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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話530 『日本キリスト教出版史夜話』、長崎書店、小川正子『小島の春』

前回の最後のところで、洛陽堂の河本亀之助の弟の哲夫が関東大震災後に立ち上げたキリスト教専門出版社新生堂にふれておいた。

その際に河本哲夫の「新生堂とその時代」における証言を引いておいたが、それが収録されている『日本キリスト教出版史夜話』新教出版社)こそは洛陽堂とも併走していたキリスト教出版の歴史をも物語るものである。同書は新生堂以外に、西阪保治の「日曜世界社とその時代」、秋山憲兄の「長崎書店とその時代」なども含まれ、それらが新教出版社へと統合されていくプロセスを描く一方で、近代日本におけるキリスト教出版の軌跡が必然的にたどられている。

明治以来のキリスト教出版は三つに分類できる。それらは日本聖書協会による旧新聖書の和訳と出版、ミッション、教派による出版、もうひとつは信徒による出版で、キリスト教出版の意義と価値を深く自覚し、それを神の召命となし、自らの志を固持し、その生涯を捧げた人々によるものである。いうまでもなく、日本の重要なキリスト教出版はこれらの人びとによって担われたのであり、信徒による出版事業ともいえるだろう。それらは福音者の今村謙吉や警醒社の福永文之助や十字屋の原胤昭などから始まるのだが、ここでは『日本キリスト教出版史夜話』における西阪保治の日曜世界社、河本哲夫の新生堂、長崎次郎の長崎書店にふれてみよう。

日曜世界社は明治四十年の伝道雑誌『日曜世界』創刊から始まり、大正十三年には『基督教家庭新聞』と改題され、編集部も力をつけ、書籍出版にも乗り出していく。その代表的な聖書研究資料が千ページに及ぶ『聖書辞典』で、これが後の『聖書大辞典』へと発展し、『聖書大註解』と合わせ、日曜世界社の三部作とされる。

新生堂は前回記したように、関東大震災直後の大正十二年十月にスタートし、帆足理一郎の著作を手始めにして、四百字詰原稿用紙七千五百枚というカルヴインの中山昌樹全訳の『基督教綱要』全三巻を刊行する。そのかたわらで、個人雑誌として帆足の『人生』、同じく熊野義孝の『プロテスタント研究』、キリスト教児童雑誌『光の子』、同じく総合雑誌『宗教思潮』の四つの定期刊行雑誌を発刊していた。

長崎書店は大正十四年に長崎次郎が早稲田大学前に古本屋長崎書店を開業したのが始まりで、翌年に牧師、神学者として著名な高倉徳太郎の説教集『恩寵と召命』を処女出版として、キリスト教出版の道に入っていく。長崎は明治二十八年高知県安芸町に生まれ、小学校時から安芸教会日曜学校に入り、牧師の示唆で北海道大学農学部へと進む。ちょうどその頃、高倉が札幌北辰教会牧師として赴任していたので、長崎は高倉牧師から洗礼を受け、その後も深い師弟の交わりが続いていく。処女出版が高倉の著作だったように、またその後も続けてその著作を刊行していったように、長崎書店の出版活動にも、高倉が常に寄り添っていたと見なせよう。

それらの書籍の出版の他にも、定期雑誌『葡萄之友』や『復活』の創刊、警醒社で中絶していた柏井園の『柏井全集』の続刊、『高倉全集』の刊行がなされていくのだが、当然のことながら、キリスト教出版が利益を上げるはずもなく、長崎も私財の大半を失い、まさに長崎書店も昭和十三年頃には受難の時期へと入っていた。ところがその暮れに刊行した四国の永島愛生園で救癩事業に挺身する女医小川正子の『小島の春』がベストセラーになったのである。これについては贅言を慎み、秋山が「長崎書店とその時代」の中で引いている長崎自身の言葉によって語らせよう。
小島の春 小島の春(復刻版)

 キリスト教出版に召されて立ったもののいつでも不信仰からその困難をかこちつづけて来た私である。神は荒野のイスラエル人にマナを降し、うずらを与え給うように、またエリヤを鳥をもって養い給うたように、思わぬところに備え給うたのである。昨年の暮、一縷の望みを嘱していた『小島の春』が、当分の間、また損失のつづくキリスト教出版への資料を供給してくくれるという結果を齎した。一〇年以上もライ友たちへの仕事をつづけて来たら、今度はそのことから思わぬ祝福を受け、その方面への幾分のご奉仕も出来、同時に本業の出版にも備えられるということになった。
 結局『小島の春』キリスト教出版に対して最も多く貢献したことになろうかもしれぬ。もし私がその恩志を忘れて、与えられたものを私するようなことがあったら、なにとぞ、鞭打っていただきたいものである。

手元にある四六判並製の『小島の春』の奥付を見ると、昭和十三年十一月第一版、同十五年六月通計第百三十五版とあり、最終的には二百二十版、二十二万部、もしくは三十万部に達したとされている。石川弘義、尾崎秀樹『出版広告の歴史』出版ニュース社)には、昭和十四年の『東京朝日新聞』に掲載した五種類の『小島の春』の広告が収録されている。それらには小林秀雄川端康成などの賛辞が添えられているが、それらは他の大出版社の広告よりもはるかに小さくて目立たず、内容で売れ、口コミで読まれたことが歴然とわかる広告だと分析されている。
出版広告の歴史

『小島の春』は昭和十五年に豊田四郎監督、夏川静江主演で映画化され、そのシノプスは『日本映画200』(「映画史上ベスト200シリーズ」、キネマ旬報社)で確認することができる。『小島の春』を読み、この映画内容に目を通すと、松本清張『砂の器』、及びやはり同書に収録されている野村芳太郎監督によるその映画化には、これからヒントや影響を受けているのではないかと思ってしまうのである。
砂の器 砂の器

さて『小島の春』のこのようなベストセラー化、映画化は長崎書店にとって旱天の慈雨となり、その名を出版業界に広く知らしめ、ほとんど埋もれていたキリスト教出版社の存在を世に伝える役割を果たした。

だが大東亜戦争下にあって、キリスト教出版社も企業整備による統合が進められていった。そして日曜世界社、新生堂、長崎書店に加え、日本聖書協会、愛之事業社、教文館出版部、警醒社、基督教思想双書刊行会、一粒社、基督教出版社の十社が統合し、昭和十九年に新教出版社が設立される。しかし実際にはキリスト教書への用紙の配給はなされず、戦時下におけるキリスト教出版への圧迫で、経営は成り立たず、開店休業のありさまだったのであり、新教出版社としての本来的な出版活動は敗戦後の昭和二十一年の春まで待たなければならなかったのである。

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