前回、アメリカにおいても日本においても消費社会の開花を促したのはスーパーの出現と、そのドラマチックな成長であることを指摘しておいた。
それならば、スーパーの先駆、もしくは範となった百貨店=デパートメントストアはいつ呱々の声をあげていたのであろうか。それは近代資本主義の勃興とパラレルで、十九世紀半ばから二十世紀初頭にかけてであり、イギリスでは一八四九年にハロッズ、フランスでは五一年にボン・マルシェ、アメリカでは五八年にメーシー、日本では一九〇四年に三越がそれぞれ誕生している。ここではフランスのボン・マルシェに言及してみたい。
ボン・マルシェに関してはこれをモデルにして、エミール・ゾラが一八八三年に『ボヌール・デ・ダム百貨店』(伊藤桂子訳)を書いている。これは現在の消費社会の起源を描いた小説と見なすことができるのだが、そのフランス語からの本邦初訳が刊行されたのは、ゾラ没後百年という二〇〇二年になってからのことだった。しかしそれ以前の一九九三年に、鹿島茂が『デパートを発明した夫婦』(講談社現代新書)を上梓し、『ボヌール・デ・ダム百貨店』とボン・マルシェ資料を題材として、この百貨店を立ち上げ、現代へとつながっていくデパート商法を立案、開発し、成功に導いたブシコー夫婦の足跡をたどっている。そして近代デパートの誕生をいち早く啓蒙的に紹介してくれた。
その一方で、翻訳は未刊行だったにもかかわらず、鹿島の著書だけでなく、『ボヌール・デ・ダム百貨店』を主たるテーマとする、内外を問わない評論や研究書も続々と出されていた。それらを挙げてみる。北山晴一『おしゃれの社会史』(朝日新聞社)、R・H・ウィリアムズ『夢の消費革命』(吉田典子他訳、工作舎)、R・ボウルビー『ちょっと見るだけ』(高山宏訳、ありな書房)、フィリップ・ペロー『衣服のアルケオロジー』(大矢タカヤス訳、文化出版局)、ミシェル・セール『火、そして霧の中の信号―ゾラ』(寺田光徳訳、法政大学出版局)、E・S・エイベルソン『淑女が盗みに走るとき』(椎名美智他訳、国文社)などである。それらの中で原題をAu Bonheur des Dames とするこの小説は、『御婦人方のパラダイス』『ご婦人方の幸福』『奥様の幸福』として紹介、引用されているが、ここでは『ボヌール・デ・ダム百貨店』とする。ちなみにこれは私が編集に携わり、訳者と相談の上でこのタイトルに決定していることに加え、〇四年に刊行された吉田典子訳、藤原書店版もこのタイトルを採用しているからである。
この『ボヌール・デ・ダム百貨店』のモデルとなったボン・マルシェの開店が一八五一年だと先述したが、その後の成長と発展は、五二年に始まるナポレオン三世の第二帝政時代とまったく重なっている。それは近代フランスにおける高度成長期と見なしていい。ボン・マルシェのようなデパートの誕生だけでなく、オスマンのパリ改造計画、中央市場の建築、万国博覧会の開催、鉄道網の全国的普及、銀行設立といった金融制度改革、自由市場への移行などが進められていった。
この時代のフランスの産業構造の推移に関して、前回と同様に、佐貫利雄の『成長する都市 衰退する都市』から抽出すると、六〇年には第一次産業43.5%、第二次産業37%、第三次産業19.5%であり、それらが八〇年には第一次産業35%、第二次産業42.5%、第三次産業22.5%となっている。六〇年と八〇年の間における推移は、第一次産業が8.5%低下し、第二次産業が5.5%、第三次産業が3%それぞれ上昇し、農耕社会が工業社会、消費社会へと向けて離陸していく動向がうかがわれる。そのような社会の変容とそれに伴うパリという都市の成長を背景にして、百貨店が誕生したことになる。
