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古本夜話469 田宮虎彦と『文明』

前々回新田潤『妻の行方』の「あとがき」のところに、文明社の伊東正夫の名前が出てくることを既述したが、文明社とは田宮虎彦が昭和二十一年二月の創刊した『文明』の発行所である。

田宮は自動車修理工場などを営む友人から資金援助を受け、『文明』創刊に至っているけれども、まだ作家としては著名ではない。だが田宮は学生時代の『帝国大学新聞』から、同人誌の『部屋』『日暦』『青年芸術派』『文芸思潮』、武田麟太郎の『人民文庫』に至るまでの長い編集歴があったので、『文明』はそれらの経験と人脈が交差し、結集して刊行されたと考えられる。

敗戦は新しい雑誌と文学の始まりを告げるものだった。田宮は「火花の時代」(『文学問答』所収、近代生活社)の中で、敗戦の数日後『文明』の企画が立ち上がっていたと述べ、「戦争にくたびれきつていた人たちは、ふかし薯や握り飯を要求したように、小説を要求した」と書いている。作家たちもその要求に応じるかのように、多くの小説が創刊、復刊された雑誌に発表され始めた。田宮は多くの雑誌名を列挙し、次のように記している。

 これらの諸雑誌には、月々、おびただしい数の小説が発表されはじめた。それは、堰をきつて流れ出た洪水のような感じであつた。かわききつていた河原は、たちまちその洪水にうずめつくされた。

福島鑄郎編著『[新版]戦後雑誌発掘』洋泉社)収録の『文明』創刊号の目次を見ると、巻頭に丹羽文雄の小説「巻紙と暗殺」が置かれている。『文明』も昭和二十三年三月で終刊となるまでに、丹羽以外にも多くの小説を掲載したと思われる。田宮は『文明』の編集に携わるかたわらで、他の雑誌にも小説を発表し、作家生活にも入っている。だから彼は敗戦後の雑誌の疾風怒濤時代をくぐり抜け、その中から作家として立ち上がってきたのである。『文学問答』の巻末に収録された「作品年表」と文学全集などの他の年譜を参照し、その時期の作品と掲載誌をリストアップしてみる。

昭和二十一年  「天人」(『サロン』 版元不明)
        「かるたの記憶」(『新人』 小学館
昭和二十二年  「江上の一族」(『風雪』 風雪社)
        「生きるいのち」(『文化展望』 三帆書房)
        「霧の中」(『世界文化』 日本電報通信社)
昭和二十三年  「此れひとすじ」(『現代人』 隅田書房)
        「三界」「旅人」(『明日』 大旗社、交友社
        「囚人」(『文芸時代』 新世第社)
 「桃花源」(『社会』 鎌倉文庫
        「弁天地」(『文芸首都文芸首都社)
        「物語の中」(『新小説』 春陽堂
        「天路遍歴」(『日本小説』 大地書房、日本小説社)
昭和二十四年  「いたち」(『個性』 思索社
        「落城」(『文学会議』 講談社
        「落城問答」(『女性改造』 改造社
        「異母兄弟」(『風雪』別冊)
        「梟首」「落人」(『世界文化』)
        「初恋」(『素直』 赤坂書店、留女書店)
        「末期の水」(『世界』 岩波書店
        「土佐日記」(『新小説』)
        「足摺岬」(『人間』 鎌倉文庫
        「琵琶湖疎水」(『女性改造』)
        「ダンス」(『文芸公論』 丹頂書房)

これらの雑誌はほとんどが戦後になって創刊されたものであり、『世界』を除けば、すべてが短命で終わっている。全雑誌に言及できなくて残念だが、新田潤の『妻の行方』の版元の隅田書房が『現代人』を発行していたとわかる。『新生』や新生社ほどではないにしても、それぞれの雑誌や出版社にも戦後の始まりのドラマが沸騰していたにちがいない。今となっては全貌を再現することは不可能だが、やはり福島の『雑誌に見る戦後史』に掲載されている様々な創刊号の表紙を見ると、戦後出版業界が新しい雑誌によって開幕した事実が伝わってくるようだ。それは『文明』の田宮だけでなく、多くの作家たちが発行者や編集者として関わっていたのだ。そして田宮の作品の多彩な掲載誌からわかるように、彼はそれらの雑誌とまさに併走していた。またさらに昭和二十二年には『素直』の赤坂書店から『或る青春』、二十三年には沙羅書房から戦後のデビュー作ともいえる『霧の中』を刊行しているので、戦後創立の出版社とも共に歩んでいたことになる。著者と雑誌と出版社がこれほどまでに親密な時代はなかったように思える。

それからこれは『日本古書通信』(平成十八年五月号)の松本八郎の連載「書物のたたずまい」に教えられたのだが、文明社から「文芸叢書」という単行本シリーズが五冊刊行されている。それらは新田潤『煙管』、井上友一郎『竹夫人』、渋川驍『龍源寺』、津村秀夫『青春の回想』、森本薫『女の一生』で、すべての装丁は花森安治によっている。花森は田宮とともに『帝国大学新聞』に参加し、昭和二十三年に『暮しの手帖』を創刊している。戦後創刊の雑誌と出版社はこのような人脈が交差し、それが百花斉放の雑誌や出版社の簇生を支えたのである。「文芸叢書」はまだ一冊も見ていないが、いずれ出会えることを期待しよう。

  
なおその後、「文芸叢書」の書影を掲載したブログ「花森安治の装釘世界」を見つけたので、そちらも参照されたい。

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