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混住社会論108 庄野潤三『夕べの雲』(講談社、一九六五年)



前回の宮部みゆき『理由』のテーマのひとつは高層マンションに住む家族のイメージの変容であり、この作品は二一世紀を迎えようとしていた時代における家族レポートの色彩に包まれてもいた。また実際に二一世紀に入り、都市における住居の高層化はさらに進み、風景をも変容させ、それは地方にも及び、当初の違和感も見慣れるにつけ希薄化し、高層マンションのある風景は日常的なものへ転位していった。

だが高層に住むということ、その広範な日常化も『理由』にも示されているように、一九八〇年代以後の体験だと見なせよう。それならば、七〇年代以前において、高いところに住むことはどのような意味を付与されていたのだろうか。どこかで住むことについてのイメージの転換が起きていたのだ。そのことを確認するために、時代を半世紀ほど前に戻してみる。

一九六五年に刊行された庄野潤三『夕べの雲』はそのことに関する問いから始まっている。

 何しろ新しい彼等の家は丘の頂上にあるので、見晴らしもいいかわり、風当りも相当なものであった。三百六十度そっくり見渡すことが出来るということは、東西南北、どっちの方角から風が吹いて来ても、まともに彼等の家に当るわけで隠れ場所というものがなかった。
 前からこのあたりに住んでいる農家をみれば、どういう場所が人間が住むのにいいか、ひと目で分る。丘のいちばん上にいるような家はどこを探してもない。往還から引っ込んだところに丘や藪を背にして。いかにも風当りの心配なんかなさそうな、おだやかな様子で、彼等の藁葺の屋根が見える。
 農家の人たちがそういう場所を選んで住んでいるということは、この人たちの先祖がみなそうして来たことを物語っている。多分、それは人間が本能的に持っていた知恵なのであろう。丘の上がいいか、ふもとがいいかということで迷ったりする者はなかったのだろう。

この『夕べの雲』の主人公兼語り手である大浦の家の立地に関する述懐は新しい土地に移り、家を建てた者の実感がこめられている。確かに丘の上は見晴らしがいいけれど、吹きさらしで「隠れ場所」がない。先住する農家は丘や藪を背にしたふもとの風当りの心配のないところに住んでいる。そういう場所を選んでいるのは先祖代々からの知恵で、「それは人間が本能的に持っていた知恵」なのである。

大浦がこうしたことを考えるようになったのは、多摩丘陵の丘の上にこの家を建て、家族五人が引越してきて少し経ってからで、「古代人が持っていた知恵を持ち合わせていないこと」に気づいたのである。ちなみに庄野潤三一家も同じ家族構成で、六一年に東京の練馬区から川崎市生田に転居していることからすれば、『夕べの雲』の物語が庄野一家の日常生活を範としているように、この大浦の述懐も庄野自身の感慨と見なすこともできよう。

それはともかく、大浦は丘の上に家を建てた自分が「古代人以下ということ」に気づく。だがここに引越してきたのはキャンプをするためではなく、ずっと住むつもりだったからだし、「人間というものはなるべくならひとところに住みついて」、「何十年もそこに暮らしているのがよいのだ」。そうして長く暮らしていると、目には見えないが、「木のひげ根」が下り、住みやすい環境を用意してくれる。家の引越しはこれらの前の「木のひげ根」から断ち切られることを意味しているし、早く新しい「木のひげ根」を下すことを考えねばならない。「木のひげ根」という言葉に思わず「リゾーム」なるタームを想起してしまうが、庄野とドゥルーズ/ガタリの組み合わせはまったくふさわしくないので、ふれるだけにとどめておく。

そのような思いの中で、大浦は家を守るための「風よけの木」を植えようとする。それは昔ながらの所謂防風林、屋敷林のイメージが念頭にあったからだと思われる。ある日、関西の兄から新居祝いとして、ブッシュとつるばらの苗がそれぞれ五種類送られてきた。そしてそれらに加え、庭には植木屋から買った椿、柿、紅葉、山から運んできた萩、さらに家の周りには「風よけの木」として十二本の椎の木、三本のヒマラヤ杉が植えられ、「木のひげ根」が出るのを待つばかりになった。五年もすれば、これらの木も頼もしい姿になっているのかもしれない。ただそれまで台風に耐えられるかどうかはわからないのだが。

