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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

混住社会論119 スタインベック『怒りの葡萄』(原書、一九三九年、第一書房、一九四〇年)とピエトラ・リボリ『あなたのTシャツはどこから来たのか?』(東洋経済新報社、二〇〇七年)

怒りの葡萄(The Grapes of Wrath) 怒りの葡萄 あなたのTシャツはどこから来たのか



『〈郊外〉の誕生と死』本連載115 などで、アメリカが消費社会化したのは一九三九年であり、それが世界でも突出して早かったことに関して、その主たる要因は三〇年代におけるモータリゼーションの普及に伴う全国的なスーパーマーケットの誕生と成長、その産業化にあったのではないかと指摘しておいた。

〈郊外〉の誕生と死

それならば、その時代にアメリカの農耕社会はどのような位相に置かれていたのだろうか。アメリカもまた十九世紀後半までは紛れもない農耕社会で、一八七〇年には総人口の半分を農業人口が占めていたが、一九三〇年には25%と半減していた。そのような中で、まさにアメリカが消費社会化した三九年に、スタインベックの『怒りの葡萄』が出版された。この作品はアメリカ社会と農業の転換期を浮かび上がらせるもので、オクラホマの小作農ジョード一家が土地を追われるところから、本格的に物語が動き出す。どうして小作人たちは土地から出ていかなければならなかったのか。その声を聞こう。

 この土地はじいさまが手に入れたのだ。それにはインディアンを殺し、インディアンを追っ払わなければならなかった。それからおやじがこの土地で生まれたが、おやじは雑草と蛇を殺したのだ。それから不作の年が来て、親父は少々金を借りなければならなかった。それからおれたちもここで生まれたのだ――あそこのあの家で――おれたちの子供もここで生まれた。そうしておやじは金を借りないわけにはいかなくなった。そうして土地は銀行のものとなったが、おれたちはここに残って、作った物の少しばかりを手に入れてきた。

だがその小作制度ももはや用をなさず、トラクター一台で十数世帯の小作の代わりを務めることができるのだ。「ここで生まれ、ここを耕し、ここで死ぬ」と思っていた小作人からすれば、立ち退きを迫る銀行がそうであるように、トラクターもまた「怪物」として描かれる。その操縦士も人間のようには見えず、「怪物の一部分」であり、トラクターの播種器は「ペニス」にたとえられ、それによる播種は「ギアでオルガスム」に至った「情熱なき強姦」と見なされる。それは「銀行がその土地を愛していないのと同じように、彼もまたその土地を愛していなかった」からだ。

そのようにして土地を追われたジョード一家は中古のセダンをトラックに改造し、十一人の一家全員でカリフォルニアをめざす。これも二〇年代からのモータリゼーションブームの広い浸透を示すもので、すでに中古車市場が立ち上がっていることを告げているし、実際にそうした店の現状が書きこまれている。また自動車業界の繁栄が、トラクターなどの農業機械の開発に結びついているのだろう。カリフォルニアには仕事があると伝えられ、東部から西部へアメリカ大陸を横断する国道66号線を進んでいく。国道はおなじような車であふれていた。その道中で家族の何人もが死に、脱落し、失踪してしまう。そうした旅路の果てに出現したカリフォルニアの現実とはどのようなものであったのか、それはオクラホマと異なるカリフォルニア社会と農業状況に他ならず、それもまたアメリカの三〇年代を照射することになる。

ただ『怒りの葡萄』は出版の翌年の四〇年に制作されたジョン・フォード監督、ヘンリー・フォンダ主演のロードムービーの印象も作用し、農民小説というよりも、ロードノベルの色彩が強い。それもあって、「逃亡者の道」とされる国道66号線やキャンプ場、それにハンバーガースタンドなどのロードサイドビジネスの描写はリアルそのもので、この物語の独立したトポスのように迫ってくる。
怒りの葡萄 (DVD)

それに反して、『怒りの葡萄』はオクラホマの大地とトウモロコシの描写から始まっているが、その農業の実態は明確なかたちで提出されておらず、こちらの知識の欠如もあり、いまひとつ曖昧な感じが否めなかったし、ずっと払拭できないままだった。農業不況についても、単に凶作と一九二九年のニューヨーク株式市場の崩壊に端を発するものだと思いこんでいた。ところが偶然ではあるけれど、一冊の経済書を読み、それが氷解するに至った。その一冊とはピエトラ・リボリの『あなたのTシャツはどこから来たのか?』(雨宮寛、今井章子訳)であり、『怒りの葡萄』以外にも教えられることが多々あったので、それらに言及してみたい。原題は邦訳タイトルとニュアンスが少しばかり異なるので、先にそれも記しておく。
“The Travels of a T-Shirt in the Global Economy: An Economist Examines the Markets, Power, and Politics of World Trade.”

