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混住社会論93 小島信夫『抱擁家族』(講談社、一九六五年)と『うるわしき日々』(読売新聞社、一九九七年)

抱擁家族うるわしき日々


東海道新幹線が開通し、東京オリンピックが開催された翌年の一九六五年に、小島信夫『抱擁家族』が『群像』七月号に掲載され、続いて講談社から単行本として刊行された。この小説はアメリカと郊外と家族にまつわる先駆的にして象徴的作品であり、高度成長期の進行とパラレルに表出し始めていた、近代家族とは異なる現代家族のアモルフなイメージを提出し、衝撃を与えたといえよう。それに先行する『アメリカン・スクール』については『〈郊外〉の誕生と死』でふれておいたので、ここでは『抱擁家族』に言及してみたい。
アメリカン・スクール〈郊外〉の誕生と死

一九六四年夏に二年ぶりでアメリカから帰ってきた江藤淳は『群像』で『抱擁家族』を読み、この「妙に切ない美しさと恐ろしさ」を合わせ持つ「奇怪な作品」(『全文芸時評』新潮社)に衝撃を受け、それをコアとする『成熟と喪失』を著した。この「“母”の崩壊」というサブタイトルを付した文芸評論が出版されたのは六七年で、私も『成熟と喪失』を通じて『抱擁家族』を知り、七〇年初頭に両者を読むことになったのである。江藤は『成熟と喪失』の中で、『抱擁家族』を読むたびに、主人公の胸からあふれ出る「不安の水音」、「家庭」というイメージが「崩壊して行く音」を聴くと書いていた。
全文芸時評(『全文芸時評』)

そのことを象徴するように、『抱擁家族』の冒頭の一節は次のように書き出されている。「三輪俊介はいつものように思った。家政婦のみちよが来るようになってからこの家は汚れている、と」。ただこの書き出しは小島も断わっておらず、誰も指摘していないと思われるが、もうひとつのヴァージョンがあり、「(……)この家は汚れはじめた。そして最近とくに汚れている、と」いうもので、こちらは後半が加筆修正されている。『抱擁家族』の新しいテクストと見なせる小学館「昭和文学全集」21所収版は前者、講談社文芸文庫版は後者によっていることを付記しておく。

抱擁家族抱擁家族

だがこのような一節から始まる最初のセクションは章が立てられておらず、『抱擁家族』という物語の前提、及び登場人物の紹介ともいうべき役割を担っている。三輪俊介は四十五歳の大学講師で、外国文学の翻訳も手がけ、二年前にはアメリカの大学に単身で一年間滞在していた。その妻の時子は四十七歳、息子の良一は高校生、娘のノリ子は中学生である。

前述の書き出しにおいて、「汚れ」の象徴のように名指された家政婦のみちよの妹は、アメリカ軍属のヘンリーの「オンリイ」との設定で、六〇年代半ばの高度成長期を迎えても、そのような女性が存在していたことをあらためて認識させられるのだ。ちなみに『日本国語大辞典』(小学館)の定義によれば、「オンリイ(オンリー)」とは「第二次世界大戦後、占領軍の軍人のめかけ。一般に特定の外人とだけ交渉する売春婦」とされている。

そうした「オンリイ」を持つヘンリーに対して、俊介が遊びにくるように伝えたところ、代わりに後見人となっている「アメリカ人の二十三になる兵隊」ジョージが一ヵ月前から三輪家に出入りするようになったのである。『抱擁家族』において、米軍基地に関する直接的な言及はないけれど、俊介、時子、ジョージの三人で、キャンプの病院にいるヘンリーを見舞いにいく場面が描かれている。それらはこの作品の背景にすえられているのが米軍基地の存在、すなわちアメリカに他ならないことを告げている。

みちよは三輪家と基地をつなぐ触媒であることに加え、この物語の狂言回し的役割を果たす予兆をうかがわせ、彼女を通じてのジョージの出現が三輪家へのアメリカの侵犯のメタファーと化しているようだ。それゆえに彼女が「来るようになってからこの家は汚れはじめた」といっていい。だがその「汚れ」はアメリカ文学研究者らしい俊介とその妻の時子、息子と娘たちにみちよとジョージを加えた混住家族が共犯的にもたらしたものに他ならないように思えてくる。俊介は「この家の主人」「一家の責任者」だというが、時子は車で旅行に出かける時ジョージとみちよ、息子と娘でいっぱいだから、「あんたは留守番」だと申し渡す。