これらの大浦の「風よけの木」などの植樹に表出しているのは、未来へと向かう生活を守るために、古代から「人間が本能的に持っていた知恵」の活用や援用である。またそのことによって、過去、現在、未来が静かにつながり、家族の平和や団欒が保たれるのだと告げているようにも思われる。そのような生活の中で、大浦の五人の家族は丘陵の周辺の人々とその暮らし、季節と自然、景観と遊びなどに馴染んでいき、まさに生活の「ひげ根」も出そうに見えた。

それらの中で最も印象的なものを挙げれば、子供たちによる道の命名である。大浦や子供たちが山や学校から帰ってくるのは「森林の道」、車が通るのは「下の道」、最初に歩いたのは「まん中の道」、マムシに似たヘビを見つけたの「マムシの道」、その他にも「中学の道」とか「S字の道」などがあり、住み慣れてくるに従って、それまで気がついていなかった通り路が発見され、家族が歩く道が増えていったことになる。山の自然や動物もそれらの道に姿を現わし、「森林の道」では狸らしい動物に出会い、「マムシの道」ではコジュケイや山鳩を多く見かけ、「まん中の道」と「S字の道」のつながっているところには一休みするので「椅子の木」と呼んでいる櫟があり、その下は山で最も多く甲虫を取ることができる場所だった。

しかしそのような大浦一家と山や自然との蜜月は、二年目に夏を迎える頃に終わろうとしていた。「赤と白のだんだら模様の椿と測量の機材と木の枝を払うためのなたを持った青年がこの山へ上がってきた日から始まった。大きな団地が建つことになったのである」。それは大浦一家がここに移ってくる以前に決まっていたことで、団地がすべて完成した時には大浦の家、及びその裏の小松林とそれに続く崖の斜面の雑木林だけが残されることがわかっていたのである。ただその工事がいつ始まるのかはずっとはっきりしていなかった。それがついに始まったのだ。
夕べの雲(講談社文芸文庫

 大浦の家族がこのように彼等のいる丘と親しんだのは、二年半ほどの間であった。(測量の人たちが度々やって来るようになってから、木を伐り始めるまでにも一年近くかかった)
 その間、彼等はいつも、
 「まだ大丈夫、まだ大丈夫」
 と思いながら、名残りを惜んだ。
 日の暮れかかる頃に杉林のある谷間で安雄と正次郎の声が聞こえて来る。「もう夕御飯なにいつまで遊んでる気だ」と腹を立てながら、大浦は二人を呼びに行く。そんな時、彼はつい立ち止まって、景色に見入った。
 「ここにこんな谷間があって、日の暮れかかる頃にいつまでも子供たちが帰らないで、声ばかり聞こえて来たことを、先でどんな風に思い出すだろうか」
 すると、彼の眼の前で暗くなりかけてゆく谷間がいったい現実のものなのか、もうこの世には無いものを思い出そうとした時に彼の心に浮かぶ幻の景色なのか、分らなくなるのであった。
 そこにひびいている子供の声も、幻の声かも知れなかった。

ここに『夕べの雲』のコアが表出しているように思われる。静かに営まれている大浦一家の平和な日常生活も、「まだ大丈夫、まだ大丈夫」という危うい均衡の上に成立したものであり、それが永遠に続くものではなく、いずれ「幻の景色」と化してしまうのではないかという諦念が読みとれるからだ。それは妻や子供たちばかりか、丘の上の家も谷間の景色も同様であるのだ。だからこそ、それらを「現実のもの」として支えるために、「風よけの木」や「木のひげ根」が必要となる。そのために大浦は「風よけの木」を植え、「木のひげ根」が出ることを願っていたのである。

実際に杉林は伐り倒され、山は削られ、マムシすらも居る場所を失い、「マムシの道」ではなく、「下の道」で死んでいたりするようになった。マムシにしてみれば、団地建設のための山の開発によって、大浦の「風よけの木」と「木のひげ根」に当たる「隠れ場所」を失い、車の通る「下の道」に彷徨い出て、車にひかれ死んでしまったことになろう。そうしたマムシの死を象徴のようにして、団地が誕生してきたといえよう。