The Travels of a T-Shirt in the Global Economy: An Economist Examines the Markets, Power, and Politics of World Trade.

リボリは一九九九年にジョージタウン大学で、つぎのような演説を聞いた。それは反グローバル化の女性活動家によるもので、ナイキのTシャツを例にとり、それがベトナムやインドの子供や女性たちの悲惨な労働環境の中で作られているというものだった。それが発端で、リボリは自分がマイアミビーチのドラッグストアで買った一枚5ドル99セントのTシャツの出自、その誕生に関わった人々、及び政治と市場経済、グローバル化の物語をたどり、その一生を追うために三つの大陸を旅することになった。そしてそれは一枚のTシャツの生涯だけでなく、その生涯を取り巻く世界、すなわち歴史や政治をも照らし出すに至ったのである。

その白地のTシャツには派手な色づかいのオウムが描かれ、「Florida」という文字が書かれ、また背中のラベルには「シェリー・マニュファクチャリング」、その下には「中国製」とあった。リボリはフロリダの殺風景な工業団地のビジネス街にあるシェリー社のゲイリー・サンドラー社長を訪ねる。会社は彼の父が第二次世界大戦直後に創業したもので、独立系の卸売りとして商売を始め、ビーチの店々に北部からやってくる観光客向けのみやげ用アクセサリーなどを売っていた。

一九五〇年代に入って、一番人気はフロリダ風のモチーフがデザインされている綿の小さなスカーフであることに気づいた。その製造とプリントは日本製で、その仕入と販売価格の差が圧縮され始めたこともあり、マイアミに自社プリント工場を設けた。そこで白Tシャツはちょっとした旅行記ができそうな多くの名がプリントされ、観光客は旅の思い出に買っていく。

倉庫に満載のこれらの無地のTシャツはメキシコ、エルサルバドル、ボツワナ、インド、香港などから買い付けたもので、先述したように、リボリが購入したのは中国製だった。彼女の推測によれば、それは一九九八年後半に上海を出て、数週間後にマイアミの港に着いた。シェリー社は一枚1ドル42セントで仕入れ、そのうち関税は24セントで、当時の中国からアメリカへの衣料品割当からすると、このTシャツは輸入枠2500万枚のうちの一枚だったことになる。

それならば、このTシャツは中国のどこからきたのか。それは「シュー・ジャオ・ミン。上海織物」からで、シュー・ジャオ・ミンは商取引のあるアメリカ人たちからパトリックと呼ばれていた。彼は年に二回アメリカに出張して営業し、欧米ファッションをつぶさに見て、自分の工場にそのアイディアを持ち帰り、東洋と西洋、途上国と発展国、共産主義国と資本主義国などを問わず、ビジネスに励む。そのしなやかなバランス感覚を失うことはないので、国際競争によって、自社の白Tシャツの将来性はあまりないと考えていた。

そのパトリックに誘われ、リボリが中国に赴き、生産現場の工場見学も行ない、さらに綿の生誕の地を尋ねると、彼は多分「テクサ」じゃないかと答えた。それは地球儀の中国と反対側にあるアメリカのテキサスのことだった。リボリのTシャツの綿は、「世界一コットンな街」を自負するテキサス州ラボックで生まれた可能性が高い。彼女は次にそこでラインシュ綿農園を営む八〇代のネルソン夫妻を訪ねる。そしてアメリカにおける綿産業の歴史が語られていく。

 綿作はもう昔のように骨の折れる重労働ではなくなった。それでも二人は毎年、大自然や市場の気まぐれと格闘している。夏には暴風や砂塵や猛暑や虫の大群と戦い、秋の収穫期には世界市場で七〇ヵ国以上の生産者としのぎを削る。ラインシュ家の四〇〇ヘクタールに及ぶ農園の綿花生産高は最大で訳二二七トン。Tシャツに換算するとざっと一三〇万枚分だ。生涯にわたって同じ職業にずっと就いていることは、ネルソンという人間について多くを語っている。そして、米国の綿産業についても……。
 世界市場において、およそ優位性というものは常に一時的なものでしかないということは、歴史が証明している。ある国の産業がどんなに目覚ましい勝利を遂げても、最後には比較優位性の移行という厳しい結末が待っている。(中略)ところが綿の世界市場においてだけは、米国が二〇〇年以上にわたってあらゆる意味で圧倒的な覇者であり続けており、他国、とりわけ貧しい国々には、追いつける可能性さえ無いに等しい。米国は、綿の生産高、輸出高、農場規模、単位面積当たりの収穫高において、常に一位を独占してきたのだ。(ただし、生産高は近年中国に次ぐ二位となり、輸出高は時にウズベキスタンを下回る)。

