人というヒエラルキーは変わらず、日本人と外国人の民族葛藤や力学が仕事現場と飯場に表出し、それが多国籍的な現象と屈折を伴っている。

例えば、「フセイン」は「この村がさびれたのも、あいつらの国で石油がぎょうさん出るからたい。出んかったら、まだ炭坑があったかもしれん」と揶揄される。また「入水の夏」の時代は湾岸戦争が始まった年で、アメリカとイラクの戦争は、日本に出稼ぎにきているといえる「フセイン」にも照り返され、彼は涙を流し、残してきた家族のことを心配し、不安を表出させている。

その一方で、彼は村の娘で、父親と近親相姦関係にある知恵遅れの春子に「ちょっかいをだす」ことによって、父親に出刃包丁で追いかけ回されたりするのだ。日本の炭坑があったさびれた村の再開発現場に、グローバリゼーション的な葛藤が投影されていることになる。「入水の夏」は「男のジャパゆきさん」たちの「出稼ぎ」の物語でもあり、それを通じて、また村の歴史と暗部も浮かび上がってくる。

フセインと春子の逢引きは乙女が池の周りで行われていたが、二人の関係は、春子親子の家の強制執行による立ちのきと村からの離脱によって終わりを告げる。そして入水自殺した待子の父は娘を突き落としたと便箋に走り書きし、土左衛門となって池に浮かんだ。そして「おれ」は乙女が池の由来を初めて知る。それはまだ炭坑もなかった昔、灌漑用の溜め池を造る時に、若い女を人柱にしたことによっていたのだ。とすれば、待子もまた新たな村の開発のための人柱だったことになるのだろうか。このようにして、「入水の夏」には小さな村の歴史と世界史状況が交錯し、乱反射していることになる。

なお九五年に出された『夏至祭』は、「河口へ」と「入水の夏」に続く連作集として読むことができる。所収の「花火」の登場人物の名前は泰史となっている。これは自死した佐藤泰志へのレクイエムのように思える。