ジョージは時子から「子供の相手」にと望まれ、チャールストンを踊ったり、ハイスクールでならったホイットマンの「To A Stranger」という詩を片言でいう。「わたくし、あなた、トモダチ、なります。/わたし、あなた、さがしてた。/いっしょ、話す、食べる、寝る。」

江藤淳『成熟と喪失』の中で、このジョージの片言に注をつけ、ホイットマンの「To A Stranger」の原文のすべてを引いた上で、俊介が望んでいる「家庭」のイメージは二人のstrangersが出会って形成されるものではないと述べている。それゆえに俊介のイメージの中で、「妻」は決してノマド的strangerではなく、姿を変えた「母」であり、「妻」=「母」を中心として自らも含めた「子供」たちがいる世界、すなわち農耕社会の定住者的な母子の世界が求められている。ところがみちよとジョージの存在によって、そのイメージが揺らぎ始めていることが、この章立てされていない最初のセクションに揺曳し、これが物語の導火線として置かれ、狂言回しのみちよがそれに火をつけるのだ。

そうして第一章が、「だんなさまが二週間ぶりでお帰りになりました。(後略)」というみちよが時子に告げる言葉で始まっていく。さらにみちよは俊介に、留守中における時子とジョージの情事を打ち明ける。それを受けて、俊介は時子を詰問しようとするが、「これから何をいい、何をしたらいいのだろう。そういうことは、どの本にも書いてはなかったし、誰にも教わったことがない」。それゆえに妻の情事をめぐる夫婦の間の会話は、二人の関係の歴史の断層を浮かび上がらせるとともに、ファルスのような様相を呈していく。時子はいう。「こんなことはあんたは堪えなくっちゃ駄目よ。冷静にならなくっちゃ。あんたは喜劇と思うぐらいでなくっちゃ。外国の文学にくわしいんだもの。(中略)悲劇のように考えるのは、もう古いわよ(後略)」。

その場面に至って、本連載81の大岡昇平『武蔵野夫人』が想起される。こちらはフランス文学だが、これも大学教師兼翻訳家の夫婦の物語であり、その妻は復員してきた愛する従弟と「姦通」してもいないのに、恋と嫉妬の果てに睡眠剤を飲んで死ぬ。その死は彼女の心臓が悪かったことに還元され、「純然たる事故」として処置される。『武蔵野夫人』にあっては、「事故によらなければ悲劇が起らない。それが二十世紀である」。それでも『武蔵野夫人』は「悲劇」として終わっているが、『抱擁家族』の物語は「ファルス」の色彩に染められ、進んでいく。
武蔵野夫人

おそらく小島はこの『武蔵野夫人』を意識し、『抱擁家族』を構想したと思われるし、一九六七年刊行の同作品を巻頭にすえる『小島信夫』(『われらの文学』11、講談社)の著者の口絵写真には「武蔵野の雑木林にて」というキャプションが付され、その裏にはこれも、本連載80の国木田独歩の『武蔵野』の一節である「武蔵野に散歩する人は道に迷ふことを苦にしてはならない」が小島の自筆によってしたためられている。三輪俊介が新しい家を建てるために購入する「小田急で新宿から四十分の、奥まった傾斜地」こそは、小島のポートレートにある武蔵野なのではないだろうか。それらを考えれば、『抱擁家族』『武蔵野』『武蔵野夫人』の系譜に連なる作品と見ることもできよう。
小島信夫 [f:id:OdaMitsuo:20140831173553g:image:h120] 

だが『抱擁家族』『武蔵野』の自然描写に充ちた散文詩の趣きは追放され、『武蔵野夫人』の事故による悲劇も起こらない。それは時子のいうように必然的な「喜劇」のようなちぐはぐさを伴い、展開されていくし、これも、本連載35『ゾンビ』のようなホラー映画の兆候も呈し、夫婦が「化物のように見えてくる」といった記述が一度ならず書きこまれている。

ゾンビ

そうした中で、俊介と時子はジョージと三人で会い、ジョージの話も聞こうとする。ジョージはほとんど日本語を解さないし、時子は英語をしゃべれないので、俊介の通訳によって二人は話をするのである。しかも二人の年齢差は母子のように異なる。俊介にしてみれば、時子の情事は「アメリカ」を「ペット」にしようとした行為のように映るのだ。時子は自らの「責任を感じる」というが、ジョージは「両親」と「国家」に対して「責任をかんじるだけ」だという。その「国家」とはアメリカに他ならず、俊介は「ゴウ・バック・ホーム・ヤンキー」という「思いがけない言葉」をわめくに至る。