高度資本主義消費社会のアメリカにあって、どうして単純な綿作が繁栄を続け、世界覇権を維持してきたのか。それはアメリカの綿補助金制度などに加え、生産者の卓越した適応性と事業的センスの豊かさによるとリボリは述べ、その歴史をもたどっている。

世界で最初の工場は綿の繊維工場で、十八世紀の英国で産業革命が起きたのは綿布や綿系の生産が事業として発展し、紡績や製織技術が進化し、大量生産が可能になったからだ。そうして綿産業の生産性が大きく向上し、価格も劇的に下がることで、これまでおしゃれに縁がなかった民衆も安価になった綿服を着るようになった。野良着から晴着への移行である。本連載116 のゾラの『ボヌール・デ・ダム百貨店』の背景にあるのは、このような衣服に関する消費の変化にほかならず、服部春彦『フランス産業革命論』(未来社)においても、そのベースに資本制綿業の確立、工業の発展と繊維業の構造転換が不可欠のものとして言及されている。
ボヌール・デ・ダム百貨店

英仏の綿需要の動向に合わせ、産業革命初期にはアメリカのシェアはほとんどなかったが、その後驚くべき急成長を遂げ、南北戦争の勃発の時代に南部は年間四五万トンを超え、全世界の生産高の三分の二を占め、綿は輸出総額の半分を占めるに至った。しかし南部の綿農園は奴隷制度に支えられたもので、それが綿産業の爆発的成長のコアでもあり、その事実はTシャツ製造についての市場経済批判派の言説と通底している。さらに先に引いた『怒りの葡萄』で、小作人が語るインディアンを殺し、手に入れた土地であることも付け加えるべきだろう。

この奴隷制度、綿生産の拡大、ホイットニーの綿繰り機の発明により、南部の綿の市場独占が続いていたが、南北戦争によって奴隷制度が廃止された後、小作制度が導入された。地主は労働の見返りとして、小作農に住居や食料、狩りや釣りの権利を与えることで、労働者を土地に縛りつけていた。それは『怒りの葡萄』の場合、地主=銀行だったが、まだ保たれていたことになる。

そして二十世紀に入ると、テキサス州とオクラホマ州にいくつもの大規模農園が開かれ、トラクターの使用という技術革新が導入され、「工場」方式による綿の大規模生産システムが稼働し始める。それはおそらく科学的管理法やフォードシステムに基づく農業の工業化であり、綿産業へと躍進していく回路を開き、小作農や小作人の衰退と退場をもたらしていく。さらにそれを決定的にしたのは、三〇年代前半の不況下のもとでの綿価の暴落であり、三三年にニューディール政策の一環として制定された農業調整法(AAA)に他ならなかった。

これは過剰農産物の価格保証と休耕補助金の導入で、地主にとって小作人たちを休耕させ、補助金を受け取ったほうが割のいいものだった。かくして「大農園主はAAAでトラクターを買い、大戦前には小作農をすっかり刈り取って(トラクターアウト)しまった」という残酷なジョークだけが残されたとリボリは述べている。これが『怒りの葡萄』の背景であり、この作品は綿栽培をメインとする小作農、小作人の悲劇を物語っていると了解されるのである。そういえば、ヘンリー・フォンダを始めとして、映画の登場人物たちはほとんど全員が綿の衣服を着ていたし、それがまたアメリカの野良着にして、アメリカの農民の物語だということを表象しているのだろう。

しかしここであらためて、アメリカは日本占領下で農地改革を遂行したが、本国においてはそれを実行していないし、そのことによってアメリカ農業が世界的に絶対の優位を得ている事実、また日本の農業基本法やコメの減反政策と補助金も、アメリカのAAAに類似していることに気づかされた。それと同時に、『怒りの葡萄』における、ゾラの『ジェルミナール』やフランク・ノリスの『オクトパス』の影響、ジェームズ・ケインの『郵便配達夫はいつも二度ベルを鳴らす』との時代を同じくする通底性を確認することになった。これらの三作は本ブログ「ゾラからハードボイルドへ」で、いずれも論じているので、ぜひ参照されたい。

