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古本夜話483 村雨退二郎『明治巌窟王』と国民文学

『文学建設』のめざすところが何であったかを、作品に物語らせよう。それは村雨退二郎の『明治巌窟王』講談社)である。創刊時に四十二名を擁し、その後も多くが参加した『文学建設』は全員の名前を挙げられないが、海音寺潮五郎丹羽文雄を除いて、大半が忘れられた作家であり、作品も絶版のままとなっている。いや、近年においては海音寺や丹羽にしても、同様の道をたどっているのかもしれない。

しかし幸いなことに、海音寺と並んで『文学建設』の中心人物であった村雨の著作は、昭和四十七年の『明治巌窟王』の復刊に続いて、昭和五十年代初めに歴史考証随筆『史談蚤の市』『史談あれやこれ』が相次いで中公文庫に収録されたことで、他の作家たちに比べ、まだかろうじてその名を現在にまでとどめていると思われる。
明治巌窟王 上明治巌窟王 下史談蚤の市  史談あれやこれ

村雨は明治三十六年に鳥取に生れ、小学校卒業後、独学で抒情詩人として出発し、農民運動に身を投じ、日本農民組合書記を務め、三・一五事件では投獄されている。昭和十年に「サンデー毎日新人賞」第一席となり、上京して小説を書き始め、同十四年に『文学建設』に参加し、多くの小説や評論を発表していくことになる。彼の著作は前述の三作の他に六冊持っているが、小説としては『明治巌窟王』が代表作と考えていいだろう。

その帯文には「華麗なる才能を持ちながら報われること薄かった鬼才村雨退二郎の『幻の名作』」とあり、この復刊企画は「解説」を寄せている尾崎秀樹によるものではないだろうか。尾崎の「解説」や村雨の「略年譜」によれば、『明治巌窟王』は昭和十二年から翌年にかけて『怒涛』と題して、『東京毎夕新聞』に連載され、同十七年に『地底の暴風』、十八年に『法曹奇譚』のタイトルで六合書院から刊行された二部作を初めて一冊としたもので、明らかに特異な時代小説家としての村雨の復権を意図していたと思われる。しかしそれは功を奏さず、代わりに歴史考証随筆二冊の文庫化という結果に終わってしまったのであろう。そのために『明治巌窟王』と同様に、千枚を超える『心の地図』や『戊辰の旗』などの復刻はなされていない。ここに残念だと書いておこう。

『明治巌窟王』は明治六年の征韓論破裂による西郷隆盛たちの参議辞職に始まり、翌年の赤坂喰違の変、つまり岩倉具視暗殺未遂事件から同二十二年の大日本帝国憲法発布までを時代背景とし、物語は藩閥専制政府に抗する佐賀の乱西南戦争、各地における自由党の闘い、様々な農民一揆などと併走している。第一部の『地底の暴風』はそのような状況の中にあって、法律を学ぶために土佐から上京した主人公の柊民之助は若さと出自と時代の要請によって、必然的に反政府活動としての岩倉暗殺計画へ加わり、逮捕され、九州の三池炭田懲治監に国事犯終身徒刑囚となって送られてしまう。

第二部の『法曹奇譚』において、民之助は数年の獄中生活を経て、脱獄を決意し、囚人仲間と計り、それに成功する。そして名前を狭間肇と変え、判事として、秩父における政府の御用商人による村民の共有林の詐欺的収奪とその騒擾事件に取り組み、捜査の過程で自らの過去も明らかにされる危機へと追いやられていく。

『明治巌窟王』はこのようなタイトルと内容から、デュマの『モンテ・クリスト伯』を物語祖型としているが、民之助を取り巻く様々な登場人物がデュマ以上に錯綜して描かれ、その人々の背後にある明治半ばの時代状況がくっきりと書きこまれ、それはこの小説が単なるフィクションではなく、歴史的事実に裏づけられていることを告げている。また村雨もこの物語にこめられたモチベーションを、『法曹奇譚』のはしがきではっきり述べている。
モンテ・クリスト伯

 私は大衆雑誌などに執筆している関係で、単なる大衆作家と見られているようだが、自分では決して大衆作家のつもりではないのである。
従来、日本の小説文学には二種類あった。一つは身辺的なことを、綿々と書綴った純文学というもので、これは思想性も無いし、面白くもないし、小説だか随筆だか、わけのわからないものだった。もう一つはご存じの大衆小説大衆文学で、これはまた娯楽読物としては相当面白く読ませるものだが、ただ筋に変化があっても面白いというだけで、芸術的内容が全然無く、小説文学としては極く低級なものだった。
 ほんとうの小説というのは、このいうものではない筈である。読み出したら離せないというほど面白いものであると同時に、読者の心の琴線にふれて、高尚幽玄な微妙音を発するものでなければならない。(中略)
 従がって、今までの純文学のように、退屈で、しかもややもすれば人生に絶望を感じさせるような小説や、読んでいる時だけ面白くて、読後に何の感銘も残らないような低級小説に代って、小説として充分面白く、しかも前記のような芸術的内容を持った日本独自の小説が、広く国民に読まれるようにならなければならない。国民文学運動というのは、そういう趣旨を持った運動である。

ここに貴司山治のプロレタリア大衆文学の提唱に端を発する実録文学研究会、高倉輝が昭和十一年に『思想』に寄せた「日本国民文学の確立」(『新文学入門』所収、理論社)の提起した国民文学論争、そして村雨たちが立ち上げた『文学建設』へと至る「純文学」とも「大衆文学」とも異なる「国民文学」の探求と実現への意志をうかがうことができる。実際に村雨は『明治巌窟王』を、そのような「国民文学」として執筆したと述べている。ここではこれ以上村雨の言説や「国民文学」に関する議論にふみこまないけれど、『明治巌窟王』に見られる構図は、明治前半期における歴史と政治権力への注視によって、紡ぎ出された反権力的物語であり、尾崎も書いているように、昭和十年代の国策的色調に染められていた時期の作品として注目すべき一作だと思われる。まさにこの作品は同時代への歴史、社会批判としても読むことができるからだ。

東方社の『新編現代日本文学全集』やその他の出版物を見ても、昭和二十年代から三十年代にかけて、『文学建設』によった作家たちの大衆小説が多く刊行されているし、各社がそれらを盛んに出版していたのである。例えば、村雨の『応天門』は河出新書の「大衆文学篇」の一冊として刊行され、これも百冊以上出されたはずで、講談社の「ロマン・ブックス」に対応していると思われる。「ロマン・ブックス」に関しては、「出版人に聞く」シリーズ〈14〉の原田裕『戦後の講談社と東都書房』を参照されたい。
戦後の講談社と東都書房

だから明らかに昭和三十年代までは国民文学的大衆小説の時代であり、それをベースとして戦後の新しい作家たちがデビューしてきたと了解されるのである。おそらく松本清張水上勉黒岩重吾などの社会派推理小説も、柴田錬三郎五味康祐司馬遼太郎池波正太郎たちの時代小説もそれらの系譜に属していると考えるべきだろう。

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