実際に『ボヌール・デ・ダム百貨店』を第十一巻とするゾラの「ルーゴン=マッカール叢書」全二十巻は、そのようなフランスの十九世紀後半の社会の全体を描こうとするもので、一八七〇年から九三年にかけて書かれている。これらの作品群は一巻ごとに様々な社会をテーマとし、いってみれば、『ボヌール・デ・ダム百貨店』は第三次産業としての消費社会、第十五巻の『大地』(拙訳、論創社)は第一次産業である農耕社会の物語である。またこの産業分類を提出してコーリン・クラークの『経済進歩の諸条件』(大川一司他訳、勁草書房)によれば、鉱業は第二次産業に属するので、炭鉱を舞台とした第十三巻『ジェルミナール』(同前)は、第二次産業の象徴としての工業社会の物語ともなり、他の作品もまた同様に仕分けしていくことができる。
このように「ルーゴン=マッカール叢書」は同時代における様々な社会を横断して描くことによって、混住社会小説群を形成しているといっていい。それらの全体は近代化の過程で、農耕社会から工業社会や消費社会めがけて上昇していこうとする民衆の欲望をコアとしているように思える。またそのような時代状況を背景とし、消費社会の始まりとしての『ボヌール・デ・ダム百貨店』が書かれるに至ったのである。
この小説はヒロインであるドゥニーズが二人の弟を連れ、パリに出てきて、いきなり「ボヌール・デ・ダム百貨店」と遭遇する場面から始まっている。鹿島やロザリンドの前掲書もその場面を引用し、イントロダクションとしているので、重複は避け、その前編といえる第十巻『ごった煮』(同前)を参照し、両書では言及されていない、そこに至る主人公ムーレと百貨店の前史をたどってみる。『ごった煮』において、ムーレはルーゴン=マッカール一族の故郷である南仏のプラッサンから上京し、ショワズール・パサージュの流行品店エドワン商店に勤め、近代商業のカテドラルとしての百貨店を夢想し、雌伏の時を過ごしていた。『ごった煮』はまだパサージュに象徴される商店街の時代であり、消費者という群衆はまだ出現していなかった。
ムーレの勤めた流行品店=マガザン・ド・ヌヴォテとは従来の商店と異なり、『ボヌール・デ・ダム百貨店』の冒頭で描かれているように大きなショーウィンドーを設け、売場は三、四階までに及び、多彩な布地や衣服を陳列し、正価も示した現金販売といった新しいコンセプトの商店であり、百貨店の前身に位置づけられるだろう。まさにムーレはそれを体現し、流行品店から百貨店へと成長させたのである。
この百貨店は流行品店の商法をさらに発展させ、目玉商品と薄利多売、バーゲンセールと様々な大売り出し、返品も可とすることで、高い商品回転率を達成し、大きな利益を生み出していく。そして巨大な店舗を建設し、それを一大スペクタクル空間へとならしめるのであり、それがガラスと鉄からなる万国博覧会の建物、及び商品宇宙として物品の陳列を範としていることはいうまでもあるまい。それは使用価値というよりも、交換価値にめざめた消費者という群衆をも誕生させるのだ。ベンヤミンは『パサージュ論』の中で、次のようにもいっている。「百貨店の特質。客はそこで自分を群衆と感じる、彼らは陳列された商品の山と対峙する。彼らはすべての階を一目で見わたせる。彼らは正札の金額を払い、商品の『お取り替え』ができる」と。
このような「百貨店の特質」とメカニズムを『ボヌール・デ・ダム百貨店』はその経営の内実、労働の現場と歩合給システム、消費者の実像なども含め、構造的に描くことによって、近代商業小説の嚆矢ともなっているし、まさにそのように展開されていく。そしてムーレの百貨店の核心は不動産銀行総裁アルトマン男爵への説明に表出し、それは近代商業のコンセプトとも見なせるだろう。アルトマンはパリ改造計画のオスマンがモデルだとされている。ムーレはこの百貨店の仕組みは資本を絶えず迅速に回転させることだと述べ、まだそれが砂上の楼閣ではないかと疑問を抱いているアルトマンに、土地の手配などについての協力を求める
「男爵閣下、ご理解いただけたと存じますが、(……)大資本を転がす必要はないのです。実行しなければならない唯一のことは仕入れた商品をできるだけ早く売り払い、その金を他の商品の仕入れにまわすことで、こうすれば、回転するごとに利益を資本にもたらすことになります。このやり方ですと、儲けが少なくても利益が出ます。たとえば、私のところでは諸経費が一六パーセントという高い比率ですし、商品販売粗利益率は二〇パーセントですので四パーセントが純利益ということになります。このように、商品の大量販売と絶え間なき新商品の大量仕入れの操作が、最終的には何百万フランも生むことになるのです……協力していいただけませんか。(……)」