ジェルミナール オクトパス 郵便配達夫はいつも二度ベルを鳴らす

そして最後に一言付け加えておけば、リボリのTシャツをめぐる物語は、その三分の一ほどを紹介しただけであり、こうしたアメリカの三〇年代に限定されるわけではなく、綿産業をめぐる各国の歴史、及びその政治との関係は広く長きにわたり、入り組んで複雑であり、このような『怒りの葡萄』に関する部分の抽出は、彼女の著作に対する私の恣意的な読解となってしまうことを危惧する。それゆえに、私もTシャツを着てこの拙文を書いているが、読者も直接『あなたのTシャツはどこから来たのか?』に目を通し、自分のTシャツの出自を確かめてほしいと思う。

なおテキストは集英社版『怒りの葡萄』(野崎孝訳、『世界文学全集』66)を使用した。

◆過去の「混住社会論」の記事
「混住社会論」118  ゾラ『大地』(原書、一八八七年、論創社、二〇〇五年)と長塚節『土』(春陽堂、一九一二年)
「混住社会論」117  渡辺京二『逝きし世の面影』(葦書房、一九九八年)と久米邦武編『特命全権大使 米欧国回覧実記』(新橋堂、一八七八年)
「混住社会論」116  ゾラ『ボヌール・デ・ダム百貨店』(原書、一八八三年、論創社、二〇〇二年)
「混住社会論」115  M・M・ジンマーマン『スーパーマーケット』(経済界、一九六二年)
「混住社会論」114  『大和ハウス工業の40年』(同編集委員会、一九九五年)
「混住社会論」113  安土敏『小説スーパーマーケット』(日本経済新聞社、一九八一年)とテーラー『科学的管理法』(産業能率短期大学出版部、一九六九年)
「混住社会論」112  藤田 田『ユダヤの商法』(KKベストセラーズ、一九七二年)と『日本マクドナルド20年のあゆみ』(同社、一九九一年)
「混住社会論」111  ジョージ・リッツア 『マクドナルド化する社会』(早稲田大学出版部、一九九九年)
「混住社会論」110  藤原伊織『名残り火』(文藝春秋、二〇〇七年)
「混住社会論」109  ピエール・ブルデュー『住宅市場の社会経済学』(藤原書店、二〇〇六年)と矢崎葉子『それでも家を買いました』(大田出版、一九九〇年)
「混住社会論」108  庄野潤三『夕べの雲』(講談社、一九六五年)
「混住社会論」107  宮部みゆき『理由』(朝日新聞社、一九九八年)
「混住社会論」106  黄 春明『さよなら・再見』(めこん、一九七九年)
「混住社会論」105  日影丈吉『内部の真実』(講談社、一九五九年)
「混住社会論」104  ウェイ・ダーション『セデック・バレ』(マクザム+太秦、二〇一一年)
「混住社会論」103  松本健一『エンジェル・ヘアー』(文藝春秋、一九八九年)
「混住社会論」102  村上春樹『羊をめぐる冒険』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」101  赤坂真理『ヴァイブレータ』(講談社、一九九九年)
「混住社会論」100  中上健次『日輪の翼』(新潮社、一九八四三年)
「混住社会論」99  多和田葉子『犬婿入り』(講談社、一九九三年)
「混住社会論」98  本間洋平『家族ゲーム』(集英社、一九八二年)
「混住社会論」97  黒岩重吾『現代家族』(中央公論社、一九八三年)
「混住社会論」96  近藤ようこ『ルームメイツ』(小学館、一九九七年)
「混住社会論」95  鎌田敏夫『金曜日の妻たちへ』(角川文庫、一九八五年)
「混住社会論」94  山田太一『岸辺のアルバム』(東京新聞社、一九七七年)
「混住社会論」93  小島信夫『抱擁家族』(講談社、一九六五年)と『うるわしき日々』(読売新聞社、一九九七年)
「混住社会論」92  佐藤洋二郎『河口へ』(集英社、一九九二年)
「混住社会論」91  佐藤泰志『海炭市叙景』(集英社、一九九一年)
「混住社会論」90  梶山季之『夢の超特急』(光文社カッパノベルス、一九六三年)
「混住社会論」89  岩瀬成子『額の中の街』(理論社、一九八四年)
「混住社会論」88  上林暁『武蔵野』(現代教養文庫、一九六二年)島田謹介『武蔵野』(暮しの手帖社、一九五六年)
「混住社会論」87  徳富蘆花『自然と人生』(民友社、一九〇〇年)と『みみずのたはこと』(新橋堂、一九〇七年)
「混住社会論」86  佐藤春夫『田園の憂鬱』(新潮社、一九一九年)と『都会の憂鬱』(同前、一九二三年)
「混住社会論」85  『東京急行電鉄50年史』(同社史編纂委員会、一九七二年) 『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」84  『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」83  谷崎潤一郎『痴人の愛』(改造社、一九二五年)
