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古本夜話466 東京文芸社の富田常雄『春の潮』

本連載463の井上友一郎の『絶壁』ではないが、青山虎之助をモデルとする小説も書かれているので、それも紹介しておくべきだろう。

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その前に私的記憶にふれてみたい。昭和三十年代の桃源社や東方社や東京文芸社の本はとても懐かしい。私は少年の頃から時代小説が好きだったこともあり、その頃はまだ街の片隅にあった貸本屋で、よく借りて読んだ。山手樹一郎や角田喜久雄を始めとするそれらの小説は、当時の東映や大映の映画と相通じていて、泥臭さはあるのだが、ささやかな慰安をもたらす物語が多かった。主人公の浪人の住む下町の長屋は貧しい暮らしながらも心温まる共同体で、正義は必ず勝ち、報われていた。そのような物語群が貸本屋につまっていたのは、読者の希望が投影されていたためなのであろうか、それとも戦後特有の暗さと孤独から逃避するための物語が必要とされていたからなのだろうか。

それにしてもあらためて調べてみると、前述の三社だけでも多くの単行本や叢書の他に、いくつもの全集や個人選集が出されているとわかる。桃源社は『昭和大衆文学全集』『新撰大衆小説全集』『山手樹一郎選集』『山手樹一郎選集』『角田喜久雄長編小説選集』『源氏鶏太青春小説選集』『宮本幹也選集』、東方社は全五十巻に及ぶ『新編現代日本文学全集』、東京文芸社は『富田常雄選集』『角田喜久雄長篇自撰集』『金田一耕助推理全集』などにわたる多くのシリーズを刊行している。
山手樹一郎選集『山手樹一郎選集』

したがって昭和三十年代にはこの三社だけでも、大衆小説出版のかなりのシェアがあり、文芸書出版社の一角を占めていたと推測される。挙げた以外にもまだ全集や選集があるだろうし、単行本の点数からすれば、講談社や新潮社をしのいでいたといってもいいかもしれない。この三社は主として貸本屋市場に向けて出版していたと考えられるので、貸本屋を通じて膨大な読者層をつかむことに成功していたのであろう。だが三社ともいつの間にか消滅してしまい、例によって社史も全出版目録も残されていないために、これらの貸本屋向け大衆小説の全貌は不明のままで、それでしか読めない多くの作品が埋もれてしまっている。その一端が末永昭二の『貸本小説』(アスペクト)や高野肇『貸本屋、古本屋、高野書店』(論創社)に紹介されているにしても。
貸本小説 貸本屋、古本屋、高野書店

東京文芸社の『富田常雄選集』全十五巻がまさにそうであり、かつては新潮文庫に収録されていた『姿三四郎』ですらも絶版になって久しい。この柔道教養小説は黒澤明の映画を生み、戦後のテレビドラマ、美空ひばりの歌「柔」へと派生し、バロン吉元の『柔俠伝』シリーズへと引き継がれていった物語祖型というべきものだったのに、もはや読者も途絶えてしまったのであろう。
姿三四郎(新潮文庫版) 柔俠伝

実はこの富田の選集に『姿三四郎』はもちろんだが、新生社の青山虎之助をモデルとした小説も収録されている、それは第二巻所収の『春の潮』である。『回想の新生』の「『新生』出版年表」を見ると、富田は新生社の雑誌『東京』や『花』に小説を掲載しているので、青山と面識があったことから、モデルにしたと思われる。『春の潮』は夏子と冬子という二人の姉妹をめぐって、大学を同期とする筈見、門田、川辺の三人が展開する恋愛を中心にすえた小説である。二十五歳の夏子は日本舞踊を年若い娘たちに教える師匠で、その仕事にふさわしい古風な性格の持ち主だが、十九歳の冬子はアプレ・ゲールの典型的な娘として設定され、出版社に勤めている。その出版社も社長も、新生社と青山がモデルとなっている。社長の門井は次のようなプロフィルを与えられている。

 社長の門井道之助は三十を越えたばかりの若さである(中略)。
 門井道之助は株屋のせがれで、終戦後、この銀星社を興して、綜合雑誌や単行本の出版をやり、女性雑誌『ニュー・ルック』で当てたが、現在は他のものをやめて、『ニュー・ルック』一つだけを出して居た。世間では銀星社の頽勢を云々していたが、冬子から見れば自家用車を持ち、服装は流行の尖端を行くこの若い社長は畏敬の的であつた。そして、彼について、女性関係のうわさを聞くことも、決して嫌悪を呼び起さなかつた。むしろそれは当然であり、けんらんたる社長生活の一特徴であると思えた。

このような門井は冬子を弄んで妊娠させ、捨ててしまう卑劣な男として描かれ、銀星社の破産に至るまでが克明にたどられている。『春の潮』にあって、門井は一貫して、「ブルジョワ」「カンニングの名手」「漁色家」「色魔」「下劣な性格破産者」「山師」と悪しざまに呼ばれている。また作家に原稿料を払わないのに待合やキャバレーには連れていくといった話も書きこまれている。

『春の潮』は新生社倒産直後の昭和二十四年七月から翌年にかけて『東京新聞』に連載され、翌年には中村登監督、高峰三枝子主演で、松竹によって映画化されていることもあり、この小説の連載と映画化によって、新生社と青山虎之助の悪しきイメージが確立されたと思われる。富田が永井荷風の信奉者の青山と合わなかっただけでなく、青山の周辺には彼をいかがわしく見なす人々が多く存在し、それが倒産によって一挙に吹き出し、『春の潮』の門井の人物造型に流れこんだのだろう。その一面も否定できないが、現在まで及んでいる新生社と青山に対する誤解は、この小説と映画によって定着したと考えるしかない。それらを払拭しようとして、青山は『回想の新生』を編んだのではないだろうか。

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