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古本夜話480 昭和十年の流行作家竹田敏彦と『涙の責任』

昭和三十年代前半に東方社から刊行された『新編現代日本文学全集』全50巻の中に『竹田敏彦集』があり、本連載477で既述した『乾信一郎集』の他に、この一巻も所持している。竹田も乾も、この全集に収録されている藤沢桓夫、菊田一夫、井上友一郎、北条誠、中野実、鹿島孝二、北町一郎、玉川一郎、摂津茂和、林二九太などと同様に、もはや現在では読まれることもなく、忘れられた作家と見なしていいだろう。
[f:id:OdaMitsuo:20150121172046j:image:h120](『新編現代日本文学全集』第45巻『木々高太郎集』)

日本文学全集の歴史からすれば、『新編現代日本文学全集』は戦後の中期における出版に位置づけられるのに、そこに収録された十人以上の作家たちがそのように分類されてしまうのであり、小出版社からの刊行、及び特異なラインナップという事情をふまえても、時代の風化に耐える普遍的な文学全集のコンセプトは解体されてしまっている。

しかしこれらの作家たちにも確実に全盛時代があり、それゆえにこそ全集収録の作家として選ばれたと想像するに難くない。例えば昭和初期から十八年にわたって『講談倶楽部』の記者と編集長を務めた菅原宏一は『私の大衆文壇史』(青蛙房)において、竹田敏彦にも一節を割いている。それによれば、竹田は早稲田の文科で、三上於菟吉、宇野浩二、沢田正二郎と同級生であり、新国劇の文芸部長を経て、『講談倶楽部』に書くようになり、実名小説や取材に基づく事件小説を寄せ、「実話作家」「際もの作家」とよばれたが、「昭和十二、三年以後の竹田さんは、最早最大の流行作家となっていた」という。その「流行作家」の状態を、菅原は次のように書いている。
私の大衆文壇史

 書くものは、すべて大衆受けをした。ことに看護婦、女工、女教師といった階層の女性や、恵まれない境遇の女性には、絶対の人気をもっていた。竹田さんは中学生のころ家が没落し、青年時代を惨憺たる環境のうちに過し、世のあらゆる辛酸をなめつくしているのである。その体験から、不幸な人々、恵まれない境遇の人々に対する同情と共感を、強い正義感をもって描き出し、その人達の行く手に、明るい燈火を点ずるのが、竹田さんの小説の行き方であった。

それならば、竹田の「小説の行き方」とはどのようなものであるのだろうか。『竹田敏彦集』に収められている、ほぼ五百ページに及ぶ長編小説『涙の責任』を読んでみることにしよう。この小説の時代背景は昭和十三、四年と推定され、まさに竹田の流行作家としての代表作と思われる。

物語は歌舞伎座における『心中天網島』の舞台の佳境の場面から始まっていて、おさんと治兵衛と小春の悲劇のクライマックスを迎えようとしていた。これは『涙の責任』の物語の行方を暗示するものだった。観客の多くは明星女学院の同窓生で、寄宿舎改築基金募集のための校友観劇会が催されていたのである。
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その帰りにヒロインの権名隆子は銀座の通りで、同窓生の話題に出た旧友の清川艶子に四年ぶりに出会った。隆子の新調した和服とコート姿に対して、艶子の服装は落莫たるもので、彼女の現在の生活を彷彿させ、隆子に舞台の小春を思い浮かべさせた。そして次のようなモノローグ的な文章が挿入され、これが竹田を流行作家ならしめた物語コード技法だと考えられるので、それを示しておこう。

 不幸な友よ! 若き日の追憶は、そこはかと限りない。もし制服の処女時代が、女の生涯の春だとすれば、その花園を戯れた二羽の胡蝶の一羽こそ、隆子にとっていつも艶子だった。学院の裏には芝生のスロープがあって、そこの欅の大木の根には、人知れず二人の名を刻んだナイフの跡が今もある筈である。それは卒業式の帰りに彫んだ、永久の交りを約束したしるしだつた。だが処女の日は短かく暮れて、間もなく、艶子は両親に秘(かく)した愛人と行方を晦ましてしまった。背かれた隆子は、失恋した人のように、毎日鬱(ふさ)ぎ暮していたが、彼女の今は人の妻である。

この記述の中に、『涙の責任』の物語の出自と行方のすべてがこめられている。物語の前提として「制服の処女時代」=「女の生涯の春」があり、「その花園を戯れた二羽の胡蝶」がいる。おそらくミッション系女学院が必然的に帯びてしまうであろう神話が背景となり、そのエデンの園にとどまり続けた隆子、そこから出奔した艶子との四年ぶりの再会によって、『涙の責任』の物語は始まっていく。「人の妻」=隆子と「不幸な友」艶子は、そのまま冒頭の『心中天網島』のおさんと小春に重ねられ、隆子の夫の悌二がやはり治平衛の役割を果たすべく登場してくることになる。艶子は男にだまされ、家出をしてカフェの女給をしながら子供を生んだが、捨てられてしまった。そのカフェ時代に艶子は結婚前の悌二と恋に落ちながら、別れざるを得なかったのである。

そして隆子と艶子の出会いは、悌二と艶子の関係を復活させ、艶子は悌二の子供を生み、隆子はその子供を引き取り、自分の子供として育てながら、自らも妊娠するに至る。女学院の神話を背景にして、ここで母物と継母物語が接ぎ木され、竹田敏彦の流行作家としての資質が完全に開花する。

竹田に先駆けて、石坂洋次郎が『若い人』によって確立したと考えられる女学院神話に加え、竹田は母物、継母の物語ファクターをそこに導入し、戦後の高度成長期にまで引き継がれ、ドラマや映画や漫画に広範な影響を及ぼすことになる。そのような三位一体の物語の典型を、昭和十年代に流行作家として定着させたのではないかと思われる。
若い人

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