「混住社会論」82  三浦朱門『武蔵野インディアン』(河出書房新社、一九八二年)
「混住社会論」81  大岡昇平『武蔵野夫人』(講談社、一九五〇年)
「混住社会論」80  国木田独歩『武蔵野』(民友社、一九〇一年)
「混住社会論」79  水野葉舟『草と人』(植竹書院、一九一四年、文治堂書店、一九七四年)
「混住社会論」78  小田内通敏『帝都と近郊』(大倉研究所、一九一八年、有峰書店、一九七四年) 『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」77  『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」76  『宝塚市史』(一九七五年)と『阪神間モダニズム』(淡交社、一九九七年)
「混住社会論」75  小林一三『逸翁自叙伝』(産業経済新聞社、一九五三年)と片木篤・藤谷陽悦・角野幸博編『近代日本の郊外住宅地』(鹿島出版会、二〇〇〇年)
「混住社会論」74  柳田国男『明治大正史世相篇』(朝日新聞社、一九三一年)と山口廣編『郊外住宅地の系譜』(鹿島出版会、一九八七年)
「混住社会論」73  柳田国男『都市と農村』(朝日新聞社、一九二九年)
「混住社会論」72  内務省地方局有志『田園都市と日本人』(博文館一九〇七年、講談社一九八〇年)
「混住社会論」71  ローラン・カンテ『パリ20区、僕たちのクラス』(ミッドシップ、二〇〇八年)とフランソワ・ベゴドー『教室へ』(早川書房、二〇〇八年)
「混住社会論」70  マブルーク・ラシュディ『郊外少年マリク』(集英社、二〇一二年)
「混住社会論」69  『フランス暴動 階級社会の行方』(『現代思想』二〇〇六年二月臨時増刊、青土社)
「混住社会論」68  ディディエ・デナンクス『記憶のための殺人』(草思社、一九九五年)
「混住社会論」67  パトリック・モディアノ『1941年。パリの尋ね人』(作品社、一九九八年)
「混住社会論」66  ジャン・ヴォートラン『グルーム』(文春文庫、二〇〇二年)
「混住社会論」65  セリーヌ『夜の果ての旅』(原書一九三二年、中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」64  ロベール・ドアノー『パリ郊外』(原書一九四九年、リブロポート、一九九二年)
「混住社会論」63  堀江敏幸『郊外へ』(白水社、一九九五年)
「混住社会論」62  林瑞枝『フランスの異邦人』(中公新書、一九八四年)とマチュー・カソヴィッツ『憎しみ』(コロンビア、一九九五年)
「混住社会論」61  カーティス・ハンソン『8Mile』(ユニバーサル、二〇〇二年)と「デトロイトから見える日本の未来」(『WEDGE』、二〇一三年一二月号)
「混住社会論」60  G・K・チェスタトン『木曜の男』(原書一九〇八年、東京創元社一九六〇年)
「混住社会論」59  エベネザー・ハワード『明日の田園都市』(原書一九〇二年、鹿島出版会一九六八年)
「混住社会論」58  『日本ショッピングセンターハンドブック』と『イオンスタディ』(いずれも商業界、二〇〇八、〇九年)
「混住社会論」57  ビクター・グルーエン『ショッピングセンター計画』『都市の生と死』(いずれも商業界、一九六九、七一年)
「混住社会論」56  嶽本野ばら『下妻物語』(小学館、二〇〇二年)
「混住社会論」55  佐伯一麦『鉄塔家族』(日本経済新聞社、二〇〇四年)
「混住社会論」54  長嶋有『猛スピードで母は』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」53  角田光代『空中庭園』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」52  宮沢章夫『不在』(文藝春秋、二〇〇五年)
「混住社会論」51  吉本由美『コンビニエンス・ストア』(新潮社、一九九一年)と池永陽『コンビニ・ララバイ』(集英社、二〇〇二年)
「混住社会論」50  渡辺玄英『海の上のコンビニ』(思潮社、二〇〇〇年)
「混住社会論」49  いがらしみきお『Sink』(竹書房、二〇〇二年)
「混住社会論」48  佐瀬稔『金属バット殺人事件』(草思社、一九八四年)と藤原新也『東京漂流』(情報センター出版局、一九八三年)
「混住社会論」47  山本直樹『ありがとう』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」46  重松清『定年ゴジラ』(講談社、一九九八年)
「混住社会論」45  ジョン・ファウルズ『コレクター』(白水社、一九六六年)
「混住社会論」44  花村萬月『鬱』(双葉社、一九九七年)
