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古本夜話497 講談社と『少年倶楽部』

小山勝清の「彦一頓智ばなし」は柳田門下にいた頃、故郷の球磨地方を始めとする九州の民話に関して調べたことに端を発するとされている。しかしそれだけでなく、立川文庫『一休禅師頓智奇談』などによって全国的に広まっていた頭のいい少年によるトリックスター伝説が、彦一の理想主義と重なり、好評を博したと考えられる。それゆえに、その頓智の伝説の起源にある一休の生涯、及び自らの性を公然と描いた詩集『狂雲集』(『中世禅家の思想』所収、岩波書店)にも言及しようかと思ったが、それは稿をあらためることにしよう。

実は小山の『彦一頓智ばなし』の単行本を持っていないのだが、講談社『少年倶楽部名作選』に入っていることを思い出し、そのついでにこの浩瀚な三冊を繰っていると、以前には実感できなかった、『少年倶楽部』の雑誌としての多種多様な作者たちを受け入れるキャパシティがまざまざと伝わってきた。執筆者人脈を見ていくと、そこには作家や詩人から始まり、大衆文学やプロレタリア文学者たちの多くが集い、これほど多彩な執筆者を擁した雑誌もなかったかのように思われるほどだ。それは第三巻所収の大正三年創刊から昭和三十七年終刊にかけての「主要作品目録」を見ると歴然である。

大正時代に新しい大衆文学としての時代小説と探偵小説が生まれ、それが平凡社の円本『現代大衆文学全集』へと結実し、そのベストセラー化によって、講談に代わる新たな近代の物語が全国各地へと広範に伝播していった。しかもそれは日本だけでなく、植民地としての朝鮮、台湾、満州も同様で、帝国全土における「小国民」の「想像の共同体」を形成する装置としての少年文学を確立させた。しかもそれは多彩な執筆陣からわかるように、近代文学者と新たな大衆文学者たちとのコラボレーションによって構築された物語世界であり、そこには講談社特有の「私設文部省」(徳富蘆花)的な啓蒙教育の機能も備えていたと考えるべきだろう。

そして何よりもその影響については、これも講談社ならではの発行部数の年を追うごとの伸長を見逃すわけにはいかない。編集長だった加藤謙一『少年倶楽部時代』に示された発行部数の推移を示してみよう。
少年倶楽部時代 (大正十三年一月号)

大正九年  八万部
  十年   六万部
  十一年  八万部
  十二年  十二万部
  十三年  三十万部
  十四年  四十万部
昭和四年   五十万部
  五年   六十三万部
  六年   六十七万部
  七年   六十五万部
  八年   七十万部
  十一年  七十五万部

これは各年の新年号の数字であるが、大正三年の創刊号が二万部だったとされるから、すばらしい躍進というべきで、しかも返品率は一割前後だったようだ。大正時代において、同じ少年雑誌は博文館の『少年世界』、時事新報社の『少年』、実業之日本社の『日本少年』が主たるライバル誌で、その他にも多くの少年雑誌、児童雑誌が刊行されていた。つまり新しい大衆文学としての時代小説や探偵小説が誕生するかたわらで、これも新しい少年文学が生まれつつあった。それは講談社の所謂「倶楽部雑誌」の創刊に象徴されている。それらの創刊年も記しておこう。

明治四十四年  『講談倶楽部』
大正三年    少年倶楽部
  五年   『面白倶楽部』
  九年   『婦人倶楽部』
  十年    『少女倶楽部』

そしてこれらの「おもしろくてためになる」という講談社の雑誌の総合的仕上げとしての『キング』が大正十四年に創刊され、翌年には百万部を突破するに至り、昭和における大日本雄弁会講談社という雑誌王国が確立されるのである。

つまりこれらの雑誌に象徴されているのは明治と異なる新しい物語の出現、言い換えれば、時代小説、探偵小説、少年小説、少女小説、婦人小説などの台頭であり、それが多彩な執筆陣と挿絵画家を総動員して行なわれたという事実であろう。出版評論家の塩澤実信の言によれば、講談社商法は川底をざるで総ざらいするやり方で、それは余分なものもさらってしまうけれども、とにかく川の流れにあるものをすべて引き揚げてしまう企画編集方法を体現していると見なせるだろう。

おもしろくてためになること、啓蒙主義的な私設文部省的役割を果たしていること、編集者が教師上がりであることが多いなどの、これらの講談社の雑誌の特色は戦後も引き継がれ、コミックなどの少年誌にも反映されていく。歴代の『週刊少年マガジン』の編集長が東京教育大出身であること、物語が『少年倶楽部』のコミック的色彩を帯びていることなどもその証明になるだろう。

そしてこれらの講談社の雑誌動向を見るにつけ、最初はマイナーなリトルマガジン、同人誌、赤本業界のヒツジモノなどを揺籃の地としていた様々な新しい物語やコミックやポルノグラフィックなファクターが次々と講談社に回収され、それがマスとして成長していく歴史の繰り返しだったとわかる。だから戦前ばかりか戦後に至っても、出版業界のダブルスタンダードは絶えず存在し、大手出版社の下には様々な川が流れ、それをさらうことによって企画が成立し、大きな利益に結びついていたことになる。しかしその川が現在はすべて涸れてしまい、すくうものはもはやなくなってしまった。それが行き着いた現在の出版業界の姿であり、出版危機の背後に潜むひとつの原因のように思える。

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