また『夕べの雲』に示された大浦の姿勢に関して、江藤淳『成熟と喪失』の中で、「治者」の観念を見ているが、それは一九六〇年代における、いわば「一戸建ての思想」だったようにも思われる。住む場所に対して、「人間が本能的に持っていた知恵」を失い、丘の上に家を建ててしまったけれど、「風よけの木」と「木のひげ根」にこだわることで、その家と家族の日常生活を支え、守ろうとする姿勢を強固に保ち続ける。それが『夕べの雲』の物語を貫く意志となっている。これを「一戸建ての思想」と呼ぶのである。
成熟と喪失

だがこれが一九八〇年代以後になると、このような「一戸建ての思想」は後退し、家は建てるものではなく、買うものとなり、それは必然的に家からマンションへと移行し、高いところに住むことが日常化していった。かつては「風よけの木」や「木のひげ根」が必要とされたのに、それはもはや見ることもできない。前回言及した宮部みゆき『理由』はそれらを象徴的に物語っているようであり、庄野の『夕べの雲』とコントラストをなしているように思われる。
さらに付け加えておけば、『夕べの雲』須賀敦子によってイタリア語訳されている。

◆過去の「混住社会論」の記事
「混住社会論」107  宮部みゆき『理由』(朝日新聞社、一九九八年)
「混住社会論」106  黄 春明『さよなら・再見』(めこん、一九七九年)
「混住社会論」105  日影丈吉『内部の真実』(講談社、一九五九年)
「混住社会論」104  ウェイ・ダーション『セデック・バレ』(マクザム+太秦、二〇一一年)
「混住社会論」103  松本健一『エンジェル・ヘアー』(文藝春秋、一九八九年)
「混住社会論」102  村上春樹『羊をめぐる冒険』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」101  赤坂真理『ヴァイブレータ』(講談社、一九九九年)
「混住社会論」100  中上健次『日輪の翼』(新潮社、一九八四三年)
「混住社会論」99  多和田葉子『犬婿入り』(講談社、一九九三年)
「混住社会論」98  本間洋平『家族ゲーム』(集英社、一九八二年)
「混住社会論」97  黒岩重吾『現代家族』(中央公論社、一九八三年)
「混住社会論」96  近藤ようこ『ルームメイツ』(小学館、一九九七年)
「混住社会論」95  鎌田敏夫『金曜日の妻たちへ』(角川文庫、一九八五年)
「混住社会論」94  山田太一『岸辺のアルバム』(東京新聞社、一九七七年)
「混住社会論」93  小島信夫『抱擁家族』(講談社、一九六五年)と『うるわしき日々』(読売新聞社、一九九七年)
「混住社会論」92  佐藤洋二郎『河口へ』(集英社、一九九二年)
「混住社会論」91  佐藤泰志『海炭市叙景』(集英社、一九九一年)
「混住社会論」90  梶山季之『夢の超特急』(光文社カッパノベルス、一九六三年)
「混住社会論」89  岩瀬成子『額の中の街』(理論社、一九八四年)
「混住社会論」88  上林暁『武蔵野』(現代教養文庫、一九六二年)島田謹介『武蔵野』(暮しの手帖社、一九五六年)
「混住社会論」87  徳富蘆花『自然と人生』(民友社、一九〇〇年)と『みみずのたはこと』(新橋堂、一九〇七年)
「混住社会論」86  佐藤春夫『田園の憂鬱』(新潮社、一九一九年)と『都会の憂鬱』(同前、一九二三年)
「混住社会論」85  『東京急行電鉄50年史』(同社史編纂委員会、一九七二年) 『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」84  『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」83  谷崎潤一郎『痴人の愛』(改造社、一九二五年)
「混住社会論」82  三浦朱門『武蔵野インディアン』(河出書房新社、一九八二年)
「混住社会論」81  大岡昇平『武蔵野夫人』(講談社、一九五〇年)
「混住社会論」80  国木田独歩『武蔵野』(民友社、一九〇一年)
「混住社会論」79  水野葉舟『草と人』(植竹書院、一九一四年、文治堂書店、一九七四年)
「混住社会論」78  小田内通敏『帝都と近郊』(大倉研究所、一九一八年、有峰書店、一九七四年) 『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」77  『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」76  『宝塚市史』(一九七五年)と『阪神間モダニズム』(淡交社、一九九七年)