このムーレの発言は中内㓛の『わが安売り哲学』の一節のようでもあり、これが百貨店を舞台として起きた十九世紀の流通革命だったことを示唆している。
それはさておき、アルトマンは当然のことながら、「大量に売るために安く売り、安く売るために大量に売る……ただし、どうしても売らなければならない。そこで先の私の疑問に戻るんだが、いったい誰に売るのか? どのようにこの大量販売を維持していくつもりなのか?」という問いをムーレに突き付ける。そこでまたしてもムーレは熱弁をふるのだ。最も重要なのは女性の開拓です。資本の絶えざる投入、商品積み上げシステム、魅力的な廉価、安心感をもたせる正札制度もすべてそのためにある。百貨店のショーウィンドーは女性を陶然とさせ、衝動買いを仕掛け、店内における魅惑あふれる陳列は新しい欲望を喚起させ、女性はその誘惑に抗しきれない。さらに店内において女性は王妃となり、サービスの限りを受けるのであり、それゆえに買物はエスカレートする一方で、贅沢は大衆化して様々な流行品が作り出されていく。つまりムーレは「女性を商売にしてしまう」百貨店という殿堂を建て、店員たちが女性にサービスを尽くすという「新しい崇拝儀式」を創設したのだ。そしてムーレは最後にいう。「だから女性をつかめば、世界を売ることだってできるのです」と。
そうしてムーレは巨大な百貨店を新装オープンさせ、大宣伝をうち、開店記念催事としての白い布地製品を特集したスペクタクルにふさわしい売り出し、白物大展示会を開催する。白が光のように乱反射し、消費者という群衆があふれんばかりに押し寄せている。その催場にいるムーレと女性たちを、ゾラは次のように描いている。
ムーレはこのように燃え上がる白の炎に包まれ、自ら手なづけた女性という大衆を眺めていた。(……)このように女性たちを所有し、意のままに支配しているのはムーレに他ならなかった。絶えず商品を山積みにし、値下げ、返品、女性に対する気配り、広告などが彼の手法であった。母親そのものを征服し、暴君さながらの残虐さですべての女性を支配し、その気まぐれは家庭を崩壊させた。ムーレの創造した百貨店は新しい宗教をもたらし、信仰が衰え次第に人の来なくなった教会の代わりを百貨店がつとめ、それ以後空虚な人々の心に入り込んだ。女性は暇な時間をムーレのところにやって来て過ごすようになった。かつてはチャペルの奥で震えおののき不安な時間を過ごしたというのに。それは精神の情熱の必然的な消費であり、夫と新しい神との闘いであり、美という天上の神を崇め、身体を絶えず再生させる信仰であった。もしムーレが門戸を閉ざしたら、街では暴動がおこり、百貨店という告解所や祭壇を取り上げられた敬虔な信者たちが狂ったような叫び声をあげるであろう。
このようにして消費社会の幕が切って落とされたのであり、ゾラはまた百貨店を「怪物」や「機械」のメタファーで語ってもいる。また百貨店の影響を受け、パサージュの商店が衰退していく姿は、現在の郊外消費社会の隆盛を受け、没落してしまった日本の商店街のことをも彷彿とさせる。
しかし「ルーゴン=マッカール叢書」の中にあって留意しなければならないのは、『ボヌール・デ・ダム百貨店』に象徴される消費社会が、第十九巻『壊滅』(同前)に描かれる普仏戦争やパリ・コミューンという大団円を迎えることである。それは高度大衆消費社会が成熟する中で、アメリカがベトナム戦争に向かっていったことを想起させるし、消費社会の行方をも再考させるようにも思われる、
またこれは本連載のテーマと少しずれてしまうし、別の機会に譲るつもりで、『ボヌール・デ・ダム百貨店』に表出している世紀末文学特有のジェンダー闘争とミソジニー問題についてはふれなかったことを付記しておく。
なおゾラに関しては、以前に本ブログで「ゾラからハードボイルドへ」を連載しているので、よろしければ参照されたい。