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古本夜話475 尾崎千代野編「尾崎久彌小説集」

もう一編、大越久子の『小村雪岱―物語る意匠』に教示されたことを書いてみる。本連載5556で尾崎久彌に関してふれてきたけれど、尾崎の『綵房綺言』や尾崎編『洒落本集成』(いずれも春陽堂)が、雪岱の手になる装丁だと気づいていなかった。これは長谷川伸の『白夜低唱』と異なり、本がかなり痛んでいたために装丁がはっきり確認できなかったことにもよっている。

小村雪岱―物語る意匠 [f:id:OdaMitsuo:20150112140552j:image:h120]『洒落本集成』
ただここではそれらに言及するつもりではなく、その事実に触発され、数年前に名古屋の古本屋で入手した尾崎千代野編『尾崎久彌小説集』を思い出したので、それを取り上げてみたい。これは尾崎の三周忌記念として、尾崎夫人によって編まれ、昭和四十九年に愛知県郷土資料刊行会から出版されたもので、地方における自費出版物と見なせるし、この本自体の存在を知らない読者もいると思われるからだ。私にしても古本屋で見つけるまで、それが刊行されていることを知らなかった。その後若狭邦男が『探偵作家発見100』(日本古書通信社、二〇一三年)の中で、私と同じように名古屋の古本屋で入手し、その書影を掲載しているが、作品内容に関しては取り上げていない。
[f:id:OdaMitsuo:20150112134237j:image:h110]『尾崎久彌小説集』 探偵作家発見100

この『尾崎久彌小説集』は死後発見された「若き頃の小説類」十編ほどに、短歌や小唄、手紙や断片なども収録した一冊で、純然たる小説集ではないし、小説にしても、「個の羅列」のように「大正八年十月名古屋新聞連載」と発表が明記されているものもあるが、大半は習作として未発表のままに終わったと思われる。尾崎は本連載56「尾崎久彌と若山牧水」「で既述しておいたように、明治末期に東京において牧水ときわめて親しい関係にあったが、尾崎が名古屋へ戻ったことで、牧水とも疎遠になってしまった。

そのような時期が大正時代であり、尾崎は意識的に歌に訣れを告げるような気持で、これらの小説類を書き出したのではないだろうか。そしてそのかたわらで、『江戸軟派雑考』にまとまる研究を進め、小説の習作時代から脱け出し、江戸軟派文学、文化研究者の道をたどっていったと思われる。そのように考えてみると、これらの小説が書かれた大正時代前半との符号が合うのである。それを冒頭の「悪の追憶」の「序」にうかがうことができる。それは「大正二年六月上旬」の日付で記されている。
江戸軟派雑考

 自己本然の心根と社会地位の上から、知らぬ間に悪から飜然善人に域に向はむとしつつある自分の此頃のことは、混沌として書く余裕を持たぬ、過去のことを書く、旧き悪の跡を書く、悪の美しい花に実った腐れた果の匂をこの篇に書きつづけてゆく、頃は今から三四年前自分の二十一二才の記事、今の事も書く、
 歌を離れた自分には今後は散文より書けさうもない、これで散文には二度目の処女作である。

この「悪の追憶」は「貞操」と「めぐりあひ」の二つの短編からなり、一度目の作品は不明であるけれど、「貞操」を「二度目の処女作」として、尾崎の小説のコア、もしくは特色を見てみよう。この短編はある料亭で会合があり、その席で一人の男=「私」が語り出した話というイントロダクションから始まっていく。

「私」が一番罪を犯したと思われるのはある一人の女との関係で、その女は春子といい、親友Hの妻だった。Hは中学の上級生の友達で、彼と「私」が一緒に訪ねたことから、春子と知り合った。「私」は十七八、春子は二十五六で、Hはかなり離れた地方新聞の仕事に携わっていたので、日曜毎に帰ってくるだけだった。春子は「脂の乗る盛り」で、髪は「漆黒の美しさ」であり、「若い客をそらさぬチャームの瞳と唇」を備えていた。しかしその蒼白い顔には「見るからにヒステリカルな所」があった。

そんなわけで、「私」は春子のところに通い始め、それは中学を終わるまで続いた。それから「私」は上京し、大学に入ったが、帰省して春子の家にいくと、出戻ってきた妹の静子がいた。静子は姉と似ておらず、「芸者」のような「淫蕩」な感じがあり、「私」はすっかり魅せられ、「初めて知る恋愛の快味に魂」を奪われてしまった。東京に帰った「私」にも静子は手紙を書いてきたが、静子は病気になり、「私」のほうは大学を卒業し、戻ってきたけれど、彼女は結核で死んでしまった。それでも相変わらず春子とも交際していたが、Hと別れたことで、二人の関係はエスカレートし、夜に密会を重ねるようになる。

そして「私」は入営の日を迎える。一年後に除隊してみると、春子は子供を生んでいた。それは「私」の子供に他ならなかった。Hはそれを知らず、春子と復縁した。それから「私」は中学教諭になり、今の妻と結婚した。それはこの「半生の悪」と「吾が罪」を隠すためだった。このようにして「私」の告白は終る。これは確認できないが、尾崎が名古屋の熱田で短歌誌『八少女』を出していた当時の実話にかなり基づいていると思われる。つまりいってみれば、日露戦争後の所謂自然主義の台頭に伴う島崎藤村の『破戒』や田山花袋の『蒲団』の系統上に成立する「告白」小説と見なせよう。おそらく大正時代には尾崎のみならず、多くの文学青年たちがこのような小説を試みていたにちがいない。尾崎もその一人だったのだ。

最後になってしまったが、『尾崎久彌小説集』の序文にあたる「比類なき江戸軟派大系」は本連載84などの林美一が寄せ、「序に代えて」は大正八年創刊の『胎動』の同人仲間だった岡戸武平が書いている。岡戸もまたそのような文学環境の中にいたのである。岡戸については次回にふれることにする。

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