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古本夜話515 マックス・ミュラー『宗教学綱要』

前回、マックス・ミュラーの南条文雄訳『比較宗教学』が明治四十年に博文館の「帝国百科全書」の一冊として刊行されたことを既述しておいた。これは一八七〇年に王立協会でミュラーが四回にわって行った講演に参考資料を加え、七三年にIntroduction to the Science of Religionのタイトルで原書が出されている。
Introduction to the Science of Religion
実は博文館の『比較宗教学』に続いて、その翌年の明治四十一年に同書が『宗教学綱要』としても翻訳出版されている。版元は丙午出版社、訳者は仏教大学教授の清水友次郎である。ほぼ同時期にミュラーの著作の二つの翻訳が出た経緯と事情は詳らかでないが、後者は仏教大学の宗教学のテキストとして刊行されたと思われる。両者とも完訳ではなく、抄訳との断わりが見えているけれど、『宗教学綱要』のほうは教科書という役割もあってか、『比較宗教学』の本文二七五ページに対し、一六〇ページとなっている。そのことに関して、清水の「はしがき」にも、「此訳書の容積が原本に比して頗る小なる所以」も述べられているが、「決して原著のほんの大意を略述したる底の者にあらず」との言も続いている。

そうした清水ならではの抄訳に対する方針と配慮ゆえに、『宗教学綱要』は原書をまさに「綱要」し、『比較宗教学』よりもミュラーの主張するところを抽出し、さらに印象的に浮かび上がらせていると判断できる。前回はタイトルを挙げたものの、ほとんど『言語学』にしかふれられなかったので、その代わりに今回は『宗教学綱要』を取り上げてみたい。そこに表出している言葉はミュラーの出自としてのドイツ社会状況、そしてイギリスにおいての言語、宗教、神話学者としての問題意識そのものに他ならず、それらは近代国家、国民国家としてのドイツやイギリスの歴史的位相をも物語るものであるし、同様に日本のルーツの問題へともつながっていったはずだ。

例えば、それらは第一講の「凡そ何れの国民にもあれ、家族にもあれ、いつしか、ひとつの祖先を欲しがつてくるものである」とか、「盖し一国民を作成する所のものは宗教と言語とである」とかいった言葉に表出している。そしてこの第一講は次のような一文で締められている。

 之を要するに、言語的研究によりて、吾人は得る所あるも失ふ所は決してなし。古代宗教は猶古宝玉の如し。時代の錆(サビ)を除かば始めて其真体は露現し、赫々乎として純潔なる光譯を放つてあらう。而して其際、其中から開き示さるゝ像は何の像であらうか。父の像、地上に凡ての国民の父の像であらう。其上書(ウハガキ)を、若しよく読み得たならば、神の言葉は啻に猶太のみならず全世界凡ての国語にも啓示されてあることが知れるであらう――そが啓示され得べき唯一の場所に於て――人間の心胸に於て。

そして第二講で、聖典を有する八大宗教、及び二大民族、それらから派生したもうひとつの民族が挙げられていく。以下の表記は清水訳を用いず、現代語訳、現代表記とする。

ミュラーいうところの八大宗教とその聖典を示す。それらはユダヤ教旧約聖書)、キリスト教(新訳聖書)、イスラム教(コーラン)、バラモン教ヴェーダ)、ゾロアスター教(ゼンド・アヴェスタ)、仏教(三蔵)、儒教四書五経)、道教(道徳経)である。そしてこれらの宗教と聖典を担うのがバラモン教仏教を有するアーリア民族、ユダヤ教キリスト教を生じさせたセム民族、それから仏教が深く入りこみ、儒教道教を生みだしたトラニアン民族とされる。「世界史の舞台の大役者」の「二大人種」の地位にアーリア民族とセム民族が置かれ、その第三極としてトラニアン民族が召喚されていることになる。
ラニアン民族の言語表記は、Turanianで、南条訳では「チューレニアン種族」、清水訳では「ツラニヤ族」となっている。これはミュラーの簡略な説明によれば、アジア大陸の中央部の民族であるが、さらに補足すれば、アーリア民族やセム民族以外のほとんどすべてのアジア人種、もしくは北ヨーロッパ中央アジアも含んだウラル・アルタイ語族と見なせよう。このミュラーの言語、民族、宗教をめぐる言説は『言語学』とも共通するもので、日露戦争後に立て続けに翻訳刊行された彼の著作は、日本人の出自に対する問い掛けとして、大いなるインパクトを与えたにちがいない。とりわけミュラーが提出した世界を代表する三民族の言語の親族関係と異なり、日本語の由来はほとんど解明されていなかった。戦後になってからでも風間喜代三『言語学の誕生』』(岩波新書、昭和五十三年)の中で、日本語という「母国語の源がこのように闇につつまれているわれわれ」と書いているのだから、明治時代においてはまして推して知るべしという状況だったと思われる。

そこに言語のみならず、民族、宗教、神話の問題が一挙に押し寄せてきたのではないだろうか。そしてそれが大正時代の出版企画や出版物に反映されていき、一方では混沌として多彩な大正時代の文化を出現させ、他方ではナショナリズムにつながり、アジア大陸へと至る「大東亜神話」へと結びついていったと考えられるのである。

なおこのミュラーIntroduction to the Science of Religionは明治の二つの訳の他に戦後になって、比屋根安定訳『宗教学概論』誠信書房、昭和三十五年)、塚田貫康訳『宗教学入門』晃洋書房、平成二年)、久保田浩訳『宗教学序説』(『比較宗教学の誕生』所収、国書刊行会、平成二十六年)の三つの訳が出されている。

宗教学入門 比較宗教学の誕生(『比較宗教学の誕生』)

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