その一方で、俊介は「家の中を立てなおさなければならない」と考え、新たに郊外に土地を買い求め、時子の望む「アメリカ式のセントラル・ヒーティング」の家、カルフォルニアの別荘のようなガラス張りで、冷暖房完備の家を建てようとする。彼女はプールもほしいという。俊介も「夫婦がプールで泳いでたわむれている」楽園が出現すると思うようになっていた。

しかしその家の工事がはかどらないうちに、時子の乳癌が発見され、手術を受けることになるが、それでも完成した新しい家へと戻った。ところが「変った家」のセントラル・ヒーティングはうまく機能せず、雨もりすらも生じ、時子は癌が肺へと転移し、再入院、再手術となった。そして彼女は死んでいく。医者の話すケネディが殺され、鶴見の二重衝突事故で百何十人死んだという事柄から、それが一九六三年の出来事だったとわかる。

俊介が病院での仮通夜をすませ、家に帰ると、「友人たちが二、三十人、リビング・ルームの中に集まっていて、(中略)妻が客を呼んだみたいだ」った。

まだ『抱擁家族』は終っていないし、最後の第四章が残されている。だがここまでで私が前述した「アメリカの郊外と家族にまつわる先駆的にして象徴的な作品」であることが了承されるであろう。六五年の発表時点で高度成長期以後の日本の社会と家族の行方を透視しているかのように思われる。またこれは繰り返し言及しているが、一九八〇年代において、日本は郊外消費社会が隆盛となり、その産業構造はアメリカの五〇年代のそれとまったく相似するものとなった。ディズニーランドの開園も八〇年代半ばであったのであり、日本はまさにアメリカ的風景に覆われてしまったことになる。しかもそれは風景ばかりでなく、家族やライフスタイルも同様であり、その根底には九〇年代における日米構造会議やアメリカの「年次要望書」によってもたらされた第二の敗戦的状況が横たわっている。

それらのことを考えると、小島が「『抱擁家族』ノート」(『小島信夫文学論集』所収、晶文社)書きつけた次のような一節が否応なく思い出され、この小説の奥行の深さをあらためて確認してしまう。
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 アメリカ人をもってくることは、じゃまになりはせぬか、これは現代の問題、我国の文化の内容からして、かえって必要。俊介の家の建て方、外国風の家とも関連する。我々の倫理的支柱のなさともつながりをもたせればいい。

またさらに『抱擁家族』を最初に読んだ時は様々な驚きゆえに、想像もしなかったけれど、ほぼ三十年後にその続編として『うるわしき日々』が書かれ、時子が亡くなった後の三輪俊介一家の後日譚を知らされることになる。そこには俊介の老後の日常が描かれ、二十歳前後だった読者の私も五十歳近くになってしまったこともあり、感慨無量の思いに捉われるしかなかったのだ。それに続いて江藤淳も自死し、この一文を書いている私も、現在は還暦を超えてしまったのである。
うるわしき日々(講談社文芸文庫版)

『うるわしき日々』においても、老作家の俊介は八十歳を過ぎ、後期高齢者の姿を見せ、この作品は三十年後の『抱擁家族』といった様相を現前させている。五十代になった息子の良一は離婚し、重度のアルコール中毒で入院生活を送り、娘のノリ子は結婚して関西に住み、「ピース・ボート」のスタッフを務める娘がいる。『抱擁家族』にあって、息子と娘はまだ高校生と中学生だったのに。

再婚した妻の京子は、血のつながらない息子の看病のストレスから健忘症に陥る事態となっている。そうした家族関係の中で、俊介は息子をリハビリのためにファミレスに連れ出したり、妻の代わりにコンビニに買物に出かけたりもしている。ファミレスもコンビニもかつての『抱擁家族』の時代には存在しなかったものであり、俊介は『うるわしき日々』のほぼクロージングシーンで、「コンビニの袋を右手にもったまま、かがみこんで泣いた」りするのだ。

『抱擁家族』『うるわしき日々』の間に流れた三十年の間に、時代は高度成長期の工業社会からバブル経済を経た消費社会へと移行した。そして登場人物たちも年老い、その後の三輪家の三十年が何であったのか、また『抱擁家族』というタイトルにこめられた意味、及びそこで提起されていたアメリカや郊外や家族というテーマを再考するかのように迫ってくる。それは一九七〇年代以後の日本社会は何であったかという問いに他ならないように思える。

