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古本夜話498 南洋一郎と『怪盗ルパン全集』

前回の講談社の『少年倶楽部』における多彩な物語のかたわらに、翻訳探偵小説も対置としておくべきであろう。それは私たち戦後世代の読書とダイレクトにつながっているからだ。

松村喜雄の「フランス・ミステリーの歴史」、及び日本における翻訳史をテーマとする『怪盗対名探偵』(晶文社、双葉文庫)によれば、探偵小説は黒岩涙香の翻案によって目ざめ、次にその面白さを教えてくれたのはアルセーヌ・ルパンとされる。
『怪盗対名探偵』

松村は「みんな夢中になったルパン―モーリス・ルブラン」の章において、「生まれて始めて、ルパンを読んだときの興奮はいまもって忘れられない。古本屋をかけずり廻り、小型の平凡社の本を片っぱしから買って読んだ」と回想している。松村の世代にとっては保篠龍緒訳のルパンと、延原謙訳のホームズが探偵小説のバイブルだったようだ。後者については本連載95「改造社『世界大衆文学全集』と中西裕『ホームズ翻訳への道―延原謙評伝』」で既述している。

しかし私たちのような戦後世代においてはルパンといえば、ポプラ社の『怪盗ルパン全集』であり、おそらく大半の同世代の読者が原作ルブラン、南洋一郎による「少年少女のために書きあらためた決定版」とされるこの全集を通じて、ルパンに出会ったにちがいない。なお奥付には「訳者南洋一郎」とある。松村の言い方にならえば、私たちはポプラ社の『怪盗ルパン全集』『江戸川乱歩全集』を読むことで、探偵小説の世界へと導かれていったことになる。これも後者は本連載24「江戸川乱歩の『幽鬼の塔』」で、息子たちも読むだろうと思い、古本屋で買い求めたことを記しておいたが、前者も同様で、その懐かしい装丁を見ながら、この一文を書いている。
怪盗ルパン全集『怪盗ルパン全集』幽鬼の塔『江戸川乱歩全集』

だがこのルパンの南洋一郎訳に対して、松村は辛辣極まりなく、「原作とは別ものの創作であり、これはひどかった。もともと、大人向けのものを子供向けに書きなおすことは無責任もはなはだしい」とし、「無謀であり、原作をけがしており、時代錯誤さえ感じさせるのである」とまで評している。

これは日本の児童書出版や外国の児童文学のみならず、全訳、抄訳、ダイジェスト版の問題をも含んだ近代翻訳史とも絡む重要な問題ということになるが、ここまで南洋一郎が非難されているのを見ると、少しは南を擁護したくなってくる。それほどまでに小学生時代におけるルパンのイメージは南によって確立されたことを、私は否定できないし、逆に松村が読んだ保篠訳は南訳と比べ、古めかしく感じられた中学生時の記憶が残っているからだ。

加藤謙一の『少年倶楽部時代』に、その南洋一郎が重要な作家の一人として登場している。南は本名の池田宜政(よしまさ)の名前で、自らの体験に基づき、大正十五年日本からデンマークに出かけた少年団の指導者の書いた美談「なつかしき丁抹の少年」を投稿し、たちまちのうちに『少年倶楽部』の「なくてはならぬ作家」となった。そして池田宣政(のぶまさ)名で短編や伝記物語、南名で冒険探検小説、荻江信正名で学校物を書きわけ、それらの中でも南による冒険小説は爆発的人気を呼び、それは『吼える密林』連載によって、さらなる勢いを得ることになったのである。『少年倶楽部名作選』2に『吼える密林』、池田名での『リンカーン物語』が収録されていることも、彼が吉川英治、大佛次郎、佐藤紅緑、佐々木邦、山中峯太郎、江戸川乱歩と並ぶ『少年倶楽部』のスター的作家であったことを証明していよう。

少年倶楽部時代 『吼える密林』(講談社)

そしてまた一九八〇年代から九〇年代にかけて、三一書房で別巻も含めて三十巻を越える『少年小説大系』が編まれた際に、第六巻が『南洋一郎・池田宣政集』、第二十巻が『南洋一郎集』と、ただ一人だけ二巻を占めていることも、彼の戦前、戦後における「少年小説」の特異なポジションを物語っているはずである。私などはその晩年の仕事である『怪盗ルパン全集』によって、かろうじて最後の読者であったことになろう。

『南洋一郎・池田宣政集』

あらためて『少年小説大系』に付された二上洋一編「南洋一郎年譜」を見ると、『怪盗ルパン全集』第一期全十五巻は昭和三十三年から刊行され始め、以後「小学生のベストセラー」となると記されていて、三十六年に完結し、それ以後は第二期として、毎年一、二冊書き下され、全三十巻に及んでいる。おそらく私が小学校の図書室で読んだのは第一期全十五巻であったと思われる。

「年譜」によれば、南は旧幕臣を父として明治二十六年に生まれ、父の死によって小学校高等科を出てから、丁稚や給仕の仕事につきながら、外国語独習を志し、正則英語学校やアテネ・フランセで英仏語を学び、授業料免除の青山師範では独語を身につけた。そして小学校教師のかたわらで、『少年倶楽部』への投稿によって、作家の道へと歩み出したのは前述のとおりである。

これらの事実からもわかるし、加藤も証言しているように、南は三ヵ国語が読めて、書斎には冒険小説や探偵実話の洋書が並んでいたという。その中にルパンの原書も含まれていたと考えられる。それゆえに松村の非難はあるにしても、南のルパンは児童書にありがちな既訳のリライトやダイジェストではなく、原書を読みこんだ上での、南によるオリジナルな抄訳と見なすこともできるのではないだろうか。だからこそ、南のルパン物は私たちに強いインパクトを与えたようにも思われる。

『怪盗ルパン全集』の奥付のところを開くと、そこには底本がOeuvres Choisies de Maurice Leblanc, つまり『モーリス・ルブラン選集』とあり、その日本での版権をポプラ社が所有とのコピーライト表示も記されている。したがって私の、南のルパン物がオリジナルな抄訳という推測はそれほど間違っていないのではないだろうか。そしてこの南の『怪盗ルパン全集』は、私たち以後の世代も続けて読者となり、現在でも絶えず読者を獲得し続けているはずだ。これらの事情について、ポプラ社が社史を刊行していないこともあって、詳細な経緯がつかめないことが悔まれる。

なおこれは松村の指摘によって教えられたのだが、大佛次郎の『鞍馬天狗』は幕末のルパンであり、作者が肯定していないにしても、明らかにルパンをモデルにしていること、またルブランがルーアン出身で、フローベールの父の病院で生まれ、そのこともあってフローベールの影響を受け、ルパン物を手がける前は心理小説家だったことなど、ルパンやルブランをめぐるエピソードはまだまだ多くのことが知られていないと考えられる。
『鞍馬天狗』

なお手元に戦前の池田宣政名での『海洋冒険探検記』があり、これは昭和十二年に講談社から刊行されている「世界冒険探検叢書」の一冊だが、残念なことに言及できなかった。これも『少年倶楽部』から生まれたと見なせるし、かなりの冊数が出された「叢書」についてはまたの機会にということにしよう。

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