「混住社会論」43  鈴木光司『リング』(角川書店、一九九一年)
「混住社会論」42  筒井康隆『美藝公』(文藝春秋、一九八一年)
「混住社会論」41  エド・サンダース『ファミリー』(草思社、一九七四年)
「混住社会論」40  フィリップ・K・ディック『市に虎声あらん』(平凡社、二〇一三年)
「混住社会論」39  都築響一『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』(アスペクト、一九九七年)
「混住社会論」38  小林のりお と ビル・オウエンズ
「混住社会論」37  リースマンの加藤秀俊 改訂訳『孤独な群衆』(みすず書房、二〇一三年)
「混住社会論」36  大場正明『サバービアの憂鬱』(東京書籍、一九九三年)
「混住社会論」35  ジョージ・A・ロメロ『ゾンビ』(C-Cヴィクター、一九七八年)
「混住社会論」34  エドワード・ホッパーとエリック・フィッシュル
「混住社会論」33  デイヴィッド・リンチ『ブルーベルベット』(松竹、一九八六年)
「混住社会論」32  黒沢清『地獄の警備員』(JVD、一九九二年)
「混住社会論」31  青山真治『ユリイカ EUREKA』(JWORKS、角川書店、二〇〇〇年)
「混住社会論」30  三池崇史『新宿黒社会 チャイナ・マフィア戦争』(大映、一九九五年)
「混住社会論」29  篠田節子『ゴサインタン・神の座』(双葉社、一九九六年)
「混住社会論」28  馳星周『不夜城』(角川書店、一九九六年)
「混住社会論」27  大沢在昌『毒猿』(光文社カッパノベルス、一九九一年)
「混住社会論」26  内山安雄『ナンミン・ロード』(講談社、一九八九年)
「混住社会論」25  笹倉明『東京難民事件』(三省堂、一九八三年)と『遠い国からの殺人者』(文藝春秋、八九年)
「混住社会論」24  船戸与一「東京難民戦争・前史」(徳間書店、一九八五年)
「混住社会論」23  佐々木譲『真夜中の遠い彼方』(大和書房、一九八四年)
「混住社会論」22  浦沢直樹『MONSTER』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」21  深作欣二『やくざの墓場・くちなしの花』(東映、一九七六年)
「混住社会論」20  後藤明生『書かれない報告』(河出書房新社、一九七一年)
「混住社会論」19  黒井千次『群棲』(講談社、一九八四年)
「混住社会論」18  スティーヴン・キング『デッド・ゾーン』(新潮文庫、一九八七年)
「混住社会論」17  岡崎京子『リバーズ・エッジ』(宝島社、一九九四年)
「混住社会論」16  菊地史彦『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、二〇一三年)
「混住社会論」15  大友克洋『童夢』(双葉社、一九八三年))
「混住社会論」14  宇能鴻一郎『肉の壁』(光文社、一九六八年)と豊川善次「サーチライト」(一九五六年)
「混住社会論」13  城山三郎『外食王の飢え』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」12  村上龍『テニスボーイの憂鬱』(集英社、一九八五年)
「混住社会論」11  小泉和子・高薮昭・内田青蔵『占領軍住宅の記録』(住まいの図書館出版局、一九九九年)
「混住社会論」10  ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』(河出書房新社、一九五九年)
「混住社会論」9  レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』(早川書房、一九五八年)
「混住社会論」8  デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』(新潮社、一九九七年)
「混住社会論」7  北井一夫『村へ』(淡交社、一九八〇年)と『フナバシストーリー』(六興出版、一九八九年)
「混住社会論」6  大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社、一九六七年)
「混住社会論」5  大江健三郎『飼育』(文藝春秋、一九五八年)
「混住社会論」4  山田詠美『ベッドタイムアイズ』(河出書房新社、一九八五年)
「混住社会論」3  桐野夏生『OUT』後編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」2  桐野夏生『OUT』前編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」1