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[古本夜話] 古本夜話481 摂津茂和と林二九太

東方社『新編現代日本文学全集』古書市場にも在庫が少なく、第39巻の『摂津茂和集』と第40巻の『林二九太集』は見つけられなかった。そこで図書館の相互貸借サービスを利用し、ようやく読むことができた。なぜこの二冊にこだわったのかといえば、摂津と林はまったく未知の作家で、この全集で初めて目にした名前だったし、またここで私が言及しておかなければ、もはや話題にされることもないのではないかと思われたからだ。
(『新編現代日本文学全集』第45巻『木々高太郎集』)

しかし二人は『新潮日本文学辞典』などに記載はないが、それでも『日本近代文学大事典』には立項されていて、何か救われたような気になる。その紹介によれば、摂津は慶応大学卒業後、『新青年』に短編を発表し、直木賞候補となり、ユーモア小説家として戦後も活躍、林も慶応大学中退後、懸賞脚本に応募し、岡本綺堂の知遇を得て、文筆の道に入り、劇作家と小説家を兼ねるとある。これらの既述からわかるように、摂津は『新青年』系、林は岡本綺堂系のユーモア小説家で、この二人は『文学建設』同人に名前を連ねていないけれども、その近傍にいたはずだ。それゆえに『新編現代日本文学全集』一巻に選ばれたと考えていいように思う。既述したように、この全集の特異なラインナップは『文学建設』同人と密接な関係があると考えるしかないからだ。
日本近代文学大事典

それらはともかく、実際にこの二巻を読んでみると、それでも二作ずつ収録されている摂津と林の作品は紛れもなくユーモア小説に他ならず、昭和戦前から戦後の高度成長期前半あたりまで続いていたユーモア小説の時代を彷彿させる。またそのユーモアは戦後の同時期の映画にも表出していたものである。摂津は『颱風息子』『困った門』、林は『友情報国』と『東京よいとこ』がその一巻に収録され、『颱風息子』はノンシャランな中学生の日常、『困った門』は没落した貴族の暮らし、『友情報国』は軍隊で負傷した幹部候補生の苦学生活、『東京よいとこ』は売れない画家をめぐって織りなされる物語を、いずれもリズミカルな話体によって描いている。戦前の作と見なせる『友情報国』以外の三作は明らかに戦後書かれたもので、これもまたその特有の世相をリアルに伝えてくれる。

これらの三作のうちで、この戦後特有の世相と社会を最もユーモラスに浮かび上がらせているのは林の『東京よいとこ』であると思われるので、この作品を戦後のユーモア小説の代表として紹介してみよう。『東京よいとこ』の時代背景は昭和二十四、五年と想定され、いうまでもなく占領期の東京を舞台とし、それは「銀座四丁目交叉点の一角にあるもと服部時計店の、高い時計台がそびえているビルディングは、進駐軍占用の食料店になつている。白いヘルメットを冠つた、アメリカの憲兵が二人、いかにも呑気そうにその入口に立つていた」という文章に象徴されている。

仇名を「駘蕩先生」という主人公の洋画家は戦前から帝展無鑑査の洋画界の大先輩だが、金と名声に無頓着なだけに、戦後派の太鼓持ちの寄り合いのような画壇に愛想をつかし、無欲恬淡春風駘蕩の生活を営んでいるので、夫人の家計簿はいつも赤字続きである。
その先生のところにシベリアから復員してきた弟子の滝沢が訪ねてくる。滝沢の上京の目的は出征前の婚約者を探すためだったが、彼はカフェの子持ちの女給と恋愛関係になり、先生に彼女を婚約者と紹介する。すると先生はすぐに母子を連れてこい、一緒に住もうと提案する。かくて老夫婦と滝沢たち三人の生活が始まり、先生と滝沢はアトリエで絵に励む一方で、新進の探偵小説家、滝沢の戦友で、美校出の巡査、政治力で画壇に顔を利かせるようになった先生の元弟子などが絡み、物語は進行していく。そして後半になって、先生の絵は進駐軍将校の注目するところとなり、日米親善に役立つように描いた一世一代の傑作の富士山の絵が高額で買われ、それに象徴されるように、様々なトラウマを抱えていた登場人物たちも収まるところに収まり、物語は予定調和的なハッピーエンドを迎える。殺伐とした日本の戦後の世相と占領下にあった社会における癒し的なファクターを散りばめた典型的なユーモア小説に仕上がっているといえよう。

そうした物語において、何よりも特徴的なのは戦後の日本の出発の原点が文化に置かれていたことである。先生は言う。「敗戦日本は、今後文化国家として再興せんけりやアならんと言うのに、若いくせに、こんな礼儀を知らん奴がウヨウヨしとるから、いつまで経つても劣等国扱いされるんだツ」と。

滝沢も語る。「僕等の手で先ず汚い、暗い東京に美化運動をおこしたい。それが僕等芸術に志す者の、更らに強く言うなら、敗戦国日本の芸術家の使命だと思うんです」と。その「文化」の象徴として、「駘蕩先生」は存在し、ルナールやゴッホと同様に政治力はなく、「死んだから偉くなる絵描きこそ、本当の芸術家」であるような先生が、ユーモア小説のトリックスターと位置づけられている。おそらくこの時代にしか広範に成立しなかったトリックスターであり、文化や芸術、出版や映画が最も輝いていたのはこの時代ではなかっただろうか。しかし時代は進むにつれて、「死んでから偉くなるより、生きているうちに、世間から認められなきア、嘘だよ」という現実に浸食され、このようなユーモア小説はもはや存在する意味を次第に失い、消えていったのではないだろうか。

なおその後、摂津はゴルフに通じた人物で、ベースボールマガジン社から、ゴルフに関するエッセイ選集が出されたことを知った。

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