◆過去の「混住社会論」の記事
「混住社会論」91  佐藤泰志『海炭市叙景』(集英社、一九九一年)
「混住社会論」90  梶山季之『夢の超特急』(光文社カッパノベルス、一九六三年)
「混住社会論」89  岩瀬成子『額の中の街』(理論社、一九八四年)
「混住社会論」88  上林暁『武蔵野』(現代教養文庫、一九六二年)島田謹介『武蔵野』(暮しの手帖社、一九五六年)
「混住社会論」87  徳富蘆花『自然と人生』(民友社、一九〇〇年)と『みみずのたはこと』(新橋堂、一九〇七年)
「混住社会論」86  佐藤春夫『田園の憂鬱』(新潮社、一九一九年)と『都会の憂鬱』(同前、一九二三年)
「混住社会論」85  『東京急行電鉄50年史』(同社史編纂委員会、一九七二年) 『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」84  『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」83  谷崎潤一郎『痴人の愛』(改造社、一九二五年)
「混住社会論」82  三浦朱門『武蔵野インディアン』(河出書房新社、一九八二年)
「混住社会論」81  大岡昇平『武蔵野夫人』(講談社、一九五〇年)
「混住社会論」80  国木田独歩『武蔵野』(民友社、一九〇一年)
「混住社会論」79  水野葉舟『草と人』(植竹書院、一九一四年、文治堂書店、一九七四年)
「混住社会論」78  小田内通敏『帝都と近郊』(大倉研究所、一九一八年、有峰書店、一九七四年) 『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」77  『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」76  『宝塚市史』(一九七五年)と『阪神間モダニズム』(淡交社、一九九七年)
「混住社会論」75  小林一三『逸翁自叙伝』(産業経済新聞社、一九五三年)と片木篤・藤谷陽悦・角野幸博編『近代日本の郊外住宅地』(鹿島出版会、二〇〇〇年)
「混住社会論」74  柳田国男『明治大正史世相篇』(朝日新聞社、一九三一年)と山口廣編『郊外住宅地の系譜』(鹿島出版会、一九八七年)
「混住社会論」73  柳田国男『都市と農村』(朝日新聞社、一九二九年)
「混住社会論」72  内務省地方局有志『田園都市と日本人』(博文館一九〇七年、講談社一九八〇年)
「混住社会論」71  ローラン・カンテ『パリ20区、僕たちのクラス』(ミッドシップ、二〇〇八年)とフランソワ・ベゴドー『教室へ』(早川書房、二〇〇八年)
「混住社会論」70  マブルーク・ラシュディ『郊外少年マリク』(集英社、二〇一二年)
「混住社会論」69  『フランス暴動 階級社会の行方』(『現代思想』二〇〇六年二月臨時増刊、青土社)
「混住社会論」68  ディディエ・デナンクス『記憶のための殺人』(草思社、一九九五年)
「混住社会論」67  パトリック・モディアノ『1941年。パリの尋ね人』(作品社、一九九八年)
「混住社会論」66  ジャン・ヴォートラン『グルーム』(文春文庫、二〇〇二年)
「混住社会論」65  セリーヌ『夜の果ての旅』(原書一九三二年、中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」64  ロベール・ドアノー『パリ郊外』(原書一九四九年、リブロポート、一九九二年)
「混住社会論」63  堀江敏幸『郊外へ』(白水社、一九九五年)
「混住社会論」62  林瑞枝『フランスの異邦人』(中公新書、一九八四年)とマチュー・カソヴィッツ『憎しみ』(コロンビア、一九九五年)
「混住社会論」61  カーティス・ハンソン『8Mile』(ユニバーサル、二〇〇二年)と「デトロイトから見える日本の未来」(『WEDGE』、二〇一三年一二月号)
「混住社会論」60  G・K・チェスタトン『木曜の男』(原書一九〇八年、東京創元社一九六〇年)
「混住社会論」59  エベネザー・ハワード『明日の田園都市』(原書一九〇二年、鹿島出版会一九六八年)
「混住社会論」58  『日本ショッピングセンターハンドブック』と『イオンスタディ』(いずれも商業界、二〇〇八、〇九年)
「混住社会論」57  ビクター・グルーエン『ショッピングセンター計画』『都市の生と死』(いずれも商業界、一九六九、七一年)
「混住社会論」56  嶽本野ばら『下妻物語』(小学館、二〇〇二年)
「混住社会論」55  佐伯一麦『鉄塔家族』(日本経済新聞社、二〇〇四年)
「混住社会論」54  長嶋有『猛スピードで母は』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」53  角田光代『空中庭園』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」52  宮沢章夫『不在』(文藝春秋、二〇〇五年)
「混住社会論」51  吉本由美『コンビニエンス・ストア』(新潮社、一九九一年)と池永陽『コンビニ・ララバイ』(集英社、二〇〇二年)
「混住社会論」50  渡辺玄英『海の上のコンビニ』(思潮社、二〇〇〇年)
「混住社会論」49  いがらしみきお『Sink』(竹書房、二〇〇二年)
「混住社会論」48  佐瀬稔『金属バット殺人事件』(草思社、一九八四年)と藤原新也『東京漂流』(情報センター出版局、一九八三年)
「混住社会論」47  山本直樹『ありがとう』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」46  重松清『定年ゴジラ』(講談社、一九九八年)
「混住社会論」45  ジョン・ファウルズ『コレクター』(白水社、一九六六年)
「混住社会論」44  花村萬月『鬱』(双葉社、一九九七年)
「混住社会論」43  鈴木光司『リング』(角川書店、一九九一年)
「混住社会論」42  筒井康隆『美藝公』(文藝春秋、一九八一年)
「混住社会論」41  エド・サンダース『ファミリー』(草思社、一九七四年)
「混住社会論」40  フィリップ・K・ディック『市に虎声あらん』(平凡社、二〇一三年)
「混住社会論」39  都築響一『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』(アスペクト、一九九七年)
「混住社会論」38  小林のりお と ビル・オウエンズ
「混住社会論」37  リースマンの加藤秀俊 改訂訳『孤独な群衆』(みすず書房、二〇一三年)
「混住社会論」36  大場正明『サバービアの憂鬱』(東京書籍、一九九三年)
「混住社会論」35  ジョージ・A・ロメロ『ゾンビ』(C-Cヴィクター、一九七八年)
「混住社会論」34  エドワード・ホッパーとエリック・フィッシュル
「混住社会論」33  デイヴィッド・リンチ『ブルーベルベット』(松竹、一九八六年)
「混住社会論」32  黒沢清『地獄の警備員』(JVD、一九九二年)
「混住社会論」31  青山真治『ユリイカ EUREKA』(JWORKS、角川書店、二〇〇〇年)
「混住社会論」30  三池崇史『新宿黒社会 チャイナ・マフィア戦争』(大映、一九九五年)
「混住社会論」29  篠田節子『ゴサインタン・神の座』(双葉社、一九九六年)
「混住社会論」28  馳星周『不夜城』(角川書店、一九九六年)
「混住社会論」27  大沢在昌『毒猿』(光文社カッパノベルス、一九九一年)
「混住社会論」26  内山安雄『ナンミン・ロード』(講談社、一九八九年)
「混住社会論」25  笹倉明『東京難民事件』(三省堂、一九八三年)と『遠い国からの殺人者』(文藝春秋、八九年)
「混住社会論」24  船戸与一「東京難民戦争・前史」(徳間書店、一九八五年)
「混住社会論」23  佐々木譲『真夜中の遠い彼方』(大和書房、一九八四年)
「混住社会論」22  浦沢直樹『MONSTER』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」21  深作欣二『やくざの墓場・くちなしの花』(東映、一九七六年)
「混住社会論」20  後藤明生『書かれない報告』(河出書房新社、一九七一年)
「混住社会論」19  黒井千次『群棲』(講談社、一九八四年)
「混住社会論」18  スティーヴン・キング『デッド・ゾーン』(新潮文庫、一九八七年)
「混住社会論」17  岡崎京子『リバーズ・エッジ』(宝島社、一九九四年)
「混住社会論」16  菊地史彦『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、二〇一三年)
「混住社会論」15  大友克洋『童夢』(双葉社、一九八三年))
「混住社会論」14  宇能鴻一郎『肉の壁』(光文社、一九六八年)と豊川善次「サーチライト」(一九五六年)
「混住社会論」13  城山三郎『外食王の飢え』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」12  村上龍『テニスボーイの憂鬱』(集英社、一九八五年)
「混住社会論」11  小泉和子・高薮昭・内田青蔵『占領軍住宅の記録』(住まいの図書館出版局、一九九九年)
「混住社会論」10  ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』(河出書房新社、一九五九年)
「混住社会論」9  レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』(早川書房、一九五八年)
「混住社会論」8  デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』(新潮社、一九九七年)
「混住社会論」7  北井一夫『村へ』(淡交社、一九八〇年)と『フナバシストーリー』(六興出版、一九八九年)
「混住社会論」6  大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社、一九六七年)
「混住社会論」5  大江健三郎『飼育』(文藝春秋、一九五八年)
「混住社会論」4  山田詠美『ベッドタイムアイズ』(河出書房新社、一九八五年)
「混住社会論」3  桐野夏生『OUT』後編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」2  桐野夏生『OUT』前編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」1