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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話478 実録文学研究会、満月会、国防文芸連盟

『文学建設』に至るまでにはその前史があるので、それを書いておこう。近代出版史を通じて見るのであれば、昭和円本時代に平凡社からともに刊行された『現代大衆文学全集』『新興文学全集』によって、大衆文学とプロレタリア文学が広範な読者を獲得するかたちで成立したと考えられる。そしてこれ以後、両者の多くの作品が様々な出版社から刊行されていくことになる。

現代大衆文学全集(『現代大衆文学全集』第22巻、平山蘆江集)

しかしその過程で、日本無産者芸術連盟(ナップ)の昭和三年創刊の機関誌『戦旗』において、中野重治や蔵原惟人たちにより、二年間にわたって「芸術大衆化論争」が繰り広げられた。それを要約すれば、労働者や農民を読者とするプロレタリア文学は大衆文学の形成、技法、表現を取り入れるべきか否かをめぐる論争であった。この論争に深くふみこまないが、プロレタリア文学は大衆文学に接近し、その文法に則った作品も生まれようとしていた。この論争に関しては尾崎秀樹の『大衆文学』(紀伊國屋書店)が詳しい。
大衆文学

そこにナップ創立時に加盟し、講談社の『富士』や『講談倶楽部』においても大衆文学の新人作家であった貴司山治が、プロレタリア文学の大衆化、プロレタリア大衆文学を提唱するに至る。そしてナップの後身である日本プロレタリア作家同盟(ナルプ)が昭和九年に解散したのち、貴司はプロレタリア大衆文学の実践と模索を試みる研究会を発足させた。それは実録文学研究会で、雑誌『実録文学』を創刊し、その同人は木村毅、笹本寅、片岡貢、海音寺潮五郎、植村清二、田村栄太郎、岩崎栄などだった。植村清二は直木三十五の弟で、『万里の長城』(中公文庫)、田村栄太郎は『やくざの生活』(雄山閣)などの著作のある歴史学者である。片岡貢や岩崎栄は各種文学辞典に立項されておらず、プロフィルが定かではないけれど、「神保町系オタオタ日記」によれば、片岡は報知新聞学芸部在籍の時代小説家とされ、また岩崎は戦後になって『徳川女系図』(徳間書店)などのシリーズ物を書いていたようだ。

やくざの生活

それはともかく、二人の歴史学者が参加していることからわかるように、貴司と実録文学研究会がめざしたのは新歴史小説の確立であり、それは党派性を排除し、正確な事実を見定め、それぞれの時代の記録を書き残すことにあった。

このような動きはプロレタリア作家たちにも見られ、同時代に藤森成吉の『渡辺崋山』(昭和十年)、本庄陸男の『石狩川』(同十三年)、江馬修の『山の民』(同)として刊行され始めていた。
石狩川(新日本出版社版)山の民(春秋社版)

また一方で、昭和八年に本連載463で挙げた三田村鳶魚の『大衆文芸評判記』(中公文庫)が出され、大衆文学の一分野を形成しつつあった代表的な時代小説に対し、江戸時代の専門家からの詳細な時代考証によって、痛烈な批判が加えられた。この一冊はプロレタリア時代小説を書いていた中沢圣夫、村雨退二郎、綿谷雪、竹田敏彦たちに深い反省と影響を与え、彼らと鳶魚が交流し、鳶魚から話を聞く満月会が開かれるようになった。『三田村鳶魚全集』第二十七巻所収の昭和十年代の日記を参照すると、満月会は笹本寅を世話人として、同十二年から始められ、十八年まで続いたようで、その筆記は柴田宵曲が務めている。だがこの満月会筆記は刊行されていない。鳶魚の日記には『文学建設』の編集兼発行人の松崎与志人の名前も記され、彼もまた満月会のメンバーだったとわかる。
大衆文芸評判記『三田村鳶魚全集』第二十七巻

これまで見てきたように、昭和十四年に発足した多彩な四十二人に及ぶ『文学建設』同人は貴司山治や歴史書の植村や田村を除く実録文学研究会の旧会員、鳶魚を囲む満月会のメンバーだったプロレタリア時代小説の作家たちが加わっていた。これにどのような経緯があってか不明であるが、前回記したように、乾信一郎、三木蒐一、岡戸武平、玉川一郎といった博文館出身のユーモア作家や探偵作家たちも参加し、奇妙といっていいと思われる大世帯を形成することになったのである。戸川とその作品については本連載279で既述している。

しかしそのかたわらで、国家総動員法が公布され、大政翼賛会が結成されていく流れにおいて、彼らの多くが戸川貞雄を会長とする国家統制による文化支配を支持する、最も急進的な国防文芸連盟に加入し、国策小説=国民文学を書き、推進する、プロレタリア的ならぬ大衆小説家へと変貌していく。

そして戦後を迎え、カストリ雑誌や倶楽部雑誌の創刊があふれる中で、これもまた彼らの多くがそこに掲載される大衆小説の書き手となり、また貸本屋の売れっ子作家になっていったように思われる。

前回その明細を記した東方社の『新編現代日本文学全集』の著者たちのラインナップこそは、彼らのそのような軌跡を物語っている。だが『文学建設』以後の動向については、彼らの誰もが語っていないように思われ、それは尾崎や大村彦次郎の『時代小説盛衰史』(筑摩書房)も同様である。

そのこともあってなのか、貴司山治は戦後になって、村雨退二郎、木下二介、稲垣史生、南条範夫、大隈三好、佐賀潜、木村荘十たちとともに歴史文学研究会を興したが、昭和三十四年の村雨の死によって自然消滅してしまったという。

なお東方社については貸本向け出版社であること、発行者として大野泰子、もしくは石渡磨須子と女性であり、住所は文京区内を何度も移転していることしかわからない。東方社といえば、林達夫、原弘、木村伊兵衛たちが参加し、対外宣伝グラフ誌『FRONT』の編集プロダクションが想起されるが、何らかの関係を引きずっているのだろうか。

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