「混住社会論」75  小林一三『逸翁自叙伝』(産業経済新聞社、一九五三年)と片木篤・藤谷陽悦・角野幸博編『近代日本の郊外住宅地』(鹿島出版会、二〇〇〇年)
「混住社会論」74  柳田国男『明治大正史世相篇』(朝日新聞社、一九三一年)と山口廣編『郊外住宅地の系譜』(鹿島出版会、一九八七年)
「混住社会論」73  柳田国男『都市と農村』(朝日新聞社、一九二九年)
「混住社会論」72  内務省地方局有志『田園都市と日本人』(博文館一九〇七年、講談社一九八〇年)
「混住社会論」71  ローラン・カンテ『パリ20区、僕たちのクラス』(ミッドシップ、二〇〇八年)とフランソワ・ベゴドー『教室へ』(早川書房、二〇〇八年)
「混住社会論」70  マブルーク・ラシュディ『郊外少年マリク』(集英社、二〇一二年)
「混住社会論」69  『フランス暴動 階級社会の行方』(『現代思想』二〇〇六年二月臨時増刊、青土社)
「混住社会論」68  ディディエ・デナンクス『記憶のための殺人』(草思社、一九九五年)
「混住社会論」67  パトリック・モディアノ『1941年。パリの尋ね人』(作品社、一九九八年)
「混住社会論」66  ジャン・ヴォートラン『グルーム』(文春文庫、二〇〇二年)
「混住社会論」65  セリーヌ『夜の果ての旅』(原書一九三二年、中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」64  ロベール・ドアノー『パリ郊外』(原書一九四九年、リブロポート、一九九二年)
「混住社会論」63  堀江敏幸『郊外へ』(白水社、一九九五年)
「混住社会論」62  林瑞枝『フランスの異邦人』(中公新書、一九八四年)とマチュー・カソヴィッツ『憎しみ』(コロンビア、一九九五年)
「混住社会論」61  カーティス・ハンソン『8Mile』(ユニバーサル、二〇〇二年)と「デトロイトから見える日本の未来」(『WEDGE』、二〇一三年一二月号)
「混住社会論」60  G・K・チェスタトン『木曜の男』(原書一九〇八年、東京創元社一九六〇年)
「混住社会論」59  エベネザー・ハワード『明日の田園都市』(原書一九〇二年、鹿島出版会一九六八年)
「混住社会論」58  『日本ショッピングセンターハンドブック』と『イオンスタディ』(いずれも商業界、二〇〇八、〇九年)
「混住社会論」57  ビクター・グルーエン『ショッピングセンター計画』『都市の生と死』(いずれも商業界、一九六九、七一年)
「混住社会論」56  嶽本野ばら『下妻物語』(小学館、二〇〇二年)
「混住社会論」55  佐伯一麦『鉄塔家族』(日本経済新聞社、二〇〇四年)
「混住社会論」54  長嶋有『猛スピードで母は』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」53  角田光代『空中庭園』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」52  宮沢章夫『不在』(文藝春秋、二〇〇五年)
「混住社会論」51  吉本由美『コンビニエンス・ストア』(新潮社、一九九一年)と池永陽『コンビニ・ララバイ』(集英社、二〇〇二年)
「混住社会論」50  渡辺玄英『海の上のコンビニ』(思潮社、二〇〇〇年)
「混住社会論」49  いがらしみきお『Sink』(竹書房、二〇〇二年)
「混住社会論」48  佐瀬稔『金属バット殺人事件』(草思社、一九八四年)と藤原新也『東京漂流』(情報センター出版局、一九八三年)
「混住社会論」47  山本直樹『ありがとう』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」46  重松清『定年ゴジラ』(講談社、一九九八年)
「混住社会論」45  ジョン・ファウルズ『コレクター』(白水社、一九六六年)
「混住社会論」44  花村萬月『鬱』(双葉社、一九九七年)
「混住社会論」43  鈴木光司『リング』(角川書店、一九九一年)
「混住社会論」42  筒井康隆『美藝公』(文藝春秋、一九八一年)
「混住社会論」41  エド・サンダース『ファミリー』(草思社、一九七四年)
「混住社会論」40  フィリップ・K・ディック『市に虎声あらん』(平凡社、二〇一三年)
「混住社会論」39  都築響一『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』(アスペクト、一九九七年)
「混住社会論」38  小林のりお と ビル・オウエンズ
「混住社会論」37  リースマンの加藤秀俊 改訂訳『孤独な群衆』(みすず書房、二〇一三年)
「混住社会論」36  大場正明『サバービアの憂鬱』(東京書籍、一九九三年)
「混住社会論」35  ジョージ・A・ロメロ『ゾンビ』(C-Cヴィクター、一九七八年)
「混住社会論」34  エドワード・ホッパーとエリック・フィッシュル
「混住社会論」33  デイヴィッド・リンチ『ブルーベルベット』(松竹、一九八六年)
「混住社会論」32  黒沢清『地獄の警備員』(JVD、一九九二年)
「混住社会論」31  青山真治『ユリイカ EUREKA』(JWORKS、角川書店、二〇〇〇年)
「混住社会論」30  三池崇史『新宿黒社会 チャイナ・マフィア戦争』(大映、一九九五年)
「混住社会論」29  篠田節子『ゴサインタン・神の座』(双葉社、一九九六年)
「混住社会論」28  馳星周『不夜城』(角川書店、一九九六年)
「混住社会論」27  大沢在昌『毒猿』(光文社カッパノベルス、一九九一年)
「混住社会論」26  内山安雄『ナンミン・ロード』(講談社、一九八九年)
「混住社会論」25  笹倉明『東京難民事件』(三省堂、一九八三年)と『遠い国からの殺人者』(文藝春秋、八九年)
「混住社会論」24  船戸与一「東京難民戦争・前史」(徳間書店、一九八五年)
「混住社会論」23  佐々木譲『真夜中の遠い彼方』(大和書房、一九八四年)
「混住社会論」22  浦沢直樹『MONSTER』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」21  深作欣二『やくざの墓場・くちなしの花』(東映、一九七六年)
「混住社会論」20  後藤明生『書かれない報告』(河出書房新社、一九七一年)
「混住社会論」19  黒井千次『群棲』(講談社、一九八四年)
「混住社会論」18  スティーヴン・キング『デッド・ゾーン』(新潮文庫、一九八七年)
「混住社会論」17  岡崎京子『リバーズ・エッジ』(宝島社、一九九四年)
「混住社会論」16  菊地史彦『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、二〇一三年)
「混住社会論」15  大友克洋『童夢』(双葉社、一九八三年))
「混住社会論」14  宇能鴻一郎『肉の壁』(光文社、一九六八年)と豊川善次「サーチライト」(一九五六年)
「混住社会論」13  城山三郎『外食王の飢え』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」12  村上龍『テニスボーイの憂鬱』(集英社、一九八五年)
「混住社会論」11  小泉和子・高薮昭・内田青蔵『占領軍住宅の記録』(住まいの図書館出版局、一九九九年)
「混住社会論」10  ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』(河出書房新社、一九五九年)
「混住社会論」9  レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』(早川書房、一九五八年)
「混住社会論」8  デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』(新潮社、一九九七年)
「混住社会論」7  北井一夫『村へ』(淡交社、一九八〇年)と『フナバシストーリー』(六興出版、一九八九年)
「混住社会論」6  大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社、一九六七年)
「混住社会論」5  大江健三郎『飼育』(文藝春秋、一九五八年)
「混住社会論」4  山田詠美『ベッドタイムアイズ』(河出書房新社、一九八五年)
「混住社会論」3  桐野夏生『OUT』後編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」2  桐野夏生『OUT』前編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」1