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古本夜話464 井上友一郎、野田誠三、野田書房

井上友一郎の「絶壁」のことを書くために、彼の自叙伝ともいえる『泥絵の自画像』(エポア出版)も読み、これまで知らなかった事実を発見したので、続けて記しておこう。

それは本連載215でふれた野田書房の野田誠三に関する事柄である。私は初版本や限定版などについて、まったくの門外漢だが、それでも野田書房の本は三冊ほど持っている。それらは偶然入手した瀧井孝作『折柴随筆』とモルナアル『ドナウの春は浅く』(鈴木善太郎訳)、及びほるぷ出版が復刻した『風立ちぬ』で、これらの三冊だけでも野田書房の造本の美しさをうかがうことができる。
『折柴随筆』 『ドナウの春は浅く』 風立ちぬ

『折柴随筆』は昭和十二年十二月発行の普及版第二刷だが、濃い藍に白地で題名と著名がくりぬかれ、端正な文字組と相俟ってシックな佇まいの一冊となっている。しかもこの一冊だけではあるけれど、奥付に記された印刷者名は赤塚三郎で、彼は野田書房の仕事を引き受けたことがきっかけとなり、その後赤塚書房を立ち上げたのではないだろうか。野田書房ほど著名ではないが、赤塚書房も文芸書出版社として知られている。

赤塚書房のことはともかく、野田誠三についての知識は鈴木徹造『出版人物事典』に示されたデータを越えるものではなかった。つまり早大仏文科卒後、昭和八年に二十代前半で野田書房を創業、堀辰雄の『美しい村』を処女出版し、様々な限定版、「コルボオ叢書」、随筆雑誌『三十日』を刊行し、十三年四月に『風立ちぬ』を最後の出版とし、五月一日に二十八歳で自殺したというものだった。
出版人物事典

その野田が井上の『泥絵の自画像』に出てくるのである。井上は昭和五年に上京し、早稲田の学生の同人誌『換気筒』を読み、自分も参加したいと思い、奥付に目を通した。すると発行人は野田誠三で、小石川林町の発行所を訪ねていくと、そこは彼の家だった。野田が編集長で、彼の家で月一回編集会議が開かれ、当時の井上は劇作家を志していたことから、戯曲を書いて持ちこんでいたが、野田は長い戯曲の掲載を渋り、井上に小説を書くように勧めた。

そこで井上は処女作「森村公園」を書き上げる。この三十枚の短編は野田の推奨を得て、『換気筒』第五号の巻頭に掲載され、川端康成文芸時評で注目すべき新人の作品という紹介に及んだ。野田の勧めと川端の時評を受けなければ、自分が小説家になっていたかどうかわからないと井上は述べている。

この川端の時評は井上だけでなく、同人たちの励みになったのだが、同人が増えたことで、文学観や同人誌の運営をめぐって、野田に対する不満が内部から上がり、井上を編集長にする動きが起こり、圧倒的多数の投票で井上が編集長に選ばれてしまった。それについて井上は書いている。

 他の同人はとも角、野田は私の小説を初めて高く評価してくれた男である。私自身、彼に対する不満や私怨はなかった。逆に、感謝の気持の方が大きかった。仲間達の声で、ついに私は野田と対決するはめになってしまったのである。

これ以後の野田に対する言及はなく、野田がそのまま『換気筒』の同人であり続けたかはわからない。しかし去ったと考えるほうが妥当であろう。

紅野敏郎『昭和文学の水脈』講談社)の中に、「仏、独文学者と昭和十年前後」と題する一章があり、そこで『ヴァリエテ』という同人誌が取り上げられている。実はその編集者が野田なのである。紅野の解題を引こう。

 『ヴァリエテ』は、昭和八年五月一日、北園克衛の新しい意匠によって飾られ、のちの野田書房主、野田本で著名な野田誠三を編集長とし、東京神田一ツ橋通町のフランス書籍直輸入を専業とする三才社よりその第一号が出ている。しかも印刷所が、これまた昭和十年代の作家・評論家と深いかかわりを持つ、印刷所から生い立った赤塚書房―それが当時はまだ赤塚印刷所(中略)という事実も、偶然とはいえ、縁は不思議なところで結ばれている。(後略)

やはり『折柴随筆』の印刷者赤塚三郎が赤塚書房を立ち上げたと見て間違いないだろう。それに紅野の記述はこの時代の文学環境を垣間見せている。出版資本と異なる場において、後の野田書房、フランス書輸入の三才社、印刷所を兼ねる赤塚書房が連携し、リトルマガジンが生み出されたことを示唆している。『ヴァリエテ』の創刊号目次の掲載は差し控えるが、早大仏文科の学生を中心とした研究、翻訳、詩、小説などからなる総合文芸誌をめざし、創刊されたと考えられる。

そして第五号からは発行所が三才社から野田書房に移行し、執筆者たちも早大仏文科のメンバーから、小林秀雄堀辰雄といった野田書房の著者や訳者たちへと変わり、「後記」に野田書房独立の言葉や通信が掲載され、野田書房の文芸誌的な色彩を帯びることになる。つまり野田書房は『ヴァリエテ』の創刊をきっかけにして始まり、限定版などの出版活動にのめりこんでいったのだろう。しかし最終号に当たる第七号を見た紅野は、野田の完全な采配による編集で、「独裁者、専制君主のそれに近いとすら感じられる」との印象を述べている。おそらく『換気筒』も同様であり、それゆえに編集長解任に至ったのだろう。そして若きにおける自殺も、そのような性格に起因しているように思われる。

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