◆過去の「混住社会論」の記事
「混住社会論」92  佐藤洋二郎『河口へ』(集英社、一九九二年)
「混住社会論」91  佐藤泰志『海炭市叙景』(集英社、一九九一年)
「混住社会論」90  梶山季之『夢の超特急』(光文社カッパノベルス、一九六三年)
「混住社会論」89  岩瀬成子『額の中の街』(理論社、一九八四年)
「混住社会論」88  上林暁『武蔵野』(現代教養文庫、一九六二年)島田謹介『武蔵野』(暮しの手帖社、一九五六年)
「混住社会論」87  徳富蘆花『自然と人生』(民友社、一九〇〇年)と『みみずのたはこと』(新橋堂、一九〇七年)
「混住社会論」86  佐藤春夫『田園の憂鬱』(新潮社、一九一九年)と『都会の憂鬱』(同前、一九二三年)
「混住社会論」85  『東京急行電鉄50年史』(同社史編纂委員会、一九七二年) 『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」84  『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」83  谷崎潤一郎『痴人の愛』(改造社、一九二五年)
「混住社会論」82  三浦朱門『武蔵野インディアン』(河出書房新社、一九八二年)
「混住社会論」81  大岡昇平『武蔵野夫人』(講談社、一九五〇年)
「混住社会論」80  国木田独歩『武蔵野』(民友社、一九〇一年)
「混住社会論」79  水野葉舟『草と人』(植竹書院、一九一四年、文治堂書店、一九七四年)
「混住社会論」78  小田内通敏『帝都と近郊』(大倉研究所、一九一八年、有峰書店、一九七四年) 『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」77  『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」76  『宝塚市史』(一九七五年)と『阪神間モダニズム』(淡交社、一九九七年)
「混住社会論」75  小林一三『逸翁自叙伝』(産業経済新聞社、一九五三年)と片木篤・藤谷陽悦・角野幸博編『近代日本の郊外住宅地』(鹿島出版会、二〇〇〇年)
「混住社会論」74  柳田国男『明治大正史世相篇』(朝日新聞社、一九三一年)と山口廣編『郊外住宅地の系譜』(鹿島出版会、一九八七年)
「混住社会論」73  柳田国男『都市と農村』(朝日新聞社、一九二九年)
「混住社会論」72  内務省地方局有志『田園都市と日本人』(博文館一九〇七年、講談社一九八〇年)
「混住社会論」71  ローラン・カンテ『パリ20区、僕たちのクラス』(ミッドシップ、二〇〇八年)とフランソワ・ベゴドー『教室へ』(早川書房、二〇〇八年)
「混住社会論」70  マブルーク・ラシュディ『郊外少年マリク』(集英社、二〇一二年)
「混住社会論」69  『フランス暴動 階級社会の行方』(『現代思想』二〇〇六年二月臨時増刊、青土社)
「混住社会論」68  ディディエ・デナンクス『記憶のための殺人』(草思社、一九九五年)
「混住社会論」67  パトリック・モディアノ『1941年。パリの尋ね人』(作品社、一九九八年)
「混住社会論」66  ジャン・ヴォートラン『グルーム』(文春文庫、二〇〇二年)
「混住社会論」65  セリーヌ『夜の果ての旅』(原書一九三二年、中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」64  ロベール・ドアノー『パリ郊外』(原書一九四九年、リブロポート、一九九二年)
「混住社会論」63  堀江敏幸『郊外へ』(白水社、一九九五年)
「混住社会論」62  林瑞枝『フランスの異邦人』(中公新書、一九八四年)とマチュー・カソヴィッツ『憎しみ』(コロンビア、一九九五年)
「混住社会論」61  カーティス・ハンソン『8Mile』(ユニバーサル、二〇〇二年)と「デトロイトから見える日本の未来」(『WEDGE』、二〇一三年一二月号)
「混住社会論」60  G・K・チェスタトン『木曜の男』(原書一九〇八年、東京創元社一九六〇年)
「混住社会論」59  エベネザー・ハワード『明日の田園都市』(原書一九〇二年、鹿島出版会一九六八年)
「混住社会論」58  『日本ショッピングセンターハンドブック』と『イオンスタディ』(いずれも商業界、二〇〇八、〇九年)
「混住社会論」57  ビクター・グルーエン『ショッピングセンター計画』『都市の生と死』(いずれも商業界、一九六九、七一年)
「混住社会論」56  嶽本野ばら『下妻物語』(小学館、二〇〇二年)
「混住社会論」55  佐伯一麦『鉄塔家族』(日本経済新聞社、二〇〇四年)
「混住社会論」54  長嶋有『猛スピードで母は』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」53  角田光代『空中庭園』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」52  宮沢章夫『不在』(文藝春秋、二〇〇五年)
「混住社会論」51  吉本由美『コンビニエンス・ストア』(新潮社、一九九一年)と池永陽『コンビニ・ララバイ』(集英社、二〇〇二年)
「混住社会論」50  渡辺玄英『海の上のコンビニ』(思潮社、二〇〇〇年)
「混住社会論」49  いがらしみきお『Sink』(竹書房、二〇〇二年)
「混住社会論」48  佐瀬稔『金属バット殺人事件』(草思社、一九八四年)と藤原新也『東京漂流』(情報センター出版局、一九八三年)
「混住社会論」47  山本直樹『ありがとう』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」46  重松清『定年ゴジラ』(講談社、一九九八年)
「混住社会論」45  ジョン・ファウルズ『コレクター』(白水社、一九六六年)
「混住社会論」44  花村萬月『鬱』(双葉社、一九九七年)
「混住社会論」43  鈴木光司『リング』(角川書店、一九九一年)
「混住社会論」42  筒井康隆『美藝公』(文藝春秋、一九八一年)
「混住社会論」41  エド・サンダース『ファミリー』(草思社、一九七四年)
「混住社会論」40  フィリップ・K・ディック『市に虎声あらん』(平凡社、二〇一三年)
「混住社会論」39  都築響一『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』(アスペクト、一九九七年)
「混住社会論」38  小林のりお と ビル・オウエンズ
「混住社会論」37  リースマンの加藤秀俊 改訂訳『孤独な群衆』(みすず書房、二〇一三年)
「混住社会論」36  大場正明『サバービアの憂鬱』(東京書籍、一九九三年)
「混住社会論」35  ジョージ・A・ロメロ『ゾンビ』(C-Cヴィクター、一九七八年)
「混住社会論」34  エドワード・ホッパーとエリック・フィッシュル
「混住社会論」33  デイヴィッド・リンチ『ブルーベルベット』(松竹、一九八六年)
「混住社会論」32  黒沢清『地獄の警備員』(JVD、一九九二年)
「混住社会論」31  青山真治『ユリイカ EUREKA』(JWORKS、角川書店、二〇〇〇年)
「混住社会論」30  三池崇史『新宿黒社会 チャイナ・マフィア戦争』(大映、一九九五年)
「混住社会論」29  篠田節子『ゴサインタン・神の座』(双葉社、一九九六年)
「混住社会論」28  馳星周『不夜城』(角川書店、一九九六年)
「混住社会論」27  大沢在昌『毒猿』(光文社カッパノベルス、一九九一年)
「混住社会論」26  内山安雄『ナンミン・ロード』(講談社、一九八九年)
「混住社会論」25  笹倉明『東京難民事件』(三省堂、一九八三年)と『遠い国からの殺人者』(文藝春秋、八九年)
「混住社会論」24  船戸与一「東京難民戦争・前史」(徳間書店、一九八五年)
「混住社会論」23  佐々木譲『真夜中の遠い彼方』(大和書房、一九八四年)
「混住社会論」22  浦沢直樹『MONSTER』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」21  深作欣二『やくざの墓場・くちなしの花』(東映、一九七六年)
「混住社会論」20  後藤明生『書かれない報告』(河出書房新社、一九七一年)
「混住社会論」19  黒井千次『群棲』(講談社、一九八四年)
「混住社会論」18  スティーヴン・キング『デッド・ゾーン』(新潮文庫、一九八七年)
「混住社会論」17  岡崎京子『リバーズ・エッジ』(宝島社、一九九四年)
「混住社会論」16  菊地史彦『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、二〇一三年)
「混住社会論」15  大友克洋『童夢』(双葉社、一九八三年))
「混住社会論」14  宇能鴻一郎『肉の壁』(光文社、一九六八年)と豊川善次「サーチライト」(一九五六年)
「混住社会論」13  城山三郎『外食王の飢え』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」12  村上龍『テニスボーイの憂鬱』(集英社、一九八五年)
「混住社会論」11  小泉和子・高薮昭・内田青蔵『占領軍住宅の記録』(住まいの図書館出版局、一九九九年)
「混住社会論」10  ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』(河出書房新社、一九五九年)
「混住社会論」9  レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』(早川書房、一九五八年)
「混住社会論」8  デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』(新潮社、一九九七年)
「混住社会論」7  北井一夫『村へ』(淡交社、一九八〇年)と『フナバシストーリー』(六興出版、一九八九年)
「混住社会論」6  大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社、一九六七年)
「混住社会論」5  大江健三郎『飼育』(文藝春秋、一九五八年)
「混住社会論」4  山田詠美『ベッドタイムアイズ』(河出書房新社、一九八五年)
「混住社会論」3  桐野夏生『OUT』後編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」2  桐野夏生『OUT』前編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」1