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古本夜話476 岡戸武平『続・筆だこ』

前回『尾崎久彌小説集』の「序に代えて」を岡戸武平が書いていることを既述した。なおもうひとつの序を記し、表紙と装丁を担当しているのは、「名古屋豆本」の刊行者亀山巌である。彼のことは別の機会に譲ることにして、その岡戸の著書も同じ名古屋の古本屋で入手してきたのである。それは『続・筆だこ』で、昭和四十九年に中部経済新聞社から刊行されていて、入手した一冊には「謹呈 高木一郎学兄 著者」という献辞がしたためられていた。
『尾崎久彌小説集』
岡戸による「御免・前口上」によれば、『続・筆だこ』は『中部経済新聞』の文化面に掲載された「猥雑な随筆」である「筆だこ」をまとめて二冊目ということになる。百編の連想的な随筆によって構成され、岡戸のかつての東京での履歴をうかがわせる随筆も含まれている。それは「単身赴任者」という一文に顕著で、岡戸は小酒井不木の助手を務めていて、不木が昭和四年に四十歳で亡くなり、岡戸は三十三歳だった。「これを機会に私は居を東京に移して、改造社の発行になる小酒井不木全集(十七巻)の編集にあたり、同時に博文館編集部に入って『文芸倶楽部』の編集員となった」とある。

これには若干の説明が必要と思われるので、江戸川乱歩の『探偵小説四十年』などを参照し、補足しておく。不木は医学者だったことから、乱歩のいう専門知識を駆使して「医学的犯罪小説」や評論『犯罪文学研究』国書刊行会)などを発表していた。また乱歩の処女作「二銭銅貨」を最初に認めたばかりか、春陽堂からの第一創作集『心理試験』の出版も不木を通じてで、これも乱歩のいう「名序文」で巻頭を飾ってくれたのも不木に他ならなかった。
犯罪文学研究

そのような不木との関係から、昭和四年から五年にかけて、乱歩は『小酒井不木全集』の出版の衝に当たることになった。この全集企画に対して、改造社春陽堂から同時に申し込みがなされ、乱歩の気持としては不木の著書を出して縁故のある春陽堂よりも、遺族の印税収入のことを考え、派手で大部数出版が可能な改造社のほうに傾いていた。しかし春陽堂もせり合うようなかたちになり、乱歩も板ばさみになってしまった。そこで岡戸の名前が出てくる。

 (前略)仕方がないので、当時名古屋にいた岡戸武平君に電話をかけて小酒井氏の遺族の人々の考えを聞いてもらったりした。
 遺族の人々も改造社を希望された。(中略)私はわざわざ春陽堂へ出向き、その事情を話して、手を引いてくれるように頼んだ。係りの島源四郎君は涙ぐんで残念がった。(中略)
 改造社からの出版は予想以上に成功した。最初全八巻と発表されていたのを、売行きがおちないので、幾度も増巻を重ね、ついに十七巻まで増して、もう全く入れる原稿がなくなって完結した。各巻の編集、厚生その他の事務は、一切岡戸武平君にお願いした。岡戸君は小酒井氏の友人であり、秘書のような立場にあった人故。この仕事には最も適任者であったからだ。

また乱歩と岡戸の関係も付記すれば、乱歩がかつて大阪時事新報に在籍した時、岡戸は年少だったけれども、机を並べた先輩であった。また不木と国枝史郎が提唱した合作組合の「耽綺社」のことで名古屋を訪ねた際に、岡戸が不木の著述の手伝いをしているとわかり、旧交を温めた。それで、『小酒井不木全集』の仕事を頼むことにもなったのである。それが機縁となって、岡戸は博文館に入社し、森下雨村の下で働いたが、森下の退社と同時に博文館を辞め、海音寺潮五郎などの『文学建設』同人として、作家活動に携わった。乱歩は岡戸に関して、「戦争末期に、郷里名古屋に疎開し、そのまま名古屋に定住して、現在は中京文士の頭目の如き立場にあり、新聞やラジオの仕事で多忙である」と結んでいる。

このような岡戸の軌跡を『続・筆だこ』の「著者略歴」に照らし合わせてみると、明治三十年愛知県知多郡に生まれ、名古屋新聞を経て、大阪時事新報社へ転じ、結核のために退社し、療養中に不木と知り合ったのではないだろうか。この「略歴」と並んで「岡戸武平著作目録」が掲載され、それは昭和十六年の闘病体験記『新書闘病術』(学芸社)から始まり、時代小説『延元神楽歌』と『紅筆斬奸状』(いずれも奥川書房)、戦後になってからの推理小説『人を呪へば』(パレス社)、『殺人芸術』(波津書房)に続き、昭和三十年代に入ると、中京地方の地誌、企業家の伝記、会社の社史が大半を占めている。これが岡戸の本意であったかはわからないが、そのことを称して乱歩が「中京文士の頭目の如き立場」と述べていたのだろう。
 

なお岡戸については若狭邦男の『探偵作家追跡』『探偵作家発見100』(いずれも日本古書通信社)でも言及されている。そこで岡戸が乱歩の『蠢く触手』の代作者であったこと、昭和五十八年自伝『全力投球―武平半生記』が出されていること、戦後の名古屋の探偵小説のことなどにふれている。また『日本ミステリー事典』にも岡戸は立項され、没年は昭和六十一年とされているので、岡戸は『続・筆だこ』から、これは未見だが、先述の自伝も残し、九十歳の長寿を経て亡くなったことになる。
探偵作家追跡 探偵作家発見100 蠢く触手日本ミステリー事典

またいうまでもなく、乱歩の回想に出て来る春陽堂の島源四郎は、のちに本連載463などの新小説社の創立者と同一人物である。

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