出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話467 新田潤『わが青春の仲間たち』と『妻の行方』

前々回既述しておいたが、新生社は昭和四十年代に青山虎之助によって再建されたようなのである。『回想の新生』の中の一ページに「その後新生社は終ったと伝えられていたが、新生社は健在である。現在、月刊誌『人間連邦』と『味の手帖』を発行している」という一文が見え、両誌の創刊号の表紙、及び『美食と共に』の書影が収録され、青山の近影写真も掲載されている。さらに『美食と共に』の奥付にある新生社の港区新橋の住所が、『回想の新生』の編集発行の同復刻編集委員会とも同じであることからすれば、この復刻も実際には青山と再建された新生社によって担われていたことになる。

そのように考えてみると、戦後のわずか数年で倒産した出版社の回想の一冊としては異例なほどの充実度がわかる。多くの写真を配置した資料的価値が高い内容、多彩な当時の執筆者たちの寄稿、これまた充実極まりない福島鑄郎による「新生とその周辺」「『新生』出版年表」、『新生』や『花』の総目次などは、青山の資料提供と編集製作費の負担があって、初めて実現したものと思われる。それに何人かの寄稿は昭和四十一年の『新生』掲載となっているので、期間はわからないが、『新生』も一時復刊されたのであろう。

この『回想の新生』において、その後の青山が商事会社を立ち挙げ、ビル分譲建設業に従事しているという記事の収録があり、新生社時代を次のように回想している。

 出版界くらい泥臭い非文化的な世界はない。およそその使命と相反する人間がやつているということが、つくづくわかつた。(中略)こちらは近代文学の洗礼を受けた文学青年のセンスをもつてやつたんでしよう、それがすつかり商売人連中にしてやられましたよ。

だがこのようにいいながらも、青山は出版者としての復帰を試みていたと考えられる、これも書影を見ただけだが、青山は『紅燈手帖』なる一冊を昭和三十一年に創芸社から出版している。この創芸社は八雲書店の中絶した『太宰治全集』を昭和二十七年から文庫本のかたちで刊行した版元で、青山が関係していたのではないだろうか。

そしてさらに昭和四十二年刊行の新生社の本がある。それは新田潤の小説集『わが青春の仲間たち』で、発行人は大原敬治、住所は台東区蔵前と奥付に記されていて、それらからは青山との関係を探れない。しかしまったくの部外者が出版社名として新生社を名乗ることは考えられないので、何らかのつながりがあると見なすべきだろう。もしそうであるとすれば、青山は一貫して出版業界との接触を保っていたことになる。おそらく栄光の出版者であった記憶が忘れられなかったのではないだろうか。

そうした青山の思いとは逆に、新田潤はもはや忘れられてしまった作家といっていいし、多くの著作にもかかわらず、文庫などにも収録されていないので、その名前も記憶している読者は少ないだろう。彼は高見順の文学仲間で、『日暦』の同人だったことから、高見の日記や回想によく出てくる作家である。その新田の小説『妻の行方』がもう一冊手元にあり、それは『新生』と同時代に刊行され、当時の雑誌と編集者が介在する、同じような出版環境の中で生み出された長編小説だと考えられる。四六判ザラ紙の二百七十余ページ、定価は六十円、発行者は米田圓で、昭和二十二年九月に隅田書房から出版されている。
(『妻の行方』、東方社版)

短編集『わが青春の仲間たち』と異なり、『妻の行方』は戦時下の作家夫婦の関係をテーマにした長編で、まさしく私小説というべきものだ。敗戦が迫りつつある状況下においても、独自に存在する夫婦関係をリアルに浮かび上がらせ、謎めいた妻の行動と疑心暗鬼に駆られた夫の右往左往をコミカルに描いた好編のように思われる。作家の「私」は家に妻を残し、報道班員として九州の特攻基地に派遣されていた時、東京の空襲で自宅が焼かれてしまったことを新聞で知る。妻の安否が心配で手紙を書くが、妻からは何の返事もこない。妻といさかいをしたままで発ってきたこともあり、出入りの編集者と妻の関係を疑い始めた。そこにようやく手紙が届き、家も焼かれてしまった機会に「私」と別れ、養父母のところに戻ると書かれていた。それから「私」は東京に戻り、妻の行方を探し歩き、明らかに高見順夫妻がモデルであろう間島夫婦を仲立ちにして、とりあえずの修復にこぎつけるまでを、息苦しいまでに描き続けている。「私」の揺れ動く心がザラ紙につまった活字からよく伝わってくる印象を受ける。

そしてまた興味深いのはこの小説の出版事情で、新田は自分の知らない間に、この小説を望外に支持する文明社の伊東正夫、同志社の小林圭四郎、隅田書房の唐澤正雄の三人が出版を進めたと「あとがき」に書き、これらの各章が『文明』『創造』『肉体』に発表されたとの説明が添えられている。同志社は婦人生活社の前身、『文明』は田宮虎彦、『創造』は池澤丈雄、『肉体』は柳沢賢三を編集者とする、『新生』と同時代の雑誌で、これらの出版人脈が重なり合って隅田書房が生まれ、『妻の行方』が刊行されたことになる。このようにして出版社が生まれ、このようにして小説が刊行される、そのような時代でもあったことを『妻の行方』は伝